第55話 因縁
準々決勝の対戦相手である早大付属は、言わずと知れた名門強豪校である。
だがこの二年は甲子園を目指せる体制になかった。
その理由を簡単に言うと、上級生と下級生の間などの、人間関係が最悪だったのである。
原因となった、おちゃらけた坂本も坂本で悪いのであるが、体育会系の体質が悪い意味で炸裂した。
下手に名門だったため、その意識が悪い方に悪い方に働いたというのもある。
そんな部内抗争が終結して、ようやく片森監督とキャプテン近藤の下で、全力で全国制覇を目指せるようになったのだ。
そもそも早大付属もブランド力を含めて、全国から選手を集められるチームである。
ポジションのコンバートなどの色々な紆余曲折を経た上で、ようやく団結すれば、さっそく秋季大会で結果を出して、センバツに出場を決めた。
正直なところ、監督の片森は、夏の選手権での全国制覇を睨んでいた。
次の新一年に即戦力が入ってくるということもあり、近藤たちの団結力にそれが上手くからめば、本当に優勝できると思っていたのだ。
しかしこのセンバツの時点でベスト8まで勝ち進んだというのは、ある意味嬉しい誤算である。
そしてもしかしたら、準決勝では坂本のいる瑞雲と戦うことになるかもしれない。
坂本を失ったことは、片森にとっても痛恨の出来事であった。
彼だけではなく、いずれレギュラーと思っていた捕手も、他のチームに転校してしまった。
坂本はともかくそちらの方は、なんとかしようがあったのではないかと思う。
坂本は本来、人の下では動けない人間なのだ。
大企業に入って出世していくのではなく、自分で起業して会社を率いる。そういうタイプなのだと今では分かる。
根本的に、早大付属という名門のブランドには合っていなかったのだ。
彼が幼馴染のいるチームで活躍できているのは、古くからの馴染みがあって、その精神の自由さが確保されているからだろう。
おそらく坂本は、大学野球などでも上手くいかないタイプだ。
プロにいきなり行けば、むしろその方がいいだろう。だがそれでも球団の色によっては、個性を上手く発揮出来ない。片森としても今の坂本であっても、エースとして扱うのは不安が残るぐらいだ。
社会人か独立リーグで遊ぶようにプレイするのが、彼にとっては一番なのかもしれない。
第一試合が終わり、瑞雲のメンバーがベンチから引き上げてくる。
早大付属の選手とは、当然ながらすれ違う。
「坂本! 下克上だな!」
おおらかな近藤の声に、坂本はにっかりとした笑みを返す。
「言うても去年の主力が抜けたチームじゃきに。そがあ意外でもないぜよ」
春日山相手に、2-1で辛勝した瑞雲である。
そんな坂本の笑みが、少し黒いものになった。
「佐藤が投げてきょったら、ストレートは意識から消した方がいいぜよ。一回戦は隠しちょった」
「アドバイスか?」
「手の内の知れた相手との方がやりやすいぜよ」
それだけを言って、瑞雲のメンバーと共に去っていく。
白富東と早大付属、どちらがやりやすいかという話である。
つまり早大付属が勝ち進んできたら勝てる。そう言っていたとも解釈出来る。
「春日山が勝ってたら、今度こそ高校最強ピッチャー対決になったろうにな」
近藤が言うように、佐藤と上杉の投げ合いを見たかった観客は多かっただろう。
しかし坂本は空気を読まない男である。
春日山との試合でも、チャンスで打席の巡ってきた樋口を二打席も平気で敬遠した。
準決勝で佐藤対樋口、あるいは佐藤対上杉を期待していた観客は、当然ながらブーイングをする。
そもそも初出場の瑞雲は、甲子園における固定ファンがいないのだ。上杉が発掘した春日山ファンとの対決さえ必要であった。
全く甲子園の観客というのは、自分勝手で欲張りである。
だがその罵声を平然と聞き流し、完投勝利したのはさすがであった。
あの精神力は、不気味である。
世の中では白石のことを怪物、佐藤のことを精密機械と呼ぶことがあるが、その分類で言えば坂本は妖怪であろうか。
妖怪退治をするならば、それは旧知の仲の役割であろう。
「まずは白富東だ!」
「おう!」
昨年の秋、完全に抑えこまれはした。だがあれから自分たちは格段にレベルアップしている。
一二回戦の様子を見ても、確かに強さに疑いはないが、勝利を諦めるほどでもない。
東京と千葉、関東同士の準々決勝が始まる。
「せ~の」
「「「「「「「「「み・ゆ・き~~~~~~~!!!」」」」」」」」」
男共の太い声が、守備練習中の白富東にかけられる。
さすがにシーナも三試合目なので慣れて、ノックを空振りしたりはしない。
「次! セカン!」
鋭い打球がセカンドを守る諸角に飛ぶ。
「「「「「きゃ~~~~!!!」」」」」
「椎名さ~~~~ん!」
「素敵~~~~~!」
「あたしの恥骨も叩いて~~~~~!」
さすがにずっこけるシーナであった。
椎名美雪のファン層は二つあり、そして本人非公認のファンクラブが二つある。
つまり、男のファンと、女のファン。
シーナをアイドルのように愛でる野球オタの男共と、男子に向かって激しいノックを打つ姿を尊く受け止める女共である。
前者をオタ派、後者をヅカ派と呼び、この両者はお互いを嫌悪しあっている。
同じ椎名美雪のファンではないか! と呼び合った男女の代表がカップリング成立し、ロミオとジュリエットさながら根性を入れて付き合うに至るまで、この確執は続く。
だがそれはどうでもいい未来の話である。
先攻の白富東は、今日の先発は武史であった。
サードには鬼塚が入り、外野を鷺北組で固める。
直史はそれをのんびりと眺めているわけではない。
ベンチに入る際、敗北した春日山とすれ違った。
敗者にかける言葉はないが、いつも通り冷静に見えた樋口が、一言だけ言った。
「気をつけろ」と。
今日の試合、瑞雲の先発は中岡だった。
三回までを投げて、被安打三。四球一無失点という立派な内容だった。
四回の頭から坂本は投げて、そのまま0行進が続いた。
七回に上杉のコントロールが乱れたところで、ヒットを集めて二点を先制。
その裏に一点を返されたが、最後は二死ランナー一塁の場面で樋口を敬遠して、最後の打者をピッチャーゴロでしとめた。
あの試合運びの仕方は、誰かに似ている。
球速は今日も、140kmを数回出しただけであった。しかし秋よりは確実に回復しているのだろう。
変化球も投げていたが、思いもしない甘いところへのボールを、バッターが引っ掛けてアウトになるということが多かった。
六回を投げて三振は八つなので、割と三振も取っている。
四球を出したのは二つ。アウトは内野ゴロと外野フライが多かった。それとボール球を振らせるのが上手い。
誰に似ている?
「なあシーナ」
「ん? 強攻策はやめた方がいい?」
「いや、後でいい」
「あっそ」
自軍のチャンスの中で、シーナは戦術の取捨選択に集中している。
下位打線で掴んだチャンスなので、ここで一点を取っておきたい。
(まあこの試合に負けてたら、次の試合を考えても意味ないしな)
ジンのセーフティスクイズで、白富東が一点を先制した。
精密機械佐藤直史は、確かにスターではあった。
だがどうしてもその評価は、玄人受けするものになる。
七色の変化球という言葉があるが、プレートの位置も含めて角度まで調整する直史は、バッターの体感としては30種類以上の変化球を投げてくるように感じる。下手をすれば一試合の内で、同じボールをもう一度投げてもらえない。
しかし球速という分かりやすい物差しがないために、どうしてもその凄さは伝わりにくい。
それに比べると武史は分かりやすかった。
おおよそ投げるのは、140km台後半のムービングファストボール。
時折四隅にぴたっと決まる150kmオーバーのフォーシームファストボール。
そして分かっていても打てない、140km弱の高速チェンジアップ。
この球種の組み合わせは、実は上杉兄弟とほとんど同じである。
上杉正也の場合は緩急をつけるために、遅いチェンジアップやカーブ、そしてスライダーを使うことを考えれば、武史は球速の絶対値を少し落とした、左の上杉勝也とも言えるのだ。
大きな変化球を使う分、上杉の方が四球の数は多いとさえ言える。
150kmが投げられるたび、甲子園が大きく揺れる。
三振を奪うたびに、また違った揺れが起こる。
これでまだ、春から新二年。
真田の恐ろしさは、確かに去年の夏で周知されている。実城を擁する神奈川湘南を完封したのだ。
武史は去年の夏の桜島との試合で、ホームランを何本も打たれ、防御率は良くない。地方の試合でもそれなりに打たれる。
だが、彼は小学生は学童野球で、中学生のときは完全にピッチングから離れていたのだ。
ピッチャーを再開して四ヶ月で、150kmを出したということになる。
高校への入学当初はバスケ部を希望していたとも聞く。
春休みから部に参加していたというような積極さもなかった。
試合によってはノーコンで制球に苦しむが、良い時は本当に良く、本気で投げれば強打者からもガンガンと三振を取る。
兄である直史とはまた違った感覚で、プロ志向が全くない。
なぜなら身近にいる人間が凄すぎて、自分がピッチャーになっても打たれる未来しか見えないからだ。
直史は言う。プロになり、成功する人間というのは、野球バカでないといけないと。
武史にはプロに対する憧れもなく、野球がとにかく絶対的に好きというわけでもない。
だからプロなど目指していないのだが……。
球場が湧く。
「あ~、素材は完璧にプロやちゅうに、意識が素人やがか」
外野席の端でチームから抜け出し、一人のんびりそれを見る坂本の隣には、金髪の魔女が座っていた。
「最後のぎりぎりの執念がないと、プロでは通用しないでしょうね」
セイバーの分析は、自分が率いていたチームに対するものとしては、ひどく冷徹である。
「まあけど、スターじゃな。あれも計画に入れちょるん?」
「ええ。ただ彼は将来設計がまだはっきりとしてないので」
「兄貴の方はどうにか取り込めるん?」
「時間をかければ」
蜘蛛の巣のように、絡め取る。
計画のためには、様々な要素が必要だ。
「四国はなかなか難しいきに。同じ島じゃちゅうても、山で往来が難しい。香川や徳島なら、大阪まで出た方がいい」
「けれど地元に球団はほしいでしょう?」
「そりゃそうじゃ。アギ(武市)なんかも四国に出来たら、大喜びで入団しちゅうことは間違いない」
「新潟はどうにかなりそうです。なにしろ上杉君は郷土の英雄ですから。彼一人のために、地方自治体が動く」
「まあそりゃあ、あっこは上杉信者10万は軽くおるからの」
16球団構想。
夢のように語られるそれは、夢だけで終わるものではない。
プロ野球への人材輩出の、一番の元となっている高校野球が、絶対的なスターの登場で、ここ数年は驚異的な盛り上がりを見せている。
サッカーやバスケに取られた人気は回復している。競技人口もまた増えだした。
このタイミングで出来なければ、もう二度とチャンスは来ないだろう。
「よくもまあでも、あっこのおっちゃんを口説いたもんじゃ。野球好きでも商売人やろうに」
「だから儲かる計画を必死で考えました」
オーナーになりたいという企業家自体は、それなりに多いのだ。
ただどこに球団の本拠を置くかで、その熱意にかなりの差が出てしまうのも仕方がない。
新潟と四国はどうにかなりそうだが、それでも本拠地の球場をどこに置くか、交通インフラをどうするかなど、問題点は多い。
「あと候補は栃木、埼玉、静岡、京都、山口、鹿児島、沖縄ちゅうことか。まあ九州は南にもう一個あっても良さそうじゃけど、埼玉二つ目?」
「所沢はほとんど東京ですからね。ただそれでも、埼玉の可能性は低いですが」
「既存の球団と、お客さんを食い合うがは、コミッショナー側が認めんじゃろ」
坂本はこのあたり、高校生のクセに商売人の思考をしている。
「あと沖縄も地理的な要因で、ほぼ無理ですけどね。けれど……」
セイバーは笑う。無邪気な笑いであるが、その中身は黒い。
「MLBの計画を教えたら、急に協力的になりましたから」
「日本にマイナーリーグを置くっちゅう話な。ほんまか」
「あくまでまだ計画ですが、日本の選手を高卒や大卒でそのまま取りたいというのは本当ですからねえ」
日米のプロ野球界の間における紳士協定を揺るがす動きであった。
スター選手の海外流出。それは間違いなく一時期、日本のプロ野球へのファンを少なくした。
しかしMLBでの活躍が普通に見れる現在では、MLB相手に戦う日本人選手の姿は、野球全体への人気の還元となっている場合も多い。
郷土愛にあふれる上杉や、一人っ子で日本からは離れにくい大介、地元を離れる気など全くない直史など、NPBに選手をとどめる方法はあるのだ。
もっとも大介の場合は、母親の再婚でその方向での不安は少なくなるわけだが。
ただ大介は割と金に弱いので、稼げそうだと思ったらMLBにも行くだろう。
上杉以外に彼を熱くさせるピッチャーは、NPB全体を見ても数人しかいない。
「京都と鹿児島……サッカーみたいにすりゃあ、上手く行きそうじゃがの」
「まあ三軍を充実させるというのも一つの手ですが、資本力の高いチームがそれだと有利になりますからね。新規参入が出来るという点が、サッカーのクラブが上手く育った理由ですし」
「世界的に見ちょると、サッカーの人口の方が明らかに多いからの」
それでも日本なら、野球なのだ。
独立リーグに社会人野球。クラブチームなど、レベルの差はどうあれ、野球チームというのは欲しいのだ。
「簡単に人気取りたいんがやったら、佐藤の妹ら入団させればいいじゃろう」
「さすがに本職が芸能人をプロ野球選手にするのは」
「あだち充のマンガにあるがよ」
あるのである。
「というわけで坂本君、新球団を立ち上げたら協力してくれますか?」
「まあ一からちゅうのは面白そうじゃし」
坂本天童。
実はボンボンの息子である彼は、ある意味で上杉や大介をも上回るスケールを持つ人間であった。
×××
・嘘のような本当の話
実はシーナの下の名前である「美雪」は当初何も考えずに付けた名前であった。名字が呼びやすいものであることだけは決めていたが、三姉妹設定などは全て後付である。この「み・ゆ・き」を書いていて「あれ? 『みゆき』じゃん」と気付いてから姉二人の名前を付けた。
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