第42話 未完の大器

 割とあっさりと勝てた試合であった。

 シーナが三イニングを投げて無失点だったのと、大介の一本調子のピッチングにも、速度があって対応出来なかった。

「俺の球なんて棒球だと思うんだけどなあ」

 大介はそう言っているが、顔はにやにや笑っている。

 あの後、八回まで全力で投げていったのだが、その八回には148kmが出たそうだ。

 普通のチームならば絶対にピッチャーにさせたがる数字である。むしろこの球速でピッチャーをやらないというのがおかしい。


 だが大介に速球対策で、バッピをしてもらうことのある白富東からしてみれば、確かに速いがどうして打てないのかは謎である。

 生きた人間の球ということで打つのだが、岩崎や武史の直球と比べて、大介の直球は確実に打ちやすい。

「まあ慣れだな」

 身も蓋もないことを直史は言う。


 ストレートの魅力というのは、スピードではない。

 伸びやキレでもない。平均からどれだけ逸脱しているかだ。


 例えば現在の日本球界において、もっともすごいストレートを投げる上杉勝也の場合。

 球速はMAXが163kmであり、スピン量が多く、回転軸が完全なバックスピンとなっている。

 そしてリリースの瞬間自体は見えなくもないのだが、球持ちが良くて普通のピッチャーなら放しているところから、もう少し持っている。

 そこで投げるということは、よりバッターに近い位置、リリースの高さはやや低目からとなる。


 減速しないストレートが、よりバッターボックスに近く低い位置からまっすぐに、上杉の右腕から投じられる。

 すると思ったよりも早くミートポイントに到達し、それは思ったよりも地面と並行に近い軌道で、しかも速い。

 打者の多くが、上杉のストレートが浮くという理由は、普通のピッチャーの球の軌道よりも、はるかに地面と並行に動いているからである。

 これがプラスの方向に最大限の力が加わるストレートと言っていいだろう。


 直史のストレートは、変化球の後に投げられることによって、この錯覚を起こす。

 変化球というのは当然ながら、バックスピンがかかっていない。ストレートよりも落ちやすいボールなのだ。

 直史のストレートは、速度こそないがスピンはそこそこあり、きれいなバックスピンとなる。

 そして球持ちがいいことは上杉と同じで、やはり打者にとっては浮き上がる――というのがさすがに大袈裟としたら、思ったよりも落ちないボールになるのだ。

 変化球でゴロを打たせ、ストレートでフライを打たせる。

 これが直史のピッチングの基本である。


 大介の場合は球の初速が速く、スピンが少なく回転軸も綺麗ではないため、速いと思ったのにバットはボールの上を振る。

 リリースの瞬間まではっきりと球は見えているのだが、思ったよりは伸びてこない。

 これが思ったよりも伸びてくるシーナの球の後だっただけに、より効果的だったのだ。




 多少は落ち込む大介であるが、継投して使えば充分に戦力にはなる。そもそも白富東にこれ以上ピッチャーは必要ない。

 それより今は、早大付属と花巻平のAチームとの戦いが問題である。


 この後早大付属は、花巻平のAチームと戦い、その後に白富東のAチームと戦う予定である。

 どちらの試合にエースを出してくるか少し気にはなったのだが、実績的に当たり前だが、エースの近藤は外野において、普段は外野の二番手山口を花巻平の先発に持ってきた。

 そもそも山口も特待生で入学したピッチャーであるので、ダブルエースに近いとも言える。

 それに対して花巻平は、当然ながらエースを出す。


 大滝志津馬。一年夏の地方予選で、150kmを投げた本格右腕。

 しかしその後は肉体の成長によりバランスを崩し、細かい故障が多かった。

 この秋は156kmを記録し、岩手県で準優勝、東北大会でもベスト4に入った。

 センバツに出てこれるかどうかは、微妙なラインである。


「普通に投げて150km台ってのはすごいんだけど、九回までは投げられないっぽいんだよな」

 ジンの解説を聞きながらの観戦である。

 大京レックスの東北担当スカウトであるジンの父は、一年の夏以前、軟式野球の頃から、大滝のことは知っていた。

 そもそも彼を花巻平に進学するよう勧めたのも鉄也であり、来年のドラフトの一位指名最有力候補としていたのだ。

 鉄也は本物の選手を、中学時代からその眼力で発掘する。

 その目は正しかったと言える。実際に現在の日本の高校二年生で、大滝より速い球を投げるピッチャーはいない。

 岩崎もMAXは151kmだ。武史も今は150kmまでは届かない。


 他に速球投手でMAX150kmを超えるのは、大阪光陰の豊田、春日山の上杉、滋賀県や佐賀県にいることはいるという程度である。

 だが155km以上を投げたのは、大滝だけなのだ。




「でけえな」

 投球練習をしているだけでもはっきりと分かる。大きな選手に本能的に反発する大介は、舌打ちしそうな口調である。

 お前もう、でっかい相手からのホームランは、ワールドカップで散々打っただろ?

「194cmあるってさ。まあその身長のせいで怪我とかが多かったらしいけど」

 シニアではなく中学では軟式に入っていたため、それほど大きな大会では投げていない。

 しかし素質の良さはピカイチで、よくぞあんな選手を見つけたと、鉄也は自画自賛したものである。

 ……もっともその後、地元の白富東で、さらなる核弾頭を発見したわけだが。


 持っている変化球はスライダーとチェンジアップ。

 だが決め球は、二種類のストレートであるという。

「ストレートが二種類?」

 と問い返したのは思考が現実的な鬼塚である。

「そう。普通のストレートはあるけど、決め球のストレートと、更に伸びるストレート」

 ジンの言葉ではピッチャー陣以外はなかなか分からないようだが、佐藤兄弟にはしっかりと分かった。

「タケの全力ストレートみたいなもんか」

「あ~」

「あの甲子園専用ストレートね」

 別に赤く塗っているわけでもないのだが、甲子園で投げた150kmオーバーである。


 直史にも分かる。

 カウントを整えるための打たせてもいいストレートと、意識的に三振を取るためのストレートだ。

 岩崎などもストレートの全力でも、本気の全力と限界の全力という違いで理解出来る。

「まあうち以外も散々意識してるみたいだし、しっかりと見ておきましょうか」

 ジンは気楽な気分である。150kmオーバーと言えば確かに現在の高校生では最高レベルだが、本多とほぼ同じ最高速度であり、ワールドカップで大介が打ったピッチャーは、それよりもさらに速かった。

 まあ確かに、その160kmよりは大滝の方が上かもしれないとは思ったが。




 先攻は早大付属。安打製造の三連星と言われる高打率打線である。

 それがあっさりと三者三振に取られた。

「いきなり全球150kmオーバーなんですけど」

 スピードガンで測っていたジンも呆れてしまう。


 長い手足。ゆっくりとしたフォームはぎりぎりまで力感を感じさせず、最後に指先からピュッと球が投じられる。

 それが全て150kmオーバーで、一球ファールにした三番の土方に対しては、153kmを投げてきた。

 岩崎もMAXは151kmとは言っているが、実戦で150kmを投げることはほとんどない。球速で押せると思った時、一試合に数球である。


 ところが大滝は、普通に投げる球が150kmなのである。間違いなく一回りスケールが大きい。

「大介はどう思う?」

「まあワールドカップの160kmよりは打ちにくそうだな」

「やっぱりそうか」

 直史の問いに大介が答え、そして直史も納得した。


 しかし他のメンバーはそうではない。

「どゆこと?」

 一番遠慮のない武史の問いに、理論付けて答えられる直史が説明する。

「アメリカとかキューバのピッチャーは、純粋に力で勝負してくるんだよ。もちろん基本的な部分は間違いないけど、けっこうリリースとかグラブさばきとか、日本の高校野球に比べると甘いんだ」

 緻密さ、繊細さに欠けるといったところか。

 だからアメリカのMLBでは、ドラフト一巡目一位指名の投手であっても、最初はマイナーからスタートするのがほとんどなのだ。

 バッターも同じく、多彩な変化球に対応するという意識がそもそもない。だから直史の前に完封された。もちろんそれが直史と大介の実績を貶めるものではない。

 世界で予告ホームランと場外ホームランが打てる高校生など、他に誰がいるというのだ?




 大滝は五回までを投げて打者15人に対して11奪三振無四球のパーフェクトピッチ。

 打っても五番で、タイムリーツーベースで一点を取った。

 しかし大滝降板後に早大付属は逆襲開始。

 結局は大滝の後のピッチャーを打ち崩し、5-1で勝利したのであった。


 秋の県大会も、大滝は途中で降板して、花巻平は決勝で敗れている。

 これは東北大会も同じで、やはり途中降板で逆転負けだ。

 スコアを見るに大滝は100球前後で球数制限がされているらしい。

 一年の時から小さな怪我に悩まされたというから、大切に使っていこうという監督の意識が強いのだろう。

 確かに大滝は、その身長に比して筋肉がまだ足りていないように見える。

 下手に筋肉をつけたら肩の駆動域を減らして球速は落ちるのだが、おそらくインナーマッスルもまだ足りていないのだ。


 春のセンバツには、ベスト4で負けてるので選出されない可能性が高い。

 あとは夏までに、どう鍛えてくるかだ。

 この冬をどう使うかで、夏の花巻平の夏は決まる。


「そう言えばうちの部員って大きな怪我とか故障はないよな」

「ナオが一年の夏に肘痛めたのと、二年の夏に血マメ作ったぐらいか?」

「あとはタケの全身筋肉痛も、一応故障直前じゃね?」

「一年の春にジンがクロスプレイで怪我したのもあったよな」

「あとはワールドカップで大介が亀裂骨折だっけ」

「センバツでは手塚さんが軽い捻挫してたよな」

「大阪光陰戦はなあ。角谷さんもつき指してたっけ」

 細かい怪我はさすがにあるものの、一ヶ月もプレイ出来ないような大きな怪我はない。

 故障者が少ないことは、中心選手の代わりが利かない白富東にとって、重要なことである。

 直史の提案でストレッチを長くしているのと、セイバーのコーチ陣によるアップや体の使い方の指導が大きい。


 無事これ名馬という諺もある。

 どれだけ才能があっても、一年や二年だけ活躍して消えていくのでは、学生野球はともかくプロには進めない。

 大滝はプロに進める素材であるだけに、監督も注意して見ているのだろう。

「でかいやつの怪我は、本当に治りにくいからなあ」

 大介のショートなども、けっこう足腰に負担がかかるポジションである。

 だが大介は本当に、まず怪我らしい怪我もしない。




 大滝相手にはいいところがなかったものの、早大付属もたいしたものであった。

 三連星と言われる一番から三番までの連続安打に、四番の近藤の長打もあり、充分に強いはずの花巻平を後半は圧倒した。

 大滝が目立つのでなんだが、サイドスローの山口も140km台の制球力の高いストレートに、スライダーとシンカー、そしてチェンジアップを使った見事な投球であった。

 被安打四に四死球0というのは、これまた素晴らしいものである。さすがはダブルエースの一方と言うべきだろう。


 小休止を挟んでグランド整備。

 そしていよいよ白富東と早大付属のAチーム同士の戦いである。

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