八章 二年目・冬 オフシーズン
第40話 オフシーズン前
「それでは神宮大会の優勝と」
「ついでにあたしたちの紅白出場決定を祝って」
「乾杯」
佐藤家ではささやかな宴が催されていた。
主賓は佐藤家の四兄妹であり、祖父母が今日はこちらの家にやってきている。
神宮大会の優勝は、実のところかなり影響は大きかった。
神宮大会で優勝したというよりは、その優勝校が白富東であったことが大きかったと言うべきか。
やはり千葉県勢初優勝ということもあって、それなりに祝うべきものではあったらしい。
佐藤家としては、双子が年末の紅白へ出場が決まったということの方が、ずっと大きなことであったと思う。
順番としてはかなり早めらしい。なにしろ二人はまだ15歳なので、労働基準法により10時以降の後半に持って来るわけにはいかない。
「で、何歌うんだ?」
直史としては終わった神宮大会のことはどうでもよく、さすがに妹たちがテレビ出演となれば、そちらの方に興味が湧く。
「あたしらの持ち歌、冬向けのまだないからね~」
「イリヤが頑張って作ってるけどね~」
この時期に作っているのでは、世間への周知が不充分になる可能性が高い。
一応初ライブはそれまでに決定している。
むしろ紅白出場と合わせて決定したと言うべきか。
場所は武道館であり、いくら金を積もうと普通ならこのタイミングでは取れるはずはないのだが、コンサート予定だったバンドの薬物使用が発覚し、無期限の活動停止になったという背景がある。
薬ダメ ゼッタイ
これまで小さな箱でもライブなどしたことはなく、テレビ出演も正式なものは一度きりだったにもかかわらず、チケットは即日完売したらしい。
まあこれは双子の話題性と、特別ゲストでケイティを呼んでいるからということが背景にある。
双子の持ち歌は少ないが、イリヤの持ち歌は多い。それを使えば洋楽ヒットメドレーとなるわけだ。
なんだかんだ言って去年は、夏の敗北が秋の勢いに変わり、オフシーズンでもそのまま突き進んでいたような気がする。
去年に比べると直史の精神は弛緩しつつある。
まだ練習試合が残っている。早大付属のグランドで、土日に合計三試合ずつ。
ちなみにまだまだ先の話であるが、対外試合禁止期間が終われば、センバツまでの間に帝都一との練習試合も組まれている。
対外試合禁止期間の間に鈍った試合勘を取り戻すのが目的であり、県外の強豪も二校ほど来てくれるし……言ってはなんだが県内の格下とも試合がある。
キャプテンのジンと、監督のシーナがそのあたりは頑張っている。
春も夏も、最後の甲子園となる。
センバツはまだ出場校は決定していないが、関東大会と神宮大会で優勝した白富東が、選ばれないわけはない。
高野連の中には選びたくない人もいるかもしれないが、去年以上に圧倒的な成績である。
あとは仲のいい三里が選ばれるかどうかが、少し気がかりではある。
さてさて練習試合まで連勝を続けるべきなのか、直史としては少し不安である。
神宮大会で坂本にホームランを打たれたことは、それなりに驚いた。
驚いたがそれだけで、結局勝てたのは点差があったからだ。
もしあれが接戦で序盤か中盤だったら、自分とジンもあれほど冷静に後続を切ることは出来なかっただろう。
それに投手としてもだ。故障しているということで球速は出してこなかったが、坂本はそれでも大介を封じたのだ。
武市のリードもある程度はあったのだろうが、遅い球の組み立てで大介を封じたのは、純粋に野球が上手いからだろう。
初見はピッチャー有利とは言え、軟投派投手の中でも極めて高い完成度だ。
また準決勝の明倫館。高杉と村田のバッテリーは、完成度が極めて高かった。
直史の理想とする、球数の少ない完封勝利を狙う組み立てだった。
大介の父の指導もあるのだろうが、甘く入った岩崎の球は着実にヒットにされた。それにどうも、何がなんでも勝利を、と考えていたようには思えない。
四国中国地方から、あの二校が出てくることは間違いない。
そして大阪光陰がどう立て直してくるか。
木下監督は、ワールドカップで親しむことがあったが、割と苦労人で人心掌握術は優れている。
ぎくしゃくしたバッテリーをどうにかすれば、また真田は面倒なピッチャーとして立ちふさがってくるだろう。
それもまだ、四ヶ月後の話。
センバツの前には、長い冬がやってくるのだ。
西東京の強豪私立、早大付属は、早稲谷大学の付属高校であり、正式名称は早稲谷大学付属関東第一高校である。
単なる付属高校は他にもあるのだが、高校野球で早大付属といったら、当然ながらここなのだ。
元々西東京ではずっと強い私立校であり、全国制覇の経験もある。
今年の秋は都大会の決勝で帝都一に惜敗しているが、内容が良かったのでセンバツにも出てくるのではないかと言われている。
この学校のグランドを使って、土日で二試合ずつの練習試合が行われる。
もう一校の招待されているのは、岩手県の花巻平高校である。
こちらも岩手を、東北を代表する強豪校であり、ジンが言うには相当にやばい投手がいるらしい。
大滝志津馬。一年の夏の地方大会で150kmを記録した、本格右腕である。
それなら武史の方が上ではないかと思うのだが、あの時の武史の状態は、部内でもナチュラルドーピング扱いである。
ブルペンでも149kmまでしか、まだ出ていない。いや、一年の秋にそのスピードであれば、充分に脅威ではあるのだが。
「どちらのチームも二学年だけで、部員数60人以上いるんだよね……」
ジンが言うには、花巻平はBチームでもAチームと遜色のない、選手層の厚さがあるらしい。
なお早大付属も当然ながら強い。東京の強豪私立の選手層の厚さは半端ではない。
白富東は現在35人の選手がいるが、そのうちの五人は野球研究班であり、ようするに草野球レベルの人材である。
だが投手層の厚さはほぼ間違いなく日本一であろう。
到着した白富東は、相変わらずの私立強豪校の設備に溜め息をつくばかりである。
体育館と見まがう屋内練習場に、完全に野球部専用のグランドが二つ。
そしてサブグランドも一つという金満ぶりだ。
「早大の施設とそうそう変わらないな」
神宮の決勝前に見てきた直史だが、計測機器などを考えるとさすがに大学の設備の方が上である。
そして現在白富東は監督が女子マネであるので、相手校の監督と交流するのは部長の高峰となる。
「ようこそ、お待ちしていました」
早大付属の監督片森は、早稲谷大学野球部でキャプテンをしていた。
プロには進まなかったが母校の職員として、野球部の指導をしている。
ある意味ジンの目標である。
白富東が早々に強くなって、父親からのコネクションを使えるようになったので、今は明確に帝都大学方面の指導者を目指しているが、ジンは元々は早稲谷大学の系統も狙っていたのだ。
遠方からやって来る花巻平は一日目の午後すぐに第一試合を行う。
よってこの日はまず、早大付属と白富東の勝負が行われるのだ。
グランドが二つあるのでAチーム同士とBチーム同士の試合も出来なくはないが、さすがにそれだと白富東はチーム力が足りない。
もちろんごく一部の戦力で勝負も出来るが、それではあちらさんもあまり意味がないだろう。
それでも一日に二試合することがあるので、選手層の厚いあちらさんはともかく、白富東にはなかなかに厳しい判断が迫られる。
「Aチーム相手にはもちろん主力をぶつけないといけないから、ナオとガンちゃんが投げてキャッチャーも俺。んでBチームにボロ負けするわけにもいかないから、タケとアレクが投げて倉田キャッチャーでよろしく」
「なんだかんだ言ってまだまだ選手層薄いのよね」
シーナはやれやれと首を振るが、直史の背後からひょっこりと顔を出す双子がいる。
「大丈夫だよ~」
「今日はドーピングあるからね~」
観戦にやってきたのは、佐藤家の双子に加えて、イリヤに瑞希までいる。
……本当にいざとなれば双子を投入すれば、Bチームでも負けないだろう。
一応Bチームの試合では、女子を試合に出すとは言ってある。
シーナが出られるわけであるが、まさか双子はホームランが打てるとは、相手も思わないだろう。
それにしても、観戦する人間がものすごい。
早大付属の生徒などは当然多いのだが、近隣の強豪校からスコアラーが駆けつけているし、どうにもアレな……ジンの父の鉄也や、明らかにプロのスカウトも……ほぼ全球団揃っている。
……セイバーさん、なんで貴方まで、さらっと観戦しているのですか?
ニコニコ手を振ってないで、この試合限りでも参謀をしてくれると嬉しいのですが?
「在京球団はスカウトどころか、スカウト部長飛び越えて編成部長まで来てるんだよ。あとメジャーもちらほらね」
ジンが言うにはシーズン最後の大見物ということで、注目度は高いらしい。
「やっぱ大介見に来てるのかね?」
「大介もだけど、あとガンちゃんと、花巻平の大滝かな。素質的には高校ナンバーワンとか言われてるし」
細かい怪我が多くてなかなかベストピッチングが出来ないらしいが、それでも150km台は平気で投げる。
まさに大器と言うべきだろう。
あと、やたらと多い女性客は、どうやら早大付属の選手目当てらしい。
「土方く~ん!」
「沖田君頑張って~!」
「山口く~ん!」
イケメン三人衆と言われているのは、レギュラーの中でも実力上位と言われている。またの名を早大付属の三連星。
キャプテンの近藤は、男性ファンの方が多いそうだ。不憫なり。
朝が早かったということもあって、まずは早大付属のBチームと戦う。
とは言っても白富東はピッチャーの直史と岩崎を休ませるだけで、倉田と一年ピッチャー陣を柱に組み立てる予定だったのだが……。
一回の表、早大付属が先攻。
対する白富東は、シーナが先発としてマウンドに上がっていた。
そして当然ながら、キャッチャーはジンが入っている。
白富東の女監督山手、通称セイバーは、当然ながら有名であった。
経歴もであるが、その指導法も独特だ。自身には野球の技術的なものはほとんどなく、セイバー使いで甲子園の決勝まで進んだ。
もっとも周囲の評価としては、純粋に選手の能力に頼っていたとも言われている。
その山手監督が退任し、女子マネが臨時で監督を行っているというのは、国体や関東大会、そして神宮を調べた者なら誰でも知っている。
そして女子選手は今のところはまだ公式戦には出られないが、練習試合であればずっと昔から出られるのだ。
だがまさか、Bチームとは言え早大付属を相手に、先発で出てくるとは。
舐められている、と相手が考えても仕方がないだろう。シーナでもこれが逆の立場だったらそう思う。
(あたしには、あの子らみたいな本物の天稟はない)
ごく少数の白富東応援席で、佐藤家の双子が踊っている。今日は鳴り物がないので、歌いながら踊っているだけだ。
(でも野球にかけてきた時間が、圧倒的に違う!)
投球練習で、狂いなくジンのミットにボールは収まる。
バッティングピッチャーならいくらでも務めてきた。打ちやすいボールも打ちにくいボールも、ちゃんと分かっている。
(一イニングもたないなら、公式戦では使えない!)
本格的なワインドアップから投げるその球は、確かに女子選手としては速い。
だがそれでも早大付属の一年生ピッチャーと比較してもたいした球威ではないのだ。
初球からのゾーン、甘いところを、先頭打者は振りに行く。
しかしその球は急激に、伸びるように沈んだ。
空振った打者は、首を傾げる。
(沈んだ……けどスプリットとかシンカーじゃないし、チェンジアップ? いや、変な沈み方だよな)
早大付属がスルーを打つのは、これが初めてであった。
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