第29話 青春の裏で微笑む者
高知瑞雲高校が、県内一強と言われる栄徳を破って四国の王者に上り詰めたその背景には、独立リーグがある。
四国アイランドリーグneoは四国四県を中心に、九州や中国、近畿で作られては消えていくチームによるリーグ戦を行うリーグである。
そもそもは四国にプロ野球球団を、という理念から作られる予定であったが、NPBへの人材輩出を目的としたものへと変化し、現在ではスポンサーも付いて、NPBや社会人からこぼれた選手の受け皿となっている。
四国は野球人気が極めて高かった。愛媛県を中心に、甲子園を制したチームも多かった。
しかし野球人口自体が、日本全体として減少しつつある。これを野球好きのオッサンどもが、四国の野球人気を取り戻そうと、必死で頑張った結果が21世紀初頭の国内初の独立リーグの創設であった。
後発のリーグやチームが撤退、解散するのに比べて、四国にはどうにかこのリーグが根ざしつつある。
その高知の独立リーグが、下部組織としてなわけではないが、指導を行っていたのが四万十ボーイズである。
実は西日本に多いボーイズチームなので、シニアというのは不正確なのだが、中学生のクラブチームであることは同じである。
プロや元プロ、そしてプロ志望の選手による指導は、四万十ボーイズを全国屈指の強豪に育てあげた。
そこから瑞雲へ入学すると、プロアマ規定により指導が出来なくなってしまうわけだが、高知にはクラブチームがある。
強豪校出身でも、それを全てアマチュアが吸収するほどの受け皿はない。この外部コーチの充実が、瑞雲をここまで強くしたのである。
武市の最終的な目的は、高知県を野球の強豪とすること。
ある意味、プロに拘らないところはジンに似ているかもしれない。
そんな瑞雲であるが、メンバーの決定は監督に権利がある。
自分の指導を全く聞かず、ほとんど選手と外部コーチ主体であるこのチームに、監督の吉田は鬱屈した思いがあった。
そこへ坂本は囁いたのである。
坂本がスタメンにいないことは、瑞雲のメンバーを激昂させた。
元より監督はいるだけ監督であり、技術的にもボーイズ出身の選手たちを指導出来るほどのものではない。
そこが生徒からの侮りになるのだが、武市があくまで教師としては尊重していたので、ここまで決定的な亀裂はなかった。
しかし、坂本の不起用というのは、さすがに許せることではない。
「お前らには遠慮して言えんかったが、肩を痛めとるそうだ」
吉田は表情も変えず、平然と言った。
武市は直感的に嘘だと思ったが、それを言うわけにはいかない。
坂本は幼馴染であり、野球を好きなことは分かっていたが、高校球児らしくはない。
そして飄々としているように見えて、意外に頑固なところがある。
感覚的に生きているように見えて、実は理屈っぽい。だから一度こうと決めたら、それを覆すことは、相手の理がより大きなものでないかぎりありえない。
説得に失敗した時点で、坂本が出ることはありえなかったのだ。
キャプテン武市、苦悩の始まりである。
神宮球場には、プロのスカウトが目白押しである。
NPBだけではなく、MLBまで。その多くは大介を一番に見に来た者だろう。
聖稜の井口も良いバッターではあったが、結局初戦で全打席出塁を果たした大介には及ばなかった。
バッティングが突出しているだけでなく、その他のツールも一流を超えている。
ワールドカップでのパフォーマンスはまさにモンスターであった。
リトル・スーパーマンなどともアメリカでは呼ばれていて、あのホームランを見た多くのベースボールファンが、MLBは大介を獲得すべきだと声を挙げている。
だが、致命的な問題が一つある。
それは、海外選手のサラリー上限だ。
そして三年目までの年俸調停権利を持たないことにもよる。
NPBと比べると、MLBの超一流選手の年俸は、五倍以上にもなる。
だがMLBにも欠陥はあり、入団三年目までの選手には、年俸調停の権利がない。要するに安い年俸で我慢するしかないのだ。
過去にはサイ・ヤング賞を取った選手の年俸がわずか5000万円程度ということもあり、この制度は改正するべきだという声も少なくない。
MLBが海外の新人を獲得するための、大きな障壁となっている。
もっとも考えようによっては、本国で確実な実績を残してからMLBに誘えばいいので、そこで年俸を提示するという手段もある。
昨今のポスティングシステムでは、こちらが主流である。
大介は基本的に、金は好きである。
正直に言えば、多くの人間は金が好きであろうし、好きとは言わなくても必要だと考える者がほぼ全てであろう。
幸福は金では買えないと言う宗教家の多くが金持ちという事実が示す通り、金は幸福をつかむための手段の一つであることは間違いない。
苦労して女手一つで自分を育ててくれた母を、楽にしてやりたい。
そういうごく普通の感覚を持って、大介はプロを志望している。
そしてもう一つが、上杉勝也との対決である。
なんだかんだと攻略しきれなかったピッチャーはいるが、明確に敗北したのは上杉だけだ。
あの人と対決するのが、大介のプロ志望の大目的である。
そんな中、MLBとNPBの間で、選手の代理人を務める男がいる。
人呼んで、ドン・野中。多くの選手をMLBに紹介してきた男であり、逆にMLBのマイナーでくすぶっている選手を日本に連れて来てもいる。
基本的に彼は、既に実績を残している選手を、どう高く売るかが仕事である。
しかし売れるようになってから接触するのでは、あまり感じが良くない。なので売れそうな選手には、早いうちに唾をつけておく。
正直なところ白石大介の才能には疑問があった。それはまずあの体格である。
故障知らずでバネの塊のような体であるが、プロで一年間働けるだけの体力があるのか。
高校野球ではスターであっても、プロでは全く通用しないというのは、野球ではよくあることなのだ。
その理由の一つが、体力と言うよりは耐久力である。
だが、あのワールドカップでのパフォーマンスは圧倒的すぎた。
そこでようやく大介のことを詳細に調べていったのだが、その練習量などから考えても、プロで充分に通用する器だと考えた。
神宮は彼のお膝元でもあるので、他の有力選手も見ておきたい。
彼はあくまで代理人であって、プロ野球球団の所属ではない。だから学生選手にも接触は出来るのだ。
上手くタイミングを測っていた彼であるが、スタンドに特徴的な、既知の人物を見つけた。
そもそも彼女の存在が、野中を白富東に注目させた遠因とも言える。
秘書の日本人女性を連れた、MLBの裏で動いていた女傑。いや、彼女も国籍は日本であるのだが。
「失礼、ここよろしいですか」
そう声をかけた野中を見て、セイバーはにっこりと笑った。
「どうぞ。お久しぶり、というほどでもないですね、野中さん」
この夏まで白富東の監督というか、経営をしていたセイバーは、この大会を見に来ていた。
「今日は白富東の応援ですか?」
野中の問いに対して、セイバーは笑顔である。
「それもありますが、瑞雲の方にも少し用事がありまして」
おや、と野中は疑問に思った。
セイバーは元レッドソックスの球団関係者であった。
もっともコーチでもなければフロントでもないし、スカウトでもなかった。
だが千葉の公立を率いて一年で甲子園に連れて来たという点では、高校野球界では有名人である。
もっとも今では、偶然に集まった選手が凄かっただけという見方もある。
野中の考えでは、選手起用などはともかく、育成では間違いなく彼女の力が大きい。
「瑞雲に用事ですか」
セイバーはMLBの人間、そういうイメージが強かった。
「ええ。自前で球団が持てないかなと考えてまして。まあその関係で」
「四国の独立リーグ?」
「経営母体が貧弱でしょう?」
それは、確かに。
独立リーグはスポンサーを付けて活動しているが、基本的には懐事情は厳しい。
セイバーが資産家ということは知っている。しかし球団経営というのは、個人の資産で賄えるものではない。
いや、いけるのか?
そしてセイバーは小声で告げた。
「将来的には、16球団構想に参加出来ないかな、と」
驚く野中である。
16球団構想。それは日本のプロ野球球団を、あと四つ増やそうというものである。
構想自体は以前から何度も考えられてはいるそうだが、結局のところは実現していない。
だが一時期は落ちていた野球人気も、最近はまた回復しつつある。
スター選手がMLBに行ってしまうことが多かったNPBであるが、MLBからNPBに復帰する選手もいて、そこが上手く回っていることなのか。
「四国は交通の便を考えると香川県か徳島県でしょうか。高校野球人気は愛媛県が凄いようですけど。あとプロ野球人気も愛媛県と高知県は高いそうですね」
楽しそうにそう語るセイバーに、野中は圧倒される。
MLBとNPBをつなぐ大きな役割を果たしてきたという自負はある。
しかしNPB全体の構造を変えるような、そんな大胆な発想を持つ立場にはなかった。
「作られるとしたら新潟と香川、あと二球団をどこにするかですけどねえ」
「発想はすごいと思いますが、なかなか難しいでしょうね」
「そうですね。まあそこそこ気長に考えてはいますが」
「しかしどうして日本で? あなたならアメリカの弱小球団のフロントに入ることも出来るのでは?」
MLBは大きな球団は本当に金持ちで大きいが、弱小球団は本当に小さい。
弱小球団がそれなりにちゃんと成立するところが、アメリカの良さとも言える。
「簡単に言うと、日本の野球の方が好きだからです」
損得勘定ではなく、感情論であった。
面白いな、と野中は思った。
彼が代理人をしているのは、主に野球である。一応サッカーにも手をだしているが、それは副業とでも言っていいだろう。
そもそも彼は短期間であるが、プロ野球選手であったのだ。最もファンは多いと言われているタイタンズで、故障するまで三年間バットを振っていた。
「四国は分かるとして、新潟もですか」
「北信越にはプロ球団がありませんが、独立リーグがあります。これを母体にしたいですねえ」
「しかし北信越は難しいのでは?」
「まあ上杉君が七年後にはFA資格を取れますからねえ。もしその時に球団があれば、彼は絶対に新潟に戻ってきますよ」
愕然とする野中。
確かに上杉勝也は、郷土に対して並々ならぬ愛着を抱いている。
上杉一人の人気で、神奈川は前年を大きく上回る収益を出した。
彼は一人で客を呼べる選手である。
「あと二つは、鹿児島、山口、静岡、それに在京球団がもう一つぐらいあってもいいかなと」
そのあたりはまだ漠然としているが、野球人気の高いところは考えている。
野中は代理人であって、日米の球団を仲介もするが、NPBの選手の契約更改などでも関わって、かなり顔は広い。
球団経営などというリスクの高いビジネスに携わる気はないが、今のNPBではそれなりに、まだ働ける選手が放出されるのも見てきた。
使いようによれば、まだまだいける選手というのはいるのだ。ただその時のチーム構想に必要ないか、年齢がネックになるだけで。
「どれだけ先になるかは分かりませんが、その時は私も少し絡んでみたいですな」
大人二人が悪い笑みを浮かべていた。
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