第28話 自由人

 高校球児は基本的に、誰だって甲子園に行きたいという生き物だ。

 真面目に勝つために練習をするには、動機と目標が必要になる。それが甲子園なのだ。

 だから単純に野球が好きで、もっと野球が上手くなりたいという考えで進学した、一般的な高校球児の基準からは外れるような人間は、才能があってもドロップアウトしたりする。


 甲子園に行くためにはなんでも我慢できる。

 坂本天童は、そういう人間ではなかった。


 西東京の超名門、早大付属に入学して一週間で、坂本は退部した。

 特待生にとって退部というのは、そのまま退学につながる。もちろん怪我などでプレイが出来なくなり、マネージャーやスコアラーとして残る場合もあるが、坂本はそれには当たらない。

 建前としては一学年につき五人しか獲得できない特待生。それをあっさりと捨てた坂本は、当然のように生まれ故郷の四国に戻ってきた。


 頭はいいが勉強は出来ないタイプの彼は、瑞雲に編入することは出来なかった。

 シニアで坂本の才能を知っていた、瑞雲に入ったばかりの武市は、甲子園出場のためにも坂本を必要とした。

「じゃあ来年スポーツ枠で入ればよかろうが?」

 坂本は家も裕福であったため、末っ子が一年高校浪人と同じ扱いになるのも、鷹揚に許した。

 そう、多くの人が勘違いするが、坂本は転校したのではなく、一年遅れて高校生になったのだ。

 高校浪人を恥ずかしいと感じる神経は彼にはなかった。


 そして坂本は旅に出た。


 受験勉強するんじゃないんかーい!という言葉が聞こえそうだが、とりあえず秋から頑張る、と決めた彼は、一学期と夏休みの大半で、日本各地の強豪校を巡ることにしたのである。

 それは北海道から沖縄まで、全ての県を網羅しようという旅であった。

 この男、あらゆる意味で自由人すぎる。


 青森では津軽極星の大浦を見た。

 岩手では花巻平の大滝を見た。

 新潟ではもちろん上杉を見たし、石川聖稜の井口を見た。


 関東も北から見て行ったが、千葉では大河原と吉村を見たが、白富東は当時まだノーチェックであった。

 東京では当然、本多や榊原を見た。わずか一週間ではあるが同じ釜の飯を食った早大付属は、自分を引き止めた竹中にだけは顔を見せた。

 神奈川では実城と玉縄を見て、ヨコガクもしっかりと見た。ちなみに山梨はスルーされた。なぜかは知らない。


 愛知では織田を見たし、近畿は特に入念に見た。

(こりゃあアシが二年の時には、滋賀は要注意ぜよ)

 そう思いながらなぜか安土城址を訪れたりもした。何も残ってないのに金を取られた。


 大阪光陰は、やはり別格であった。

 しかしここも、入らなくて良かったと思うだけであった。


 中国地方は山陰と山陽の交通の便が悪く、あまり見れなかったとも思う。

 しかしまさか山口県に、あんな強そうなやつらがいるとは思わなかった。

 中卒無職の立場を利用して練習に潜り込んで、かなり仲良くなってしまった。

 体育科が出来たばかりの学校だったので、悪しき習慣がなかったのも良かった。それでちょっと長居をしてしまった。

 来年うちに入ればとまで言われたが、自由人の坂本も、不義理な人間なわけではない。

「甲子園で会おう」との言葉を残して、四国は後回しにして九州へ入る。

 修羅の国福岡のKKコンビ。

 そして本土最南端では、当時対外試合禁止であった、桜島の面々と顔をつないだ。


 桜島は鬼のような、体育会系と言うよりは、もはや武士道系とさえ言える、攻撃偏重のチームであった。

 坂本はそこで、名門を退学してぶらぶらと各地を放浪していた経験を見込まれ、西郷らと知己を得た。

 対外試合が禁止されていた桜島の面々に混ざって、坂本は厳しい練習を楽しく過ごせた。

 体育会系の上下関係が合わない坂本であったが、それよりさらにぶっ飛んだ桜島は逆に肌に合ったのだ。


 そして最後は、沖縄に渡った。

 沖縄ではとりあえず有力校を二つほど見物した後、一週間ほど早めのバカンスを取って、ようやく四国へ帰った。


 しかし今度は、甲子園への出張である。

 バックネット裏の席で、存分に甲子園を楽しんだのだ。

 実はすぐ近くに白富東の選抜メンバーがいたのだが、両者がまみえることはなかった。

 上杉が勝利し、春日山が敗北したのを見てから、ようやく高知に帰ったのであった。




 そんなすちゃらかな坂本は、一年生の時にはまともに使ってもらえなかった。

 しかし高知県大会の決勝で敗北した原因は、明らかに投手の力不足であった。

 キャプテンとなった武市も、坂本の起用を強く要望した。

 武市はこの時には、野球部の統率をつかんでいたと言ってもいい。

 父母会やOB会の力を得て、武市は己の要求を通すことに成功する。

 高校球児というよりは、政治家のような武市の働きであった。


 坂本は不義理な人間ではない。

 上下関係を屁とも思わない人間であるが、義理人情にはそれなりに筋を通す。

 なので武市たちの期待にはしっかりと応えて、エースとなったこの秋から、四国大会で優勝してしまったのである。

 規約の関連で、坂本は二年生の夏で公式戦は引退となる。一年のこの秋は、実質的には二年の秋なのだ。


 しかし四国大会で優勝したことで、とりあえずセンバツは決定し、最低限の義理は果たせたと思う。

 あとはどれだけ勝てるかだ。

(しかしまあ、白富東がここまで強うなっちょるとは)

 春の大会で勇名館を破ってはいたものの、ベスト4で甲子園常連のトーチバに敗れていた。

 進学校が当たりの無名選手をつかんで、そこまでは勝ったというのが関東を回っていた時の評判だった。

 その夏、甲子園のベスト4まで勝ち進んだ勇名館を、県大会の決勝では事実上破っていたと聞いて、見なかったことを後悔したが。


 だが、今年の夏は見た。

 県大会決勝で敗れた瑞雲が、新チームとして始動するタイミングで、甲子園にリアルタイム観戦に行ったのだ。

「アシより強いやつらを見に行く」それだけのメモを残して合宿所から消えた坂本は、また部内では問題になったものだ。

 そして確信した。

 白富東に勝つには、奇襲と奇策しかありえないと。




「ちゅーわけで甲子園で優勝狙うなら、ここは負けておくが吉ぜよ」

 坂本の出した結論には、瑞雲で最大の理解者である武市であっても頷けない。

 殺気立つ宿舎のホールで一人、武市は話の続きを促した。

「単純に佐藤から打てるバッターがおらんし、白石を抑えられるピッチャーがおらんからぜよ」

「オンシ、もう少し詳しく言わんか」

 武市の言葉にばりばりと頭を掻いた坂本は、宿舎のホワイトボードを使って説明する。


 まず書かれたのは、四つの数字である。

「うちの平均得点と平均失点、そんで白富東の平均得点と平均失点ぜよ」

 直感型の人間と思われる坂本であるが、こういったことにはちゃんと数字を出してくる。

「まあ単純に、数字の上では勝負にならんぜよ」

「そんな数字だけを見ても、単純に比較は出来んがよ」

「じゃあ次に面白い数字を出してみるぜよ」


 坂本が書くのは、おおよそ0から3の数字。

 そしてその下には名前が書かれていた。

「こりゃあ白富東の失点の推移ぜよ」

「ピッチャーが何人もおって、守備もいいということじゃろうが。佐藤を全然打てんのは知っとる」

「それもまあ確かじゃが、予選から見ていって分かる通り、佐藤は弱いところ相手にはあんまり投げん」

 首を傾げる一同に向かって、坂本はにっかりと笑う。

「つまりアシらが今回はボロ負けして、甲子園で早いうちに当たれば、佐藤以外から点を取って、白石を敬遠で避けて勝てるということぜよ」

「アホかオンシは!」

 坂本の計画は机上の空論である。


 武市はトリッキーなプレイは平然と行ってくるが、ここまで戦略的には考えられない。

 あくまでもまともな高校球児なのだ。勝つために負けるという思考がない。

「しかしアギよう、まともにやったら白富東には勝てんぜよ」

 徹底した現実主義が、坂本の本質である。

 義理人情には厚いが、損得勘定はしっかりする。

「やってみんと分からんがよ。そもそも最初から負けるつもりで戦うがかよ」

 これだから高校球児は、と坂本は溜め息をつきたくなる。


 武市には夢がある。

 それは四国を、野球王国とすることである。

 現在も独立リーグのある四国であるし、過去には何度も甲子園を制覇してきたが、近年ではその成績にも陰りがある。

 特に高知県は高校野球がほぼ一強で、瑞雲を改革してもなかなか勝てなかった。

 なんだかんだ言って坂本がいてくれたからこそ勝てたのである。

 高知を中心に独立リーグの人気を高め、野球人口を再び増やし、野球と言えば四国と世の中に知らしめる。

 そのためには甲子園優勝を目指すのが当然であるし、坂本にもプロで活躍して欲しい。

 だがその手段はあくまで正々堂々としたものでなければいけない。


 このあたり、武市は頭が固いと思う坂本である。

 冷静に考えれば甲子園で優勝するには、瑞雲の戦力では相当に上手く立ち回らないと難しい。

 そもそも高知は長く栄徳が一強であり、夏にまた勝って甲子園に来れるとも限らないのだ。


 それに瑞雲は、甲子園を決勝まで戦うには、投手が足りない。

 全国制覇を狙うなら、投手有利と言われるセンバツに賭けるべきだ。

(別に反則するわけでもなし、そこは柔らこう考えんと)

 そう考える坂本は、武市を説得するのは早々に諦めた。




 神宮大会は出場チームこそ少ないが、その分国体以上に精鋭が集まっている。

「やっぱ最近は甲子園だけじゃダメで、文武両道がトレンドなのかなあ」

 ジンが調べる限りでは、瑞雲と明倫館だけでなく、大阪光陰も進学コースがあるそうな。


 さて、準々決勝第三試合は、白富東と瑞雲の戦いである。

 神宮大会は大学の部も同時に行われるために、試合間隔を空けることが出来る。

 もっとも一日に二試合は消化していくので、夏の甲子園の序盤のように、何日も期間が空くわけではない。


 ここまでに二回戦も消化して、あちらの山では大阪光陰と帝都一が勝ちあがっていた。

 そして白富東がこれから試合を行うわけであるが、先発が坂本ではない。

「温存するなら、次の試合だよね?」

 甲子園準優勝校、関東大会優勝校を相手に、エースを温存するのは冒険である。

 明倫館と北陽の勝者の方が、白富東よりは弱いはずだ。


 瑞雲の意図が分からない。

 強いて言うなら、エースへの継投を前提と考えていることだ。

 ここから試合は三連戦となるため、少しでも投手の負担は少なくしておいた方がいい。

 夏の甲子園はマウンドに立つだけで疲労するものだったが、それは極端としても三連投というのは、かなりしんどいものである。

「勝つつもりがないんじゃないか?」

 直史の言葉を、他のメンバーは理解出来ない。

「地区の代表になったことで、既にセンバツの出場は決まっている。それならセンバツで当たる可能性の高い他の地域のチームには、戦力を隠しておくとか」

「それで神宮に全力を出さずに負けるって? 夏の大会ならともかく、センバツでそこまでする意味がある?」

「それは、そのチームの価値基準だろうけど」


 四国・中国地方は、センバツの出場枠は二つ合わせて五であり、そのうち二は確実に四国から選ばれる。32校が選ばれるセンバツで、手の内を知られている四国のチームと当たる可能性はかなり少ない。

 それに勝ち進んでも、投手の消耗は夏に比べると少ない。また春は秋の地方予選はあまりデータとして役に立たない。

「センバツで勝つためにそこまでする?」

 シーナも疑問である。最後の夏に比べれば、センバツというのはそこまで重たいものでないと思うのだ。

 直史も別に、自分の意見が正しいと思っているわけではない。

「あとは普通に怪我とかな。とりあえず坂本はスタメンにも入ってないし」

 怪我ならば確かに不思議ではない。

 坂本のような長身選手は、怪我をしやすい傾向にあるのは確かである。


 坂本は夏には投げていない。秋の大会がデビューである。

 試合のブランクを考えれば、県大会か四国大会のどちらかで、故障したというのは確かに考えられないわけではない。

 瑞雲の意図が分からないまま、試合は始まる。


×××


 また濃いキャラが出てきたな……。

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