第26話 神宮大会

 甲子園で優勝することと、神宮大会で優勝すること、どちらの方が難しいか。

 選手からすれば、神宮大会に決まっている。甲子園は最高で五回挑む機会があるが、神宮は二回しかないからだ。

 だが高校球児に、甲子園出場と神宮優勝、どちらの方が嬉しいかを聞けば、おそらく大半は甲子園出場と答えるだろう。

 甲子園優勝ではなく、甲子園出場だ。

 高校野球は誰がなんと言おうと甲子園が中心なのであって、神宮大会や国体はおまけなのだ。

 神宮大会で優勝すればその地区のセンバツ出場枠が増えると言っても、そもそも神宮大会に出場した時点で、そのチームのセンバツ出場は決まっているも同然である。

 だから強いて神宮大会の意義を求めるとしたら、遠方の強豪と戦う機会があるということぐらいだ。


 しかし千葉県代表白富東高校にとっては、少しだけ意味がある。

 神宮大会において、千葉県は今までに一度も優勝したことがないのだ。

 なお初戦の相手である聖稜は、30年以上も前にだが優勝している。


「まあ今年は史上初の出来事が多いわけだし、しょぼいけどここでもまた、史上初の千葉県優勝を求めようじゃありませんか」

 ジンは軽く言っているが、東京を除いた関東のチームが勝ったのは、神奈川県が二回と、埼玉県が一回だけである。

 優勝候補に挙げられるのは、いつもと変わらない帝都一と大阪光陰であるが、戦力が落ちてないという点では、白富東も対抗馬ぐらいにはなっている。


 10校しかないのでその内の六校は一回戦が免除となるのだが、ここは白富東は抽選で負けた。

 一回戦の相手の聖稜は、北信越大会で春日山を破っている。

 主砲の井口は上杉からホームランを打っているのだが、夏の故障がまだ尾を引いているのかもしれない。


 この試合は先発をアレク、そして武史への継投を計画している。

 なぜ左を続けるのかと問われれば、単純な理由である。

 聖稜の主砲井口と月岡は左打者で、左ピッチャーとの相性があまり良くないのだ。

 いざとなれば直史がリリーフである。大学関係者が多いこの舞台で、彼は珍しくやる気である。




 なるほど、ここで将来野球をするのか、と直史は気が早いことではあるが、感慨深い思いを持っている。

 実際のところ、直史が大学で野球をやる意味は、薄れてきている。

 そもそもは武史や双子が進学する時、ちゃんとその選択が広くなるようにと、直史は千葉の国立を目指していたのだ。

 それがどうやら、武史も野球で大学には行けるか、もしくは野球で食べて行けそうである。

 双子は言うまでもなく、実は父よりも高い給料を貰っている。


 純粋に行きたい大学となれば、直史は普通に東大に行きたかった。

 実際問題、実家からでも二時間ほどをかければ、通えなくはないのだ。

 だが直史の将来就きたい職業は、公務員であった。しかも県内から移動しないタイプの職だ。

 だから地元の大学で、そのまま地元に就職すればいいと考えていた。それがまあ、色々な人との縁があって、東京の大学に進むことになった。

 大学野球は、まあ別に嫌というわけではない。古い体質ではあるそうだが、極端な話ここまでの状況になれば、嫌と思ったら辞めてしまえばいいのだ。


 本業は学業。直史はそう一貫して考えている。

 世の中には野球で大学に入学しても、野球部を辞めてクラブチームに入っている人間もいたりする。

 直史にとっては大学で野球をするというのは、その程度のことなのだ。


 本気でやる野球は高校までだ。

 直史は己の人生を変えた、今の白富東のチームメイトには、借りに近いものを感じている。

 だから全国制覇を目指す。ここまでは本気であるのは間違いない。


 だが大学野球は、別に野球で食べて行くわけでもないので、そこまでの成績を残す必要はないと考えている。

 もちろん単純に野球は好きなので、高いレベルで戦いたいとは思っている。

 しかし優先順位を変えてまでやる必要性は認めない。直史にとって野球は趣味か娯楽であり、人生ではないのだ。




 そんな心構えはともかく、この試合白富東は先攻である。

 夏の甲子園を準優勝、国体を優勝した白富東は、関東大会も決勝まで圧勝した。

 おそらく今、日本で一番強いチームである。そのつもりで聖稜の選手も監督も挑んでくる。


 先頭打者の中村アレックスは、巧打に加えて時には強打もまじえてくる。

 初球から手を出してきて、外野の頭を越えることが多い。

 ならばまずはアウトローへの球で様子を見たいと思うのは、野球の常識からして当然だろう。


 アレクは感覚で打つ。フォームが崩れようが、強くボールを叩ければ問題ない。

 特に最近は、アウトローの初球というのが、定跡の一つであると見抜いている。

 分かっていてもなかなか打てないので定跡であるのだが、アレクには通用しない。

 初球から打って、サードの頭を越えて、レフト線上へのヒット。

 快速を活かしてツーベース。まさによくある得点パターンでの出塁であった。




 今日の白富東は、倉田をスタメンのファーストとして使っている。

 先発がアレクということもあり、外野の守備力は低下している。アレクのスライダーはゴロを打たせることが多いので、また今日も内野は忙しくなるだろう。

 ピッチャーを一番バッターとして使うのはどうかという考えもあるだろうが、アレク以外に一番を打つとしたら、鬼塚あたりになるのだろうか。

 その鬼塚は10球粘った後に内野フライで倒れた。


 そして三番、白石大介である。

 秋の県大会では一時期調子を落としていたようだが、国体の決勝では二本もホームランを打っているし、関東大会でも勝負されればほとんどが長打を打っていた。

 ちなみに高校野球の公式戦における本塁打記録は、とっくに更新している。あとはそれがどこまで伸びていくかだ。


 かつて聖稜は甲子園に出場した時、自軍の四番を五打席連続で敬遠されて負けたことがある。

 自分たちがやられて嫌なことを、相手にもやる。それが野球で勝つための方法である。

 しかし自分たちに勝ったチームがその後どうなったかも知っているので、敬遠は出来ない。

 敬遠くさい四球ならば、大介は打ってしまう。


 いい加減に大介も分析されてきているので、弱点とまではいかないがあまり得意でない部分も分かってきている。

 代表的なのは左投手の曲がりのある背中からの変化球に弱いということだ。

 それでも軽く四割は打ってしまうのだが、これがホームランになる可能性は一番低いのだ。

 残念ながら聖稜に左腕はいないが、シンカー使いがいる。

 角度をつけて投げれば、ある程度は抑えられるかもしれない。


「あめーよ」


 当たりそうな軌道から、内角へと。

 それなりのコントロールで、インハイに。

 確かに大介の傾向からして、インハイは遠心力を使いにくいので、普通の打者とは違ってホームランを打ちにくい。

 だがそれも、程度の問題だ。


 体を開いて、しかしバットの出は遅くして、ミート重視のバッティング。

 それが腰の回転で低い弾道を描きながらライト方向へ。

 大会第一号のツーランホームランであった。




 一回の表、大介の後も連打が続き、30球以上を投げさせて三点を先制した。

「倉田はやっぱり五番だなあ」

 ジンが呟いたのは、倉田は帰ってくるバッターではなく、帰すバッターだと思ったからだ。

 実際、タッチアップで三点目が入ったのは、ランナーが武史だったからだ。これが倉田ならアウトだったかもしれない。


 それに倉田は将来的には正捕手となるので、四番まで任せるとなると、負担が大きい。

 やはり来年は、鬼塚が四番だろうか。

 武史の方は打率はいいが、長打力では劣る。ピッチャーとして武史の負担を考えれば、四番は任せるべきか。

 しかし三番打者最強論もある。これは大介にだけ適応されるものだろうか。




 そして一回の裏。

 白富東の先発はアレク。無数の種類のスライダーを投げる、変なピッチャーである。

 だがスライダーだけを投げるというのは、それほどおかしなことでもない。

 ストレートよりはスライダーの方が投げやすく、そして下手にストレートの球速を求めるよりは、肩や肘を痛めにくい。

 だからリトルやシニアでも、まず覚える変化球はスライダーが多い。


 そのアレクは先頭打者を三振にとったものの、二番打者に綺麗にレフト前に打たれた。

 変化球を打つのが上手い器用な打者なので、ある程度予想はついていたが、アレクの高速スライダーでも打てるとは。

 そして三番を内野フライに打ち取り、いよいよ四番の井口との対決である。


 現在の高校二年生で、大介を除けば一番評価の高い打者は、この井口かもしれない。

 一年の秋から名門聖稜の四番に座り、春と夏で甲子園に連続出場。

 三年には実城、西郷、織田といった強打、豪打、巧打のバッターがいたが、二年生では大介が打率もホームランも打点も、全てを独占している。

 夏の甲子園で活躍した二年バッターというのは、桜島にはホームランバッターがいたが、総合的には打率が低かった。

 帝都一やヨコガクの二年にもそれなりに評価された打者はいるが、今のところはこの井口がナンバーツーではないかと言われている。


(つってもアレクの方が打ちそうだけどね)

 ジンが要求するのはスライダーだ。大きく曲がるタイプである。

 井口の弱点は、左打者にとっては最も一般的な弱点であって、欠点とまではいかない。

 初球の膝元へのボールは、ストライクだが反応しなかった。

(インローの処理は強打者でも難しいもんだよな)

 二球目はさらに大きく曲がり、外角いっぱいに入るコース。


 アレクは頷いてセットポジションから投げる。

 左打者から見れば、外へ外へと逃げていく球。これをホームランにするのは難しい。

 しかし井口は踏み込んで、そのボールへバットを伸ばす。


 金属音が高く響いた。

 そして打球はレフトスタンドに突き刺さった。

 一回の攻防で3-2のスコア。

 点の取り合いかと思われた試合ではあるが、そう単純には進まない。

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