第23話 高校球児の修学旅行
文化祭でほどよく脳をゆるゆるにした二年生は、続いて修学旅行に向かった。
この季節、台風さえ来ていなければ、まだ沖縄は充分に泳げる水温である。
結局今年の夏休みは海には行けなかった。一応直史は夏休みの最終週、瑞希を田舎に誘ったのだが、それはデートと言うよりはお披露目に近いものであった。
なおその時、双子は武史の恋人枠でイリヤを連れて来て、やはり大変なことを起こしたのだが、それはまた別の話である。
那覇空港に到着した白富東の生徒たちは、初日はそのままホテルに泊まり、二日目にまず歴史遺跡を見学する。
琉球時代の王朝の宮殿に加えて、様々な貿易品が飾られた博物館などを回る。この日は完全に集団行動で、引率の教師も精神的には楽である。自由にさせる方が色々と考えてしまって気疲れするのだ。
二日目は石垣島に移動して海水浴。この日も団体行動なので、見て回ることは多くてもそれほど困ることは起きにくい。
三日目は沖縄本島に戻って自由行動となる。この日がやはり色々と問題が発生する。ひどいものではないが、とにかく予想外のことが起こることは多い。
とりあえず移動初日は、ホテルに到着することとなった。
ホテルと言っても沖縄には様々な事情で集団で訪れる団体が多い。
修学旅行客もそうであるが、NPBも沖縄でキャンプを張ることがある。
日本の本土がまだ冬である間に、沖縄でトレーニングするスポーツは多い。野球に限って言っても、私立の強豪はここで合宿をしたりする。
なのでこの時期には、修学旅行生相手の大部屋がちゃんと空いているというわけだ。同じく五月に修学旅行をする場合も、やはり沖縄の宿は空いている傾向がある。
基本的に野球部員というのは、問題を起こさない傾向にある。
なにしろ一億総配信者時代、問題が起こればその証拠を撮られることは多く、不祥事となれば対外試合禁止や公式戦不参加など、様々な処分が下される。
あるいは部員の不祥事で、学校側から大会参加を辞退したりもする。この場合は高野連もお目こぼしして、目先の大会だけを禁じる扱いに済ませたりもする。
もっとも白富東などは、問題行動は起こしても法律に違反するような者はほとんどいない。
全くいないと言えないのは、たとえば手塚のようなエロ関連での問題が起きたりするからだ。
未成年が成人誌を買ったりするのは、これまたネット時代においてはさほど意味があるものではない。
それに学校側も高野連も、婦女暴行などといった犯罪ならともかく、エロ本の所持ぐらいではさすがに咎めない。
不純異性交遊にしても、バレなければいいのである。校内でイチャイチャしすぎの二人は、そのうち厳重注意ぐらいは受けるかもしれない。
そんなバカップルは無視して、ジンはまた色々と考えていた。
沖縄はやはり暖かい。と言うか、まだ夏である。
冬でも絶対に雪は降らないここでは、冬の寒さで起こりがちの故障を考慮せず、体力の増進に努めることが出来る。
資金的な余裕さえあれば、白富東でもやってみたいものではあるが、年末年始は絶対に家で過ごすマンの直史がいたりするので、それも厳しい。
自分たちが引退した後なら、やってみるのもいいかもしれない。
「そういや沖縄の代表とは当たったことないよな」
集団行動なので、大介がジンと一緒に行動していたりもする。
大介は一応文系、ジンは迷ったが文系なので、この組み合わせも少し珍しい。
「沖縄は昔はすごく弱かったけど、今は逆にすごく強いね」
かつて県外チームとの試合さえ難しかった時代は、単純に沖縄全体がはっきりと劣っていた。
しかし2000年代半ば以降は、甲子園での勝利数はトップクラスとなっている。これは沖縄の地理的な要因による。
沖縄は暑い。あるいは、暖かい。
本土のチームが冬場は天候などによって怪我もしやすく、練習に使える時間が限られているのと違って、沖縄は常に全力で練習が出来る。
プロがキャンプを張るのも、そういった気候の有利があるからだ。とにかく雪が積もらないというだけでも、北海道や北陸、東北のチームと比べて有利なのである。
沖縄はとにかく、体を鍛えるには適した環境なのだ。
「ピッチャーでプロに行ったやつ、そこそこ多いよな?」
「そうだね。九州大会ではどうなるか分からないけど」
九州地区の選抜枠は四である。九州大会の組み合わせ次第ではあるが、有力なのは三校までは決まっている。
福岡、佐賀、鹿児島に抜けた実力のチームがあると言われている。そのうちの二つは白富東が夏に対戦した、福岡城山と桜島実業である。
沖縄もその恵まれた環境で存分に鍛えることは出来るが、春のセンバツに出てくるかどうかは微妙である。
修学旅行においても野球が頭から離れないこの二人は、間違いなく野球バカであった。
佐藤直史という人間は、少し接してみただけだと野球があまり好きではないのではと思われることがある。
広言している通り、プロ野球には全く興味がないし、野球よりも女を取る人間である。
しかしある程度の生活を接してみると、また違った方向に野球が大好きなのだと分かる。
就寝前、そして早朝。
他の生徒がわいわいと騒いだり、まだぐっすりと眠っている間に、自主的にトレーニングを行っている。
そしてそれは大介も同じであった。
軽いジョギングの後に、柔軟運動を終えてから、一方はイメージをしながらの素振り。もう一方はシャドウピッチングを行う。
大介の場合は習慣である。たとえ旅行中であっても、歯を磨いたり風呂に入ったりするのと同じで、やらなければ気持ちが悪いというレベルにまで習慣化している。
一方の直史は調整だ。自分の体が自分のイメージ通りに動かないことは、彼にとっては苦痛なのだ。
この身体操作のイメージが、実際の体の動きと完全に一致していることが、直史のコントロールの大元である。
「けどまあ、あんだけ野球に情熱注いで、才能もあるのにプロに興味はないってねえ」
まだ眠そうな顔をしながら、シーナは二人を見つめていた。
「野球自体は好きだけど、学生野球とかプロ野球は嫌いみたいだしね」
ジンもそれに受け答えする。
もしも、何かの間違いで直史が、野球の強豪校に入っていたら。
おそらくあっさりと辞めて、クラブチームでプレイしていたのではないか。
少なくとも体育会系の野球は、直史には合わないとジンも思う。
おそらく大学に進学しても、野球部の中では孤立するだろう。だが早稲谷に本当に進学出来るなら、あそこには北村がいる。
北村がいてくれれば、直史に野球部が捨てられることはないだろう。ジンはそう予想している。
さて、そんなストイックなところを見せる直史であるが、彼が欲望の中で唯一全く隠さないものがある。
性欲である。
二日目の石垣島での行動は、スキューバダイビング派と海水浴派に分かれるのだが、あまり泳げない瑞希に合わせて、直史も海水浴派である。
瑞希の水着は、パレオ付きのワンピースである。
胸元にフリルがついていて、控え目な胸を隠している。
直史は小さいおっぱいの方がどちらかというと好きなので、別に気にしなくても良いのだが。
(瑞希には白が似合うな~)
完全に色ボケしている、日本高校野球界のエースであった。
二人とも深い仲ではあるのだが、昼間の燦々とした日光の下で見る半裸の姿は、これはこれで乙なものなのである。
瑞希は清純派の色気があり、直史は体脂肪率の低い細マッチョ姿を晒している。
どちらもそれなりに高い需要がある。
主人公が色ボケしてキャッキャウフフしている、なんとも平和な修学旅行であった。
最終日の市内巡りも、お土産を買うのに数人ごとに分かれた自由行動となっている。
だがここで、野球を思い出すのが野球バカの面目躍如たるところである。
「お、バッセンがある」
大介が気付いて、ほいほいと誘いこまれる。
同行しているクラスメイトも、これは面白いとばかりに入っていく。
冷静に考えれば、いつも160kmのマシーンを打っている大介が、140kmも出ないマシーンを打つ理由はない。
ただ同行している者たちにとっては、彼の打力を間近で見るチャンスでもある。
大介が化物だとは、理屈の上では知っている。
超高校級だとか、まあ数年に一度の割合で騒がれるものとは隔絶した、空前絶後の才能だと言われている。
単純に数字だけを見れば、高校時代の清原和博や松井秀喜よりもはるかに上だとは分かる。
だが、それを体感しているわけではない。
100kmのストレートであっても、なかなか素人は当たるものではない。
昭和の昔であれば、子供は大概が空き地などで、野球をやった経験はあるはずである。
だが危険なことがとことん排除される現代では、日本人の基礎野球力は衰えている。
高校球児などの平均レベルは、むしろ上がっているだろう。だが間違っていてもスイングをきちんと出来る人間は減ってきている。
そんな中、120kmのゲージに入っていく少女が一人。
大介の御目付け役というわけではないが、同じ班行動を取っているシーナである。
バットコントロールとミート。おそらく白富東の中で、もっともそれを切実に意識しているのがシーナである。
彼女にとってはゆるい球を、確実に芯で捉える。それでも全打球がホームランの的に当たるわけではない。
しかし120kmという素人では打てない球を、簡単に弾き飛ばす。空振りはない。
「すげえ」
誰かが呟くが、大介の打撃はそれをはるかに上回る。
140kmというのは、素人には絶対に打てない領域である。
そもそも近くでは、目には見えても反応出来ない。
一定のリズムで、しかも同じコースに投げてくるのだが、大介にとってはカモでも一般人は絶対に打てない。
(俺も金持ちになったもんだよな)
中学時代はバッセンに通うような金などなかった。だから高校に入学して140kmレベルの投手と対戦しても、かなり狙いを絞らなければ打てなかった。
今は違う。慣れた速度なので、最初の一二球で機械のクセを見抜けば、全てジャストミート出来る。
ホームランの的に、連続して当てていく。
見えないほどの速い球を、完全に見えないスイングで打って、ガンガンとホームランの的に当てていく。外れはない。
余興としてはこれ以上ない大介のパフォーマンスに、どよめくのは級友たちばかりではない。
「白石だ」
「なんでこんなところに?」
「同じ制服だ。修学旅行じゃないか?」
「なんでバッセンにわざわざ?」
「そういう本能なんだろ」
この様子は一般の客によってこっそりと撮影され、SNSなどでネットに上げられた。
白石大介、バッセンでホームラン以外打ってない。なう。
まあどうでもいい出来事はあったが、問題にまではならなかった。
修学旅行中にまで人を集めてしまい、サインを求められる大介は自業自得である。
その間、真のエースは彼女と同じ班で、イチャイチャしながら土産物屋などを回っていた。
直史は容貌が高校球児的ではないので、ユニフォームを脱いでいれば、意外なほど第三者には見つからないのである。
同行している級友たちが砂糖を吐く中で、ペアのストラップを買っているところなどは微笑ましいではないか。
かくして修学旅行は終わった。
何も事件の起こらない、幸せな日常であった。
そしていよいよ、秋季関東大会が始まる。
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