第22話 高校球児の文化祭
秋季県大会は白富東高校の連覇で終わった。
最終的なスコアは8-2で、三里は少ないヒットから上手く得点につなげたと言えよう。
結果としては妥当だが、直史の無失点記録が途切れたことで、それなりの話題にはなった。
これで白富東は県内の試合では、あの夏のサヨナラエラー以来、秋、春、夏、秋と完全に覇権を握ったと言っていい。
帰還のバスの中でも、それほど暗い雰囲気はない。
「しっかし点を取られるっては言ってたけど、マジで取られるかね」
この日もノーエラーの大介であったが、直史に動揺はない。
「まあ審判の判断も確かめたしな。俺はお前の方が心配だよ」
「え、なんで?」
大介は完全に復調したと言っていいだろう。しかし問題はある。
後ろに続くバッターが強力であるにもかかわらず、敬遠されるようになってきた。むしろこれまでよく勝負されてきたものだ。
おそらくそれは大介の体格に理由がある。
こんなにチビの打者を敬遠したら、恥である。それがようやくなくなってきた。
関東大会ではひょっとしたら、まともに勝負されることは一度もないかもしれない。
今年の三年は投手もタレント揃いであった。150kmを試合で投げるような投手が、全国に何人もいた。
今の二年は、大阪光陰の豊田がブルペンでは150kmを投げたと言われているが、他に試合で投げたのは武史と岩崎だけである。
白富東は投手王国だ。
ジンの調べた限りだと、一応春のセンバツまでには150kmを投げてくるだろう投手もピックアップしてある。
大阪光陰だと真田が、一冬あればそれぐらいまでは球速を上げてくるかもしれない。
あとは肉体の成長に技術が伴わなかったものの、160kmを夏までには達成しそうな選手もいる。
「大阪光陰以外で投手が強そうなのは、佐賀、山口、高知、滋賀、西東京、岩手、北海道あたりが凄いのがいるって話だけど」
言ってはなんだが、微妙なところが多いような気がする。
それはともかく、白富東の二年生には、イベントが迫っている。
まずは文化祭。そしてその後に修学旅行である。
強豪校などは文化祭などはもちろん、普通の授業でさえロクにしないという人間が多いが、白富東はそうではない。
「去年の文化祭はね……」
ジンの呟きに、思わず遠い目をしてしまう野球部一同。
今年よりもはるかに低い戦力で秋季大会を勝ち進んだ野球部は、学校行事の方にロクに労力をかけられなかった。
そこで応援団との合同開催となったのは、男女逆転のシンデレラであった。
今思えばあれは、脚本を担当した文芸部が、悪ノリをした結果だったのだろう。
今年はちゃんとクラスの催しにも参加し、それぞれが楽しむらしい。
今年の関東大会のレベルを考えるに、舐めているとも言えるかもしれないが、本格的な強化は神宮が終わってからだ。
もっとも大部分の部員にとっては、それよりさらに先に恐怖の中間テストもある。
ここで悪い成績を取れば、放課後の補習となる。大介あたりは非常に危険だ。
そういう意味ではあくまでも野球を第二、第三の優先順位で考え、それなり以上の成績を取れる直史は、総合的な天才度では一番なのだろう。
そして白富東は進学校ではあるが、生徒にはガリ勉タイプというのはそれほど多くない。
趣味を極める過程で学習能力が上昇したという生徒が多いため、東大に入るものも多ければ専門学校に進む者もいるのだ。
白富東に入って普通に上位の成績をキープする人間というのは、テスト前だからと言って特に勉強をするわけではない。
普段から勉強をしていれば、問題なく上位の点数が取れる。それが超進学校のトップレベルというものだ。
その中の極めつけが、佐藤家の双子である。
世の中には一度読んでしまえば、本の内容全てにその応用まで、完全に理解出来るという人間がいる。
双子の知能指数検査は、小学校時代にはIQ160を超えるとまで言われていた。
その後の正確なテストではさらに高い数値が出たそうであるが、双子はそれでも二度目は本気を出していなかった。
つまり何が言いたいかと言えば、佐藤家の双子にとってテスト前の勉強など不要であり、東京に出てレコーディングの時間などを取れるということである。
なおイリヤはレコーディングスタジオの隅で、えぐえぐと泣きながら早乙女から勉強を教えてもらっている。
「昔は音楽って言うのは基礎教養だったのに……」
「留年する気がないならちゃんとしないと」
自分はマネージゃーであって家庭教師ではなかったはずだが、イリヤに音楽以外の時間を取らせるのは、業界全体の損失である。
よって一度の試験で必ず、進級出来るところまで持っていかなければいけない。
佐藤家の双子は他人に教えるのは下手なため、こういったところに役割が振られてくるのである。
大介の祖父のために、双子は時間を割いた。
才能のある人間には、その才能の奴隷になる責任が生じるが、双子の持つ才能とは音楽に関するものではない。
二人はイリヤにとっての楽器と同じだ。
だから人格の面が必要とした今回は、イリヤの意思を無視した形となっていたし、イリヤもそれは仕方がないと思っている。
だが巨額の金が動いている現在、プロジェクトの完成は必須である。
日本に育ったわけではないイリヤには分からないが、紅白歌合戦に出るというのは、この小さな島国の大きなマーケットでは、とてつもない意味があることなのだ。
イリヤが日本で作った楽曲は、まず『暁の歌』がある。
そして本来は白富東高校の応援楽曲であった『夏の嵐』を編曲し歌謡曲とした『Battle of the Summer』。
現在は三曲目のレコーディングであり、またCMとのタイアップで使われる予定だ。
主にクリスマス商戦で流れるCMなので、クリスマス、もしくは冬をイメージした曲となっている。
ここでレコーディングは完成し、もう二週間後には新しいCMで流される予定だ。
それに伴って、初のテレビ出演まで予定されている。
イリヤも日本に来てからは、初めての顔出しでの活動となる。あと、おまけもあるがそれは秘密である。
何度ものダメ出しをイリヤから食らった双子であるが、そちらはそちらでいい。
問題となるのはPVの方である。
ツインズの歌唱力は、その声量、音階、声質と優れた部分は多い。
だが真のミュージシャンにある、ソウルフルな部分、あるいは叙情的な部分が足りていない。
単に上手いだけでいいなら、確かに双子は傑出している。だが歌に何かを込めて歌うという点で、彼女たちは歌手ではない。
それを補うためのPVは、演出の基本部分こそイリヤが考えたが、その双子自らが踊りの演技は振付けた。
二人の本質は、ダンサーである。
その傑出した柔軟性、平衡感覚、そしてバネは、おそらく日本一のものだ。
二人が習っていたのは、バレエなのだ。
実は、双子のダンサーとしての最も肉体的に充実していた時は、中学二年生である。
それ以降は、段々と落ちていっている。特にバネがだ。
なぜかと言うと、おっぱいが大きくなってきたからである。
バレリーナ、フィギュアスェーター、体操選手。その全てに共通しているのは、胸の小ささである。
身体能力に関係のない脂肪の塊は、肉体のパフォーマンスを低下させる。
中学二年生の時、二人は月面宙返りが出来た。所謂二回宙一回ひねりである。
だが現在は、二回宙も出来なくなっている。胸が重くなりすぎたのだ。
もっとも柔軟性や筋力自体は衰えていないので、それでも並外れたダンスは出来る。
野球部の外でも、野球部を巡る事態は動いているのである。
そして中間テストが終わった。
大介は白い灰になっていた。二週間後には関東大会なのだが、大丈夫なのだろうか。
その前にも、文化祭がある。
今更であるが、白富東は二年生に進級時に、文系か理系にクラス分けがなされる。
他にも選択科目で教室を移動することはあるが、基本的にはこの二つに分かれる。
そして直史と瑞希は文系であり、同じクラスでもあるのであった。進路志望が同じなので、クラスも同じになりやすいというわけで、別に誰かが手を回したりはしていない。
他に野球部の二年では、ジンも同じクラスである。
白富東の伝統として、一年生のクラスは演劇を行い、二年生は模擬店や展示物を作る。
このご時勢、飲食関係は非常に難しいものであるが、そこは気合を入れて許可を得るのが伝統というものである。
催しとしては飲食関連で、料理部と協力した喫茶店となっている。
「しかし、またこれか……」
いささかならずうんざりとした声を出す直史であるが、クラスの準備をあまり手伝っていないこともあって、拒否権はなかった。
今年もまた、女装である。
二年一組の喫茶店は、男女逆転執事&メイド喫茶であった。
さすがに見苦しいためにスカート丈はロングであるが、ヘッドドレスなどは創作物の影響を受けているし、フリルもたくさん付いている。
ウイッグで黒髪ロングとなった直史は口紅にアイシャドウも付けて、やたらとでかい女に見えなくはない。
なで肩なのも、そう見える一因である。
去年と同じく、その似合いっぷりに瑞希は鼻血を流していた。
彼女は今回裏方なので、燕尾服は着ていない。可愛いので需要はあるのだが、嫉妬する彼氏を想像してクラスメイトが空気を読んだのである。
直史が独占欲が強いタイプというのは、もうよく知られている。
「しかしまあ、まだなんとか美人で通るなあ」
ジンはピエロの扮装をしている。女装要員は足りていたので。
直史は一年の秋が終わった時点で、もっとウエイトトレーニングをする予定であった。
それを避けたのは関東大会で準優勝まで進んだことで、球速アップをさほど必要と感じなかったことが一つ。
もう一つは下手に筋力を増して、コントロールなどのバランスが崩れることを避けたのが一つ。
去年は全国で通用するピッチャーが二枚しかいなかったので、春のセンバツを睨んでウエイトは最低限にとどめたのだ。
「今年は球速5kmは上げたいけどな」
直史の体格からは、145kmまでは筋肉を付ければ問題なく上げられると、セイバーがデータを残してくれていた。
神宮大会が終わり、対外試合禁止期間に入れば、本格的なウエイトを行う予定である。
細マッチョであった直史が、ついに普通マッチョに覚醒する時も近い。
女装した甲子園スターと写真が撮れるという触れ込みで、クラスの催しは大成功であった。
写真はクラスで用意したポラロイドを使い、スマホやデジカメなどでの撮影は禁止。
これでそれなりに写真の希少価値は上がるが、写真自体をスキャンすれば増やせることは増やせるので、流出の危険性はそれほど変わらない。
接客の時間帯を終え、バックヤードに入る直史。
クラスメイトの中には女装のまま、あるいは男装のまま文化祭を巡る剛のものもいるが、直史がそれをすると色々と騒ぎになってしまう。
ウイッグを外した直史は、精神的な疲労を感じてどっかりと椅子に座る。
それを見つめる瑞希の機嫌はとてもいい。
意外と言うべきか、なるほどと言うべきか、彼女にはいささか、性倒錯の傾向がある。
彼女特権で瑞希は、様々な直史の写真を撮影していた。
「……そんなに女装好きか?」
「そういうわけじゃないけど……」
珍しくむっつりとしている直史が、瑞希にとっては可愛く見える。
「ねえ、もう一度ウイッグ付けて、立ってみてくれる?」
直史はフェミニズムを正しく体現しているので、女性にも全く甘いところはない。
ただそれとは別に、弱い相手にはとことん弱い。
窓から差し込む秋の淡い光に照らされる直史。
「美しい……」
呟いた瑞希は、ぽすんと直史の腕の中に入ってくる。
「お姉様……」
倒錯趣味の彼女に対して、直史は軽く溜め息をついたが、すぐにノリノリになる。
「可愛い子、何をしてほしいの?」
そう言って瑞希の顎に指をかける。顎クイである。
「やだ、お姉様ったら」
少しだけ嫌がる素振りを見せる瑞希であるが、その目は潤んでいる。
いいのか? いいよな? いいだろう!
何かを待っていたかのような唇に、自分の唇を合わせる。
どぎつい赤を使っていたので、唇に色が移る。それを舌で舐め取っていく。
さすがに手の動きは服の上から触れるだけなので、見つかったら停学などというレベルのことはしない。
「今度、こんな衣装でしてみるか?」
「してみたいかも……」
上気した顔で呟く、ドスケベの素質を開花しつつある瑞希であった。
なお、この日の体育館で行われた合唱やバンド演奏では、またも騒ぎが起こったのであるが、やはりそれは双子とイリヤの仕業であった。
いいかげんに、こりてほしい。
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