第21話 失点

 佐藤直史は、自分の成績にはあまり興味がない。彼にとってピッチングとは手段であって目的ではない。

 進学に有利にするために、仕方なくノーヒットピッチングをしたり三振を取りにいったりしているが、基本的には試合での勝利以外にはあまり興味がない。

 一年の夏に戦った黒田、秋には実城、春は本多、夏に戦った西郷、織田、そして後藤。

 そうそうたるメンバーであるが、直史が脅威を感じた打者は一人だけであり、それは公式戦での戦いではなかった。


 大介以上の打者はいない。あとは織田が少し厄介だっただけである。

 ワールドカップも樋口がリードしてくれるので助かった。

 捕手としての技術は、ごくわずかだがジンよりも樋口の方が上だと思う。あと相性だ。

 直史とジンは一年からの付き合いであるが、読み合いについては樋口の方が直史に合っている。

 ジンもそれなりに性格は悪いが、樋口は基本的に自分以外の人間はほとんど馬鹿だと思っていて、より冷徹な判断をしていたと思う。


 基本的に直史は、ちゃんとキャッチャーが捕ってくれて、平均程度の守備力があれば、点を取られないように計算して投げている。

 それでも味方のエラー、天候による想定外、あとは誤審などによって敗北はしている。

 計算出来る部分では取られないが、計算外の部分で失点するのだ。




 そんな直史は本日、関東大会で優勝するために、検証しなければいけないことがある。

 審判の判断、その中でもストライクゾーンである。


 クロスプレイでの判定などは、それほど誤審は多くない。

 近くプロと同じくリクエストシステムが入るらしいが、それも甲子園などの全国大会か、地区大会の決勝などになる方針であるらしい。

 日常的にプレイしていて、何よりも審判の判断を信用出来ないのは、ピッチングにおけるストライクとボールの判定である。

 ストライクゾーンの定義とは色々と言われているが、実は本当は、主審がストライクゾーンと思ったらストライクなのである。

 ゾーンを通過していても、山なりのカーブやワンバンのフォークがボールになる理由はここにある。

 審判の恣意的な判断とも言えるが、これが両チームのピッチャーに適用されるのであれば、それなりに公正ではある。

 コントロールのいいピッチャーは、さらにゾーンを大きく使えばいいからだ。

 審判を審判する。傲慢な考えだが、実際に試合の行方を左右されるのだから、実際にやってもいいだろう。


 それともう一つ、直史には不安がある。

 白富東の得点力が、下がっているのではないかということだ。

 もっと正直に言えば、自分の試合の時には得点が取れていない。

 それは相手チームの打線も考えれば、確かに得点は変わる。

 だが明らかに、自分が登板する時は、1-0で勝つ試合が多い。

 逆に岩崎は1-0で負けた試合はない。


 昭和の大投手江川卓。彼はその高校時代に何度ものノーノーや完全試合をしている。公式戦だけでも九回だ。

 しかしそれは逆に、彼がそこまでのピッチングをしなければ試合に勝てなかったということでもあるのではないだろうか。

 ピッチャーが良すぎると打線が堕落する。

 春日山にしても、一点取れば上杉勝也が完封してくれるから、もっと早く甲子園で優勝できたはずなのだ。

 彼もまた、1-0で負ける試合が多かったというか、負けた試合が全て1-0である。


 直史も参考記録であれば、もう10回以上ノーノーを達成している。

 だがそれを参考記録ではなく、本物のノーノーやパーフェクトにしてしまうのは、打線にとっては屈辱であると感じてほしい。

 ノーノーやパーフェクトをするピッチャーだって、別に何度もしたいわけではないのだ。

 二三回は箔をつけるためにしてみたいだろうが、あとはもっとあっさり、コールドや継投で楽をしたい。少なくとも直史はそうである。

 あとそれとは別に、この試合は倉田を育てる。

 ジンもだが、倉田も直史の微調整を信用しすぎている。

 1cm単位でコースを調整しろなどと投手に要求していたら、普通はブチ切れされる。


 打たせて取る。

 その意識で、一番の厄介な西は三振で取ったが、二番の星にはゴロを打たせた

 いい当たりであったが大介が追いついて、上半身だけで送球しアウト。

 相変わらずとんでもない守備力である。はっきり言って大介は、この守備だけでもプロに行けるとさえ思う。




 しかし無駄な記録はそろそろ消しておきたい。

 直史だって、一点や二点は取られてもいいという試合で投げたい。

 なので抜いたわけではないが、倉田のリードに首も振らず、淡々と投げる。

 三番の東橋が、振り遅れながらもバットに当てた。

 それは痛烈な当たりではなかったが、ぽとんとレフトの前に落ちたのである。


 直史は冷静である。ゾーンをやや内に入れたから、打たれる可能性は高かった。

 だが倉田は動揺している。自分のリードで打たれたと思っている。

 実際のところは直史が、審判の見分けがつきやすいように、いつもより遅い球を投げたからである。

(審判に見極めてもらうにも、普通に相手も打ってくるからなあ)

 帰ってきたボールを受け取って、じっと見る。


 三里の得点力は低い。守備は堅いが、ピッチャーそのものは打てないわけではない。

 白富東にはホームランを打てるバッターが他にも何人もいる。


 そして四番の古田である。

 塁に出してうるさいのは西であるが、打者としてはこの古田が一番厄介だ。

 倉田は慎重に、初球カーブから要求する。直史も異論はなかったが、そのカーブで東橋が走ってきた。

 カウントを取り、長打を避けるために遅くて曲がるカーブだったのが失敗だった。東橋はそこそこ足は速いが、盗塁が多いイメージはない。

(さあどうリードする? 一塁が空いたから、四球でもいいんだぞ)


 直史は四球が嫌いであるが、ツーアウトランナー二塁からなら、普通に敬遠することに文句はない。

 しかし倉田はマウンドにやってくる。

「すみません」

「単打でツーアウトだ。気にするな」

 直史は冷静である。

「で、古田はどうする?」

「ここは三振に取って、相手の意気を挫きたいです」

「分かった」


 直史は頷いたが、倉田の判断を甘いと思う。

 ジンはなんだかんだ言いながら、最悪を想定してリードをする。

 倉田は投手の気分を良くする配球を考えるが、どこか楽観的である。

 基本的に投手はイケイケ、捕手は悲観的というのが、野球の一般論である。

 直史としては捕手は、イケイケでも悪くはないと思う。

 要するにバッターの裏をかけばいいだけであって、倉田はまだどこかそこが甘い。

 打てるキャッチャーではあるのだが、もう少しキャッチャーとしての考えが足りない。


 再度走ってきた東橋に対して、外の高めに外した。

 しかし古田がそれを打ちにいって、ライト線へ。

 長打にはならないが、それでもスタートを切っていた東橋がホームに帰るには充分。


 三里高校、同点に追いつく。

 そして佐藤直史の無失点記録は、80イニング目にして途絶えた。




 次の打者を打ち取ったが、同点には追いつかれた。

 しかしそれだけでは、このベンチの空気は説明出来ない。

 打たれた直史よりも、倉田の方が沈んだ顔をしている。

「おい、まだ同点だぞ」

 他のメンバーは冷静で、逆に気を引き締めた顔をしているが、倉田だけは顔色が悪い。


 この回の先頭は、五番の倉田からである。

「倉田、そんなに気にするなら、狙ってけ」

 責めるでもなく、直史は言う。

 そもそも無失点記録などというものは、試合の勝敗と比べれば意味がない。


 バッターボックスに入る倉田の顔には、悲壮感さえ漂っている。

「大丈夫なのか、あいつ」

 打席でプレッシャーを受けても、負けたことのない大介が呟く。

 プレッシャーは悪いばかりのものでもないが、あの倉田の様子はあまりよく見えない。


 だが、鷺北シニアの人間は知っている。

 あの表情になってからの倉田は、強い。

「モトなら打つだろ」

「打つわね」

 ジンとシーナは確信している。




 倉田は反省していた。

 白富東には、素晴らしいピッチャーが何人もいる。おそらく全国を見てもこれだけ投手が揃っているチームは、私立の超強豪を入れても他にない。

 特に直史は、高校球史に名前を残すピッチャーだ。ノーノーとパーフェクトを甲子園でやった投手は、彼しかいない。上杉勝也でも出来なかったのだ。


 それが、貧打の三里に点を取られた。

 確かに古田だけは要注意のバッターであったが、その前の東橋にしたところで、初球の盗塁も含めて、見通しが甘かったのだ。


 倉田は人格者というか、あまり他人に怒りを見せることはない。

 しかし彼が沈んでいる時、それは己に対する怒りに燃えているのだ。


 あの一点は、自分の責任だ。

 だから、自分が取り返す。


 東橋の球を、狙う。

 左投手であるが、それほどに苦手とは思えない。同じ一年であるが、左で恐ろしいピッチャーは、同じ学校に二人もいる。


 自分への怒り。それをボールに叩きつけろ。

 バットでいくら殴られても、唯一問題のない存在へ、倉田は怒りをぶつけた。

 飛んだ球は勝ち越しとホームランとなった。




 ホームラン二本による二点。これは、三里にとってはついている。

 もしも一人でもランナーがいれば、得点差がもっとついているからだ。

 他にもヒットは打たれているが、それが得点にはつながっていない。

 そして三回の表からは、星がマウンドに立つ。


 オーバースローとアンダースローを投げ分けるのは、はっきり言って変態である。

 だがどちらから投げようが、星の球の遅さが変わるわけではない。それでも打ちにくいのはアンダースローだ。

 しかしそのアンダースローを、二巡目のアレクは軽々と外野に運んだ。


 アレクが難しい球を平気でヒットにするのは、よく知られていることである。

 続く鬼塚も外野へフライを上げた。深めに守っていた西が追いついたが、タッチアップでアレクは三塁へ進む。

 ランナーがいる状況で大介と勝負することは出来ず、ここは敬遠。

 白富東の応援が多い球場では、ブーイングの嵐である。


 このあたり星のメンタルは強いが、大介を敬遠したからと言って、そのあとに続くのが武史と倉田である。

 アンダースローから投じられる、一度浮き上がってから落ちるナチュラルな変化球を、武史は容易く外野に運んだ。

 またも西の守備範囲であったが、ここであっさりとアレクがホームに帰ってくる。

 三点目。三里の得意なロースコアゲームにはしない。


 昨日の一夜漬けとも言える練習の効果が出ている。

 倉田もまたヒットを打ち、今日は六番の戸田も、センター前にヒットを打つ。

 星はオーバースローにアンダースローを混ぜてきたが、これも昨日の練習で想定してきたものだ。

 これで四点目。

(こりゃもっと点数を取られても大丈夫だな)

 呑気に考えている直史であった。

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