第17話 敵に回せば恐ろしい
六回の表、守る白富東は、守護神がマウンドに登る。
この大会でようやくヒットを打たれたものの、いまだに無失点イニングは記録継続。
かつての江川や上杉と違い、マウンドを分け合えるチームメイトがいるとは言え、この無安打記録はおそらく永遠に破られることはないだろう。
運が良かっただけだ、と直史は思う。
江川や上杉とは違い、直史はある程度打たせて取るタイプの投球をしている。もちろん点を取られないことを前提に考えてはいるが、120球投げてノーノーを達成するより、ヒットを打たれても100球以内の完封を目指す。
当たりそこねで、ヒットは打たれるはずなのだ。それがここまでヒットにならなかったのは、主に俊足の外野二人と、スーパープレイを連発するショートのおかげであった。
守備陣の数値を入れた上で評価はするべきだ、と直史は思う。
だが無失点記録は狙っている。
白富東の野球と言うのは、極論を言えば大介が打って直史が抑えれば勝つのである。
飛躍となった一年春の勇名館戦でも、大介が決勝打を打ち、直史が失点はしたが抑えた。
高校野球史上最高の激闘とまで言われる夏の準決勝も、大介の取った一点を直史が守った。直史の個人的な感想では、去年の上杉が大阪光陰と戦った決勝が、一番伝説的なものだと思う。
今の直史はどうか。
ストレートの速度はアップし、変化球の精度はさらに磨きがかかり、コントロールは全く落ちていない。
配球もリードも、自分でそれなりに出来る。そして魔球だ。
だが最大の武器は、コンビネーションだと思っている。
スルーでさえ、三球続ければ打たれるのは、大介相手に確かめてある。
甲子園で戦った大阪光陰と今の帝都一を比べると、三年だけに限って言えば、帝都一の方が打力のバランスはいい。
大阪光陰の三年は、加藤と福島がホームランを打つタイプのバッターだったが、打率自体はそれほど高くなかった。
初柴が四番を打っていたが、長打力では一年の後藤が上だったし、あとは数字を見れば二年の大谷もバランスのいい選手であった。
この国体で大阪光陰と帝都一が対戦し、帝都一が勝利したのは、打力の絶対値と投手の絶対値で明確に差があったからだ。
福島と加藤はいい投手であるが、一発病を除けば本多の方が上であることは間違いないであろう。
そして打力にしても、大阪光陰の上位打線がつなぐ打線でも、本多から連打は出来ない。
下位の加藤と福島には一発があるので当然気を付けていたので、感覚で生まれるホームランがなかった。
春の関東大会、そして夏の結果などから見て、帝都一は日本一になっても全くおかしくないチームである。
それがずっと最後の座に就けなかったのは、それこそ運としか言いようがない。
国体は甲子園に比べればはるかに、そして神宮と比べても落ちる大会ではあるが、全国制覇の機会はもうここしかない。
そう思って全力をぶつけてくる帝都一の打撃陣を、直史はひょいひょいとかわしていった。
先頭をあっさりとピッチャーゴロに打ち取ると、次は三番の榊原。
高校野球ではピッチャーで四番というのが珍しくないように、二番手ピッチャーの榊原も、本多がいなければ四番でピッチャーという選手である。
たとえば過去の甲子園で言うなら、桑田がいなければ清原はピッチャーもやっていただろうし、清原がいなければ桑田は四番も任されていた可能性が高い。
その榊原相手に投げたのは、左打者には逃げていくシンカー。
それを当たるような角度で投げたので、榊原は腰が引けてしまった。
(春には投げてなかったな……いや、ここまでの変化は甲子園でも……)
直史は肩や肘の故障知らずであるが、一度だけドーパミンの過剰分泌で肘を痛めたことがある。
全力のスルーを投げるとそうなった。だからあれ以来、力任せにボールを投げることは一度もない。
シュートやシンカーは、全力で投げれば肘への負担が大きい。もちろん投げ方にもよるが。
これだけの変化するシンカーは、そうそう投げる投手はいない。
(基本的に佐藤は、ムービング系じゃなくてブレーキング系なんだよな)
二球目は懐に抉りこんでくるようなスライダーだった。打ちに行けば抉りこんできて、これも打てない。
(変化球二つで、最後はストレートか、スルー)
そう読むが、さらに遅いチェンジアップを投げてくるかもしれない。
直史の投球は、とにかく球種が多いのと、それが見事にタイミングを外し、コントロールされている。
ランナーのいないこの状況では、チェンジアップの可能性も捨てられない。ワールドカップでは同じ投手として出場したので、簡単に同じ球種を違うスピードと変化量で投げ分けるのを見てきた。
しかもフォームは全く変わらない。球種とスピードによっては、ピッチトンネルまで同じなのだ。
投げられたのは――ストレート!
完全にボールの下を振り遅れて、ワンナウトとなった。
四番ピッチャー本多。
帝都一の長い名門としての歴史の中で、ピッチャーが四番を任されるということはそうそうなかった。
関東では神奈川湘南の実城と並んで、一年の夏から強打の選手として有名であった。
ピッチャーとしては本多が上回り、バッターとしては実城が上回る。
だがその差は、とても高いレベルでのわずかの差だ。
高校通算本塁打で多く水を空けられているのは、本多がピッチャーとして投げなかった試合で、ベンチメンバーとなることが多いからだ。
本多はたとえプロで一発病が頻発しても、最悪バッターで使うことが出来る。そう考えて球団関係者は彼を強く推している、
だがそういった編成部の人間は勘違いをしている。
本多はピッチャーをしているからこそ、四番を打つことが出来るのだ。
事実外野で出た試合より、ピッチャーで出た試合の方が、打率も長打率も高い。
それはおそらくピッチャーという緊張感のあるポジションであることで、打撃の方にも集中しているからだ。
リードを完全に石川に任せてはいるが、打者が何を狙っているかは直感的に察知する。
いいバッターこそ、封じなければいけない。それが本多の一発病の背景である。
(俺相手ならいきなりスルー)
握りまで教えてもらったが、どうやっても自分では投げるのは無理だと判断した。
本多の変化球は切るのと抜くのが投げ方である。スライダー、シュート、フォークだからだ。
だがスルーという球は、スロー映像を見ても分かる通り、捻りながら押し出すという投げ方なのだ。
初速から減速する速度が少なく、それでいて下に変化していく。バックスピンのかかったストレートを善とする価値観では、この球を投げることは出来ない。
そんな変化球が、いきなりきた。
(打てる!)
コンビネーションの中で最大の効果を発揮するボール。だが初球ならその限りではない。
そう思った本多であるが、振りにいったバットに球が届かない。
(チェンジアップ!?)
直史はこれまで使わなかった。使う必要がないのと、使った時の危険性が高いので。
しかしジンは要求し、直史も首を振らなかった。
本多は大きく体勢を崩したが、下手に当てにいくことはなく、そのまま空振りする。
スルーチェンジ。減速しないスルーとは逆の、減速が多いスルー。
本来なら投げる意味のない球種であるが、これがあると分かっていれば、打者を惑わすのには役に立つ。
名徳の織田のような、ミートの達人相手には役に立つ球である。スルーという球の打ちにくさを、更に高めるためのものだ。
これを使ってきたということは、それだけ本多を厄介な打者として認めたということでもある。
(次は本物のスルーか、ストレートか……)
投じられた球は、落差の大きいスローカーブであった。
ストライクゾーンを通ってはいたが、ワンバンになってボールのコール。これは仕方がないことであり、バッテリーにも動揺はない。
遅い球を見せられた。では今度こそ速い球か。
そう思ったところへ投げられたのは、チェンジアップであった。
遅いボールには慣れているところへ、また遅いボール。本多はそれに当てたがボテボテのファール。
ツーストライクと追い込まれた。ここまで遅い球ばかりを投げてこられたので、ここで速球が来れば対応出来ない。
本多は打席を外すと、軽く素振りする。頭の中から遅い球のイメージを消す。
消えたか? それは打ってみないと分からない。
勝負してくるか、もう一球布石を打ってくるか。
本多に投じられた第四球は、速い!
140kmに満たないストレートの下を振って、本多は三振した。
直史の球を、基本的にバッターは打てない。
ボール球で釣ってくるというのも少ないのに、最速140kmに満たないストレートしか持っていないのに、打てない。
無理にボール球や、わずかに外してきた変化球を打っても、ほとんどは内野ゴロになる。ショートかサードに打たせれば、強肩で敏捷な内野陣は、内野安打を封じる。
遅いが伸びのあるストレートを打てば、打ちそこないのフライになる。外野は俊足であることが多いので、これもまたアウトになる。
どうやれば、こいつを打てるのか。
直史の投球動作は、まさに機械的である。
特定の球種を投げる時の癖などないし、勝負球を投げる時に発する気迫なども感じさせない。
キャッチャーの方も意識しているのか、下手くそな捕り方はしないし、偏った配球もしない。
ワールドカップではクローザーを務め、二年になってからはリリーフで登板することが多いが、基本的には先発で完投する能力がある。
投手としての適性は、おそらくピンチでも全く動揺しないことから、クローザー向けではあるのだろう。
どうすれば打てるのか。
回は進む。本多の調子も悪くない。いや、気力も体力も漲っていて、絶好調と言える。
一発病も、ジンに打たれたあれ以外は出ていない。
得点も、大介に打たれた二本のホームランだけである。逆に言うと、絶好調の本多相手でさえ、簡単にホームランを打ってくる。
回は進む。
八回の表が終わって、帝都一は直史の交代以来、一人のランナーも出せていない。
逆転されたあの一点が、重くのしかかってくる。そして八回の裏には、大介に四打席目が回ってくる。
四度目の勝負をするのか。そこでホームランを打たれたら、勝負は決まる。
石川には迷いがあり、本多にもまた迷いがあった。
アレクを打席において、迷いの投球など許されない。
甘く入ったボールが左中間へ。回り込んで捕球したレフトであるが、アレクは二塁に到達していた。
併殺を狙うことも出来ない、確実に大介に打順が回る状況。
最後の山場がやってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます