第10話 神話崩壊

 群馬国体白富東の初戦は、宮城県代表の仙台育成。

 先発したのは背番号11の佐藤直史である。

 全国レベルでの経験の少ない下級生キャッチャーを相棒にしても、彼の投球術が狂うことはない。

 使える変化球の球種は多いというか、ほとんどの球種を使える。曲がる方向、曲がる角度、曲がる大きさ、そして同じ曲がりでもスピードが違う。

 だが一番恐ろしいのは、これだけの球種を投げ分けて、それを狙ったコースに狙った角度で入れられることである。


 スピードがないからプロでは通用しないと本人は言うが、そのスピードも一年の頃から間違いなく上がってきているし、ストレートだけのコンビネーションでも三振が取れる。

(てか、普通に130km台後半が出るんだから、全国レベルでも通用するのに)

 あとは魔球だ。

 ワールドカップでも誰にも打たれなかったあの球だけで、普通にプロでは通用すると思う。

 実際にプロ注のドラ一候補の打者が、変化球であっさりと打ち取られていくのを何度も見ていた。


 つまるところ、単純に純粋に、野球を仕事にするつもりがないだけなのだ。

 佐藤家の長男として、先祖代々の土地を継承し、次代につないでいくこと。

 時代錯誤としか思えない価値観であるが、本気でそれを実行しようとしている。

 そしてそのための現実路線は、間違ってはいない。

(もったいないって言うか……)

 倉田はそんなことを考えながらリードする。


 直史は倉田のリードに全く首を振らない。

 そして精密に構えたところに投げ込んでくる。

「あ」

 外したカーブを狙い打たれて、ライト前に転がった。

「あ」

「あ」

「あ」

 ノーヒットイニング記録が途切れた瞬間であった。




「すみません」

 思わず内野が全員集まってしまうが、沈んだ顔をしているのは倉田だけである。

「ボール球を打たれたんだから仕方ない。それにそろそろ打たれる頃だって言ってたろ」

 直史はそう慰めるのだが、倉田としては自分のリードが悪かったとしか思えない。


 ここまでの佐藤直史の記録は、公式戦に限って言っても、85イニング連続ノーヒット。

 打者にして255人連続で凡退に抑えるか歩かせていたわけである。

 とても人間の可能な数字ではない。

「まあ勝ってる試合だしな。これが一点を争ってるとかなら、そりゃまずかったかもしれないけど」

 今日はセカンドに入っていたジンも、特に問題だとは思っていない。


 おそらく直史が本当に本気であったなら、打たれないボール球を投げていただろう。

 しかしこういう記録は、見ている分には面白いかもしれないが、守備や打線には逆に悪い影響を与えるとも直史自身が言っていた。

 近い内に、わざと打たせると。

 記録は問題ではない。問題は、勝つか負けるかなのだ。


 スコアは4-0で白富東がリードしていて、出たのはツーアウトからの六番バッターであった。

 まあこれから下位打線ということを考えると、普通ならば得点を許すことはないのかもしれないが……。

「あ~、代打か」

 上半身の筋肉が盛り上がった打者が、ベンチの前で素振りしている。

「倉田、あいつのデータ入ってるか?」

「はい」

 直史に問われて、倉田はすぐさま応える。

「よし、ならさっさと抑えて忘れよう」




 直史の変化球で一番多用されるのはカーブである。

 そのカーブも変化量、変化方向、スピードにコースと、投げ分けることが出来る。

 カウントを稼ぐにも、決め球にするにも、見せ球にするにも使える、汎用性の高い球種だ。

 だが最近の直史の投球は、ストレートの割合が多くなっている。


 スピードガンで計る限りでは、直史のストレートはMAXが139kmである。

 だが実際はコントロール無視で投げれば、142kmまでは上がる。

 試合での最速は、137kmぐらいだろう。県内であれば充分に速球派ではあるが、それでもこのレベルの球速なら、普通にそこそこの強豪にはいる。

 岩崎や武史が150kmを投げるのに比べれば、常識的なストレートなのだが、それでもどんどんと、ストレートで空振りや三振を取ることが多くなっている。


 おそらく打者の側に、直史は変化球という考えが強いからだろう。

 しかしそれとは別に、直史のコースを突くストレートと、空振りを狙うストレートは、明らかに質が違う。これも事実だ。

 投球フォームは変わらないのに、軌道や減速度が違うストレート。これをバッターは打てない。


 変化球打ちの得意な、スイングはコンパクトにして飛ばすのはパワーという代打を、直史は初球のカーブ以外はストレートで打ち取った。

 ゾーンぎりぎりで追い込んでから、質の違うストレート。

 ストレートの種類を変えるだけで打者を翻弄するというのは、まさに投球術の成せる技である。


 この日の試合、白富東は5-0で勝利する。

 直史の投球はヒットを一本打たれたものの、四球も一つも無い、打者28人で終了という準パーフェクトとも言える内容。

 大介がいなくても直史を攻略しない限り、白富東は負けないという内容であった。




 直史の投げる試合では、選手の疲労度が少ない。

 なぜなら根本的に、守備をしている時間が短い上、守備機会も少ないからだ。

 そしてボール球は振らせるボール球が多く、ツーナッシングからでも平気で三球勝負をする。

 そんな訳で試合を終えた白富東は、またスタンドで戻ってきたわけである。


 試合中は気にしていなかったので分からなかったが、先ほどの場所には淳がもういない。

 帰ったのかと思ったら、仙台育成の応援席側から戻ってくるのを見た。

「向こうに行ってたのか?」

「白富東のベンチの中を見たかったから」

 そう言った淳は、乾いた溜め息をつく。

「何かあったのか?」

「仙台育成の応援席の近くにいたんだけど、知り合いに会ってさ。俺は顔しか憶えてないんだけど、散々高校野球は甘いもんじゃないとか言われた」

「ますます行く気なくなったか?」

「まあ過去にも不祥事起こしてるしね」


 淳から詳しい話を聞いてみれば、典型的な古い野球のイメージを思わせるチームだ。

「あそこ、一時期は色々と改革しようとしてたんだけどなあ」

 ジンもある程度は知っているが、古い体質の人間がいる限り、せっかくの改革も頓挫することは多い。

 何しろOBなどは、古い成功体験を持った人間であるからだ。

 自分がそれで成功した人間が、それをもって指導するわけだから、同じタイプの人間しか成功しない。

 日米の野球の比較は良くされるが、まずアメリカが合理的であり、先進的であるということが言える。


 日本の根性論などはよく揶揄されるが、アメリカにだって精神論はある。

 ただ日本の根性論は選手にばかりそれを求め、どうすればメンタルが成長するのか、指導者側がそれを知らない。

 だからとにかく精神的に追い込むしかないのだが、フィジカル頼みの選手は、メンタルを成長させることが出来ずにそこで脱落する。

 脱落した選手を、しょせんはその程度だったのだというのは、単に指導者層の怠慢である。

 指導者がとにかく、選手に適した練習法を考えなければいけないのだ。自分の考案した練習法で伸びた選手以外を切り捨てるというのは、今の時代は許されることではないだろう。




 色々と聞いて、なるほどと納得する白富東である。

 たとえば野球は、シニアにおいては指導者に問題があると思えば、他のチームに移籍するだけである。

 直史の場合は学校の部活でやっていたので、自分で工夫するしかなかった。

「ぶっちゃけ先輩とかOBなんて、自分が苦しんだから、下も苦しまないと気がすまない人間の集まりだしね」

 ジンが本当にぶっちゃけてしまった。


 白富東は、現在そういう練習は行っていない。

 練習が楽かと言えば、決して楽ではない。

 だが言えるのは、練習時間は短い。

 セイバーの残してくれたコーチ陣によって、選手に適したメニューが作成される。それにジンやシーナが口を出すこともある。

 コーチ陣は、その選手に対して不可能なことは絶対にさせない。

 ただ、割と直史などはその上限ぎりぎりの練習量を確保している。


 軽いランニング、綿密な柔軟体操、それから投球練習。

 バッティングピッチャーも割とすることが多い。打者相手に投げるということを繰り返し、試合と単なる投げ込みとの温度差を調整する。

 あとは体幹トレーニングが多い。

 ウエイトはほとんどしない。するにしてもその合間に柔軟を必ずする。

 最低でも一日300球は投げ込むし、多いときは500球ぐらいを一日に投げ込む。

 それで壊れないのかと言われれば、壊れない。

 ただし岩崎や武史などは、そこまでは絶対に投げ込まない。


 淳が進学してくれば、彼にも適した練習法を考え、それを伸ばしてもらうことになるだろう。

 指導者の役割は、勝てるチームを作ることではない。

 選手の能力を上げ、チームの能力を上げることである。

 力の上がったチームで勝つことは、指揮官の仕事である。




 淳は軽く話しただけで、そこから帰った。

 下手に白富東の人間と一緒にいれば、色々と面倒が起こると考えたからだ。そもそも接触した時点でその危険は高い。

 ただ同じ接触した人間と言うなら、仙台育成も同じなので、あまりそのあたりは問題視しにくいだろう。

 次に会うのは、白富東の受験の時かもしれない。


「そういえばこの間の学校説明会の時なんだけどさ」

 九月の下旬、秋季大会の途中で、平日に行われた中学生向けの学校説明会があった。

 ジンはそれに参加して、野球部についての説明もしていたのだ。

「赤尾と青木がいたんだよな」

「ああ、いましたね」

 説明会の後、グランドを見学する姿を、倉田も見ていた。

「あいつらまさか、うちに入ってくるのかな?」

「いや、もう今の時期なら進路も決まってると思いますけど」


 違うシニアであるが、そもそもシニアは違う中学の人間が集まっているため、一つの中学から一つのシニアにしか入れないわけではない。

「モト、一応後輩とかに、あいつらの進路が分からないか聞いといてくれる?」

「分かりました」


 白富東は強い。それは間違いない。

 だがさすがに、武史たちの世代が抜ければ、その力はかなり落ちるはずだ。

 同じタイミングでコーチ陣の契約も切れるので、そこからはどうチーム力を維持するかがポイントとなる。


 来年の新戦力で、期待できるのはまず、セイバーが手配してくれているはずの外国人留学生。

 これはかなり特殊な扱いであるため、ほとんど傭兵のようなものになる。

 アレクと同レベルの選手が入ってくれるなら、間違いなく一年目から戦力になる。

 それと淳。直接の球を受けてみればまた違うのかもしれないが、少なくとも地方大会レベルでは、既に使える人材だ。

 国体のこと、そして秋季大会のことを考えながらも、ジンは来年の春にまで思いを巡らした。




 残って見ていた試合で、春日山が負けた。

 これで国体のベスト4が残ったわけであるが、そのうちの二校が夏の甲子園のベスト4である。

 準決勝の第一試合は 白富東 対 前橋実業

 第二試合は 帝都一 対 立生館


「こりゃお隣さんとの決勝になるかね?」

 ジンから話を振られた直史は、軽く頷く。

「本多が気を抜いて、あとよほどの不運がない限りは、帝都一が上がってくると思う」

 今年の春の関東大会、決勝と同じ相手。

 三年生だけの戦力なら、帝都一は大阪光陰にも勝っている。


 明日の前橋実業戦でも、エースの調子次第では、かなりの苦戦が予想される。

 一応大介は、今夜にはこちらに到着の予定である。

 しかしここのところの不振に加えて、移動による疲労、またメンタルの要素も考えないといけない。


 大介が戦力になるかどうか。

 それが一つの大きな鍵となる。

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