第9話 野球少年の光と影

 おおよそ権益の発生するところには、人間の欲得が思惑として存在する。

 高校野球がいくら健全な精神の育成を謳っていても、それを守るべき大人の側が、子供を自分の商品や駒のように動かしていては仕方がない。

 淳の進学の問題も、その一つである。

 以前は高校野球のスカウトとシニアチームの間では、明白に莫大な金のやり取りがあった。

 バーターで他の選手を付けて私立に送りつけるというのは、現代の人身売買の一つと言ってもいいだろう。年々そのあたりも厳しくなっている。


 高野連は様々な問題を抱えていることは事実であり、その対応もあまりに厳しすぎるという意見もあるだろうが、野球特待生の数を五人にまで制限したりといった動きは、悪いことではない。

 それでも私立は様々な奨学金を用意して、実質的には特待生として、有力選手を扱う。

 そもそも推薦や体育科以外は入部出来ない高校もあるのだから、高校野球を美化して宣伝するのは、白けること以外の何者でもない。

 直史はスーパースターとして持て囃されるが、自分が世間の求める高校球児の像から遠いことは知っている。


 淳のような例は、別に珍しいことではない。

 自分の希望していたところとは違う高校に進路が決定する。シニアの有力選手であれば普通のことだ。

 だが淳が違うのは、そういう自分の意思を無視されることを、とことん嫌う性格であったということだ。


 一流、あるいは超一流になる人間は、一見して相反するようなものに見える性質を備えている。

 その一つは、素直であること。

 もう一つは、頑固であることだ。

 文にすると矛盾しているようにも感じるだろうが、現実では間違っていない。


 淳の場合は、とにかく野球が上手くなりたいということに関しては素直である。

 しかしそのための方法を自分で決めるという点では頑固なのだ。

 自分が納得していなくては、全力を尽くせない。全力を尽くすためにはいくらでも頑固になれる。

 そして彼が狡猾である点は、最悪白富東のルートがダメだった場合、しれっと特待生として入学する選択肢を捨ててないということだ。

 ジンはそういう人間が大好きである。




 ジンとしては話を聞く限り、淳の考えに味方したい。

 そもそも論として、合法的に戦力になってくれるなら、入部してくれるのは大歓迎なのだ。

「それで、もう伯父さんたちや爺ちゃんたちには話したわけか」

「うん、無理なら地元の公立に行くって言ったら、父さんたちは応援してくれた」

 宮城県には公立でもスポーツ科を持つ学校があり、甲子園で勝ち進んだ実績もある。

 だがそこまでするぐらいなら、普通に私立にそのまま行った方が、良い環境で上達するとも思うのだ。

「一度決めたことを曲げるのは嫌いなんで」

 淳に甘いと言うよりは、息子の頑固さを知っている両親が、溜め息をつきながらも諦めたというところが本当のところだ。


 制度的に考えれば、淳の案は全く問題ない。というか冗談の中で、直史もジンも話し合ったことがある。

 しかしそれを実現させて、自分の意思を押し通すというのは、やはり佐藤家のメンタルである。

 淳は香宗我部家なのだが、この性向は似ている。


 才能のある者には、我儘を通す権利がある。あるいはそれは、義務にもなりうる。

 謙虚さを持たない者は本当の一流にはなれないというが、自分を曲げて大人に従うだけの人間は、どこかで後悔するに決まっている。

 困難や苦境を前にした時、自分の状況を他人のせいに出来るからだ。

 人間は後悔する生き物であるが、どうせする後悔ならば、自分の意思で決めた後悔の方がいい。誰の責任にすることも出来ず、立ち直るしかないからだ。

 淳の選んだ道は、最善ではないかもしれないが、それでも自らが選んだ道である。

「それで、手続きの方はどうするんだ?」

 方法は分かっていて、既に了解も得ているとしたら、あとは事務的な問題である。

「手続き自体は別に大丈夫なんだけど、一応そういうことに詳しい人が千葉にいないかって聞いたら、ナオ兄が分かるって」

「ああ、そうか」

 確かにそうだ。


 また高野連が注目しそうなことではあるが、この件に関してはむしろ、高野連は味方をしてくれるだろう。

 健全な高校球児は、己の意思によって進学先を決定するべきであり、これを何者かが金銭的な利益のために利用することがあってはならない。

 それに根本的な問題として、公立高校である白富東には、特待生も推薦もないので、外野からどうこう言われることもない。

 仙台のシニアチームがいくら吠えようと、千葉県と隣接する茨城県からしか入学できない白富東は、痛くも痒くもないのだ。

 それにここまで覚悟の決まった人間が、後輩として入ってくるのは歓迎である。

「まあ、偏差値は高いから、ちゃんと勉強はしとけよ」

「双子ほどじゃないけど、ちゃんと点は取れるから大丈夫」

 癖が強いのも確かであろうが。




 時間となり白富東は待機するためにスタンドから降りる。

 試合運びは前橋実業がリードして進めていたが、直史の目から見ると立花と高橋のバッテリーが、上手く機能していないのではないかとも思えた。

 大学へ進む者と、プロへ進む者。

 あるいはワールドカップである程度出番のあった高橋に比べると、立花はDHとしても最後には大介に役割を奪われていた。

 祝勝の席では全くそんな様子は見せていなかったが、後から何か言われて、気分を害したのかもしれない。


 白富東は人間関係でめんどくさいことになったことはない。

 一応レギュラー争い程度のものはあるが、幸いこれまでは部員数が少なかったこともあって、陰惨な足の引っ張り合いなどはなかった。

 野球で将来食べていくというほどの覚悟の、上級生がいなかったのも良かったのかもしれない。鈴木や田中はマウンドにもベンチメンバーにも拘らなかったし、水島のように黒子に徹してくれる人間もいた。

 現在の二年生にも野球研究班に分類される者はいるし、白富東の野球部のシステムを知って、後から入部してきた野球研究班の一年もいる。


 チームワークとムードは、とても良いチームだと思う。だが爆弾が眠っていないわけではない。

 そのうちの一つがシーナだ。


 シーナはマネージゃーとしても、練習補助員としても、その実力を野球部全員に見せ付けてきた。

 だから彼女が監督として采配を振るうことも、認められている。女だから、などと言ったら佐藤家の双子が飛んできてプライドをボキボキに折ってくれる。

 彼女が来年の春から、選手として登録されること自体は、認められるだろう。

 しかしより高いレベルの試合になっていった場合、フィジカルの差がいずれは彼女のテクニックを上回るかもしれない。

 エラーでもしたら、心無い言葉で叩かれることも覚悟しなければいけないし、元々白富東を強豪と認めて入部してくる一年などは、陰口を叩くかもしれない。


 ちなみに直史は、岩崎が彼に対するコンプレックスで、何度か闇落ちしかけたことに気付いていない。

 あと自分の言動や行動によつ軋轢を、単なるじゃれあいや掛け合いとしか感じていない。

 救いがたい男である。


 軽くストレッチをしたり、あるいは音楽を聴いたりして、各自がそれぞれにメンタルを調整している。

 本日は先発の直史は、キャッチャーの倉田と最後の確認だ。

「そろそろ打たれるから、心の準備しておけよ」

 直史の身も蓋もない台詞に、思わず硬直する倉田である。

「ナオ先輩が打たれるって、どういう冗談ですか?」

「俺のピッチングは基本的に打たせて取るタイプだろ? 今までは野手の正面に行ってたけど、そろそろポテンヒットぐらいはあってもおかしくない」

 簡単に二桁奪三振をする人が、何か普通の人間のようなことを言っている。


 確かに直史は打たせて取ることの方を重視しているが、それはそういうピッチングも出来るというだけだ。

 本気で集中すれば、大阪光陰のパーフェクトや、ワールドカップのパーフェクトを達成しうる。

 絶対に打てないほど速い球は上杉勝也が投げるが、意識の外から来る変化球も、打てない球である点は同様である。

「調子は悪くないんですよね?」

「倉田、この世に絶対に打たれない防御率0の投手はいない」

 いや、あんたは例外でしょうと言いたい倉田である。

「言い方を変えようか。俺の調子はヒットを打たれても、その後を封じるぐらいには悪くない。だから新しく挑戦していこう。バリエーションが多いほど、変化球投手は強い」


 国体のベスト8で、平気で新しいことを試す。

 この強心臓は見習いたくない倉田である。

(ナオ先輩ってネガティブな発想はするけど、ネガティブな対策はしないよな)

 強気と言うよりは、恐ろしく冷静で計算高い。

 メンタルお化けのスーパースターに、戦慄を隠せない倉田であった。




 前橋実業が接戦をものにした後、ついに仙台育成と白富東の試合が行われる。

 万一の迷惑も考えた淳は、仙台育成側の応援席へと場所を移動した。

 考えてみればこちらからの方が、白富東のベンチの中は良く見える。

 本当に女生徒が監督のように、ベンチの中で動いている。


 もっともこの場所に座るというのは、問題が起こる可能性もある。

「あれ、淳じゃんか」

 離れて座って見ていた淳であるが、仙台育成のユニフォームを着た少年が、たまたまこちらにやってきていた。

 見れば、どこかで見た顔ではある。名前を憶えていないということは、憶える必要がなかった相手ということだ。

 それにアルプススタンドにいるということは、ベンチメンバーでもないということだ。

 とりあえず頭だけは下げておく淳である。顔自体は憶えているから、知り合いなのは間違いない。


 しばらくじっと凝視するが、やはり思い出せない。

「お前、平日なのになんで応援に来てんだ? まあ入学前なら問題になるのはお前の方だけど」

 馴れ馴れしいところを見ると、おそらくリトルかシニアで、同じチームであったのだろうか。

 仙台育成も三年生チームなので、この応援の選手も三年ではなかろうか。現在中学三年の淳とは、接点はないはずだが。


 学校を休んで試合を見に行くというのは、間違いなく問題行動である。

 これが高校の野球部であれば、高野連がまたうるさい。

 義務教育でないのだから、それはもう個人の問題だと考えるのが、佐藤一族である。

 実際のところは自治体や政府からも金が出ているのだから、ちゃんと授業に出ていないのは問題である。

 双子あたりは、じゃあ自分たちよりちゃんと成績を出している人間が、他にいるのかという反論を平気で行うが。


 淳の場合も、ルール厳守主義ではない。

 義務教育を粛々と守るよりも、自分の人生を左右する問題に立ち向かう方が重要である。

 もちろんこんな考えの人間が多数派になれば問題であるが、必要な時にルールを破っていくのが、彼のスタイルである。

 ……なお、直史はルールの範囲で問題を解決する。


 それはともかく、目の前の人物である。

 誰ですか、と訊いてもいいのだが、せっかく関係者がいるのだから、情報を引き出すべきだろう。

 そう考えて淳は、相手を誘導しながら、自分のほしい情報を手に入れた。

 頑固で直情的なところもあるが、相手の裏を書くのが好きなタイプのピッチャーとしては、当然の能力である。

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