第7話 あなたがいなくても

 葬式が忙しく面倒なのは幸いである。

 大切な人を失った悲しみを、忘れさせる効果があるから。


 ユニフォーム姿のままだった大介は、まず家に帰ることになった。

 葬儀は家で行われる。大介の実家もそれなりの広さがあるため、代々葬式は家で行ってきた。

「で、お前らはいつまでいるんだ?」

 さりげにでもなく、堂々と家まで付いてきた双子であった。

「普通にお手伝いするつもりだけど?」

「お葬式って忙しいからね」

 大介の家も佐藤家ほどではないが、近所付き合いが多い家である。田舎というのはそういうものだ。

 佐藤家の場合は先祖の七回忌や十三回忌など、しょっちゅう坊主が来るので、ゴーイングマイウェイの双子であっても、祖母からそういった躾を受けている。

 冠婚葬祭で働くのは女の仕事。挨拶して酒を飲むのが男の仕事。

 少なくとも佐藤家はそうである。


 実際の差配をするのは祖母であろう。

 喪主は長男である伯父であるが、五年近く関西で過ごしているので、奥さんと娘二人が実働部隊となる。それに祖母と大介の母だ。

 伯父はそれ以前も東京に住んでいた時間が長いので、大介の母ほどにも動けないだろう。

 ご近所の奥さんや娘さんが手伝うのが当然というのが、佐藤家の周辺の集落の常識である。このあたりも住宅を見るに、おそらくそうだろう。

「そういや、法事もあったか」

 大介がこちらに引っ越してきてから、法事がなかったわけではない。

 だが公式戦と重なったため、そちらを優先していたのだ。


 結婚や葬式ならともかく、既に死んでしまった人間を懐かしむのは、死者を知る人間である。

 だから普通に大介も、試合のほうを優先していたし、祖父母も母も何も言わなかった。

 本当はそういう場面で顔を出して、交流しておくのが田舎の掟である。

 実際の手順は祖母か母が帰ってこなければ分からないので、とりあえず行うのは掃除となる。

「大介君、お腹空かない? 冷蔵庫の中使っていいなら、何か作るけど」

「あ……いや、それより試合どうなったかな」

「勝ってたよ。スマホにメッセージ来てたし」

 大介はスマホの電源を切っていたことも忘れていた。

「明日はじゃあ栄泉か」

「大介君はお婆ちゃんとお母さんと一緒にいないとね」

「いや、でも、いや……そうか、そうだな」


 栄泉相手に自分なしで、と考えて気付いた。

 今、本当に自分を必要としているのは、祖母と母だ。おそらく。

 大原相手に、今の自分はむしろ、足を引っ張るかもしれない。

「連絡しとかないと」

「しておいたよ」

「いつの間に……」

「歩きながら。大介君、ぼっとしてたから」


 あれ、何かがおかしい。

 ふわふわする。


 大介は居間に入ると、テーブルの椅子に座った。

 白石家は基本和室であるが、台所だけは違う造りなのだ。

「大丈夫? 何か飲む?」

「え? あ……」

 大介が答える前に、冷蔵庫から出した麦茶をコップに入れ、目の前に置く。

 そして大介を挟むようにして座った。


 肩も触れないように、わずかに距離を置いている。

 大介は頭がくらくらとするまま、コップを手に取ると一気に麦茶を流し込んだ。

「先に着替えたら? あとシャワーも浴びて。その間に何か、軽くお腹に入れられるの作っておくから」

「ああ、それはそうか」

 ここしばらく、双子は連日大介の家に来ているので、勝手知ったる他人の家となっている。

「わり、じゃあ頼むわ」

 考えてみれば祖母も母も、ほとんど病院に詰めたようになっていた。

 汚れた洗濯物や、いつもとは違う味付けで冷蔵庫の中にあった料理は、この二人が作ってくれたものなのだろうか。

 今更ながら大介はそれに思い至った。




 泥にまみれたユニフォームだけを籠に入れ、他は洗濯機に放り込む。

 温めのシャワーで汗を流して着替えてみれば、太陽は西に傾き、窓からの光も赤みを帯びたものになっていた。


 テーブルの上には、本当に手早く作ったらしい卵と野菜の炒め物。

 テレビが点けられて、ナイターが始まろうとしていた。

『シーズン終盤、まさかの上杉クローザー起用から、ここまで奇跡の九連勝の神奈川、今日勝つと11年ぶりのリーグ優勝です』

「へ? 上杉さんクローザーやってんの?」

「やってるよ~」

「19勝0敗で6セーブポイント」

「見てなかったの?」


 九月の初め頃までは意識していた。あの頃は確か順位が三位で、どうにかクライマックスシーズンに出られるかというポジションにいたはずだ。

 上杉が19勝にまで勝ちを伸ばしていたのも知らなかったし、クローザーをしているのも知らなかった。

「大変だったからね」

「野球も見てなかったんだね」

 なぜだろう。

 別に食事中にテレビを点けて、スポーツニュースを見るぐらい、いつもやっていたことではないか。


 ああ、そうか。

 いつもそうしていたのは、祖父だった。


「大介君、上杉さんの記録とか、ちゃんと見てた?」

「そういや18勝目を挙げたところからはちゃんと見てなかったかな」

「19勝目で二回目のノーノーやって、そこからはクローザーしてたんだよ。通算で29登板、19勝0敗6セーブ、完投12、完封9、防御率は0.98で、勝ち数だけは二位だけど、あとは奪三振とかも全部一位だね」

「あ~、あの人やっぱ、プロに行ってもバケモンだったんだな」

 世界レベルでも化物と言われたバッターが何か言っている。


 舞台は甲子園球場。大阪ライガースを相手に、リーグ優勝を決める試合が行われる。

 そんな試合であるのに、胸に湧き立つものがない。

 ああ、ダメだ。

「俺、もうダメかもしんない」

 ぽろりと、そんな言葉が洩れた。

「大介君なら大丈夫だよ」

「悲しみは時間が解決してくれるって、イリヤが言ってた」

 双子は実際には、今まで悲しいと感じたことさえほとんどない。

 お互いがいたから。

 どんなことがあっても、二人ならば平気で乗り越えてこれたから。




 だが大介は違う。

「俺、全然周りのことが見えてなかったよ。お前ら、すごく助けてくれてたんだよな」

 祖父のことが頭から離れなかった。

 野球に集中しようとしたが、それは逃避だった。

 もちろん祖母も母も、大介に気を遣っていたのだろう。

「ごめんね」

「なんでお前らが謝るんだよ」

 むしろ大介は、感謝すべきである。

 この二人は確かに騒がしく、色々と引っ掻き回してはくれるが、変に悲しんだりはしなかった。

 母が大介の前で、仕事をする顔でずっと接していたように。


 だが、違うのだ。

「あたしたちの歌じゃ、お爺ちゃんを元気に出来なかったから」

「……いや、お前らのおかげで、爺ちゃんはすごく楽そうに……」

 安らかな顔で、眠ることが出来た。

 その瞬間、何かがこみあげてきた。


 喉が痙攣する。

 目が熱くなり、あふれる。

「くっそ……」

 大介は顔を覆って、顎を上げる。


 こみ上げてくる。

 大介、と自分を呼ぶ祖父の声が好きだった。

 一緒にプロ野球中継を見るのが好きだった。

「間に……合わなかった……」

 声がひきつるのが分かる。しゃくりあげる。震える。


 一年の夏なら。あの頃の祖父は、ずっと元気だった。

 あの夏に、自分が一本打っていれば、甲子園に祖父を連れて行くことが出来た。

 後からするから後悔という。結果から見れば、この世には後悔が多すぎる。


 野球を見ながら話すことも、野球を見てもらって応援してもらうことも、もう二度とない。

 肩を震わせる大介を慰めるのに、双子は術を知らない。

 二人はあまりにも、他人の悲しみに無関心で生きてきたから。


 大介はこらえる。

「わり……ちょっと一人にしてほしい」

「ダメ」

 気配が動いて、二人は大介を左右から包んだ。

「おっぱい揉む?」

「揉まねえよ!」

 引っ込んだ。


 手荒に二人を引き剥がし、大介は頭を振る。

 それでもまだ目の周りは赤かったが、もう潤んではいなかった。

「お前らほんっと、人の気持ちを考えないよな!」

「分からないからね」

「良くも悪くもね」


 少しだけ元気を強制的に取り戻させられた大介は、用意していた食事に手をつける。

「……」

 無言のままの食事。

 双子の視線を感じながら、大介は腹を満たした。




 準々決勝の舞台に、大介がいない。

 応援席ではベンチにすら入っていないことに驚くが、事情は自然と知れて行く。

 千葉県と言っても大介の家のあたりはまだまだご町内の関係が強いし、こういったことは事実だけに隠しておくことも難しい。

 親が死んでも試合には出ろという輩もいるのだろうが、それは白富東の野球部ではない。


 対戦相手は大原を擁する私立栄泉。夏の大会では簡単に撃破した相手である。

 戦力は当然ながら下がるが、それでもスタメンのレベルが違いすぎる。


 試合の直前、直史は妹たちからの報告を受けていた。

「どうだって?」

「明日が通夜で、次の日が告別式だってさ」

「ってことは、国体の初戦は間に合わないか。二回戦からで良かったとも言えるか」

「家によるだろうけど、大介の場合は同居してたし母親もいるから、そんなに拘束はされないと思う」

 ジンと話し合い、準々決勝の翌日から、群馬で開催される国体について考える。


 既に抽選は終わっていて、白富東は二回戦となる準々決勝からの参戦が決まっている。

 対戦相手は岡山県代表倉敷南陽高校と、宮城県代表千台育成の勝者となる。

 チームの実力もそうであるが、移動の手間などを考えて、仙台育成が有利ではないかと思われている。


 ここで勝ったらおそらくは準決勝はよく分からないが、決勝では帝都一か大阪光陰が上がってくる可能性が高い。

 事前の情報だと春日山は三年の半分ぐらいが抜けているので、一回戦で敗退することもありえる。

「またお前に負担かけるけど、一点も取られないことが大事だからな」

「分かってる。それよりも、どこか安全な場面で、ヒット一本打たれた方がいいよな」

「あ~、それもあるか」

 直史の無安打記録は、甲子園からずっと、ワールドカップと練習試合、そしてこの県大会でも続いている。

 こういう記録はたしかに偉大なものだが、さっさと終わらせて守備陣の精神的な圧力をなくしておきたい。

 他の誰にも、シーナにさえも聞かせない、部室裏でのバッテリーの会話であった。




 大介のいない準々決勝。

 先発は岩崎で、直史も珍しく打線に入っている。

 得点力が下がっているので、高打率高出塁率の直史が、外野に入るのだ。

 岩崎は打率はそこまではないが、長打はあるので九番でアレクとつなげる打順とする。


 栄泉はワンマンとまでは言わないが、大原が中心となるチームである。

 最高学年となる秋の大会からは、かなりそのパフォーマンスを上げてきている。ここまで五試合に先発していて、わずかに二失点である。

 最初はストレートが速いだけのピッチャーであったが、その速度をさらに上げると共に、変化球を使ったコンビネーションを覚えつつある。

 だがそれでも、彼一人をマークしていれば、今の白富東は順当に勝つことが出来る。


 試合前のノックでも、少し皆の動きが硬い。

 やはり大介がいないというのが、数字以上に重く感じられている。

 バッテリーが勝負してきたら、ほぼ確実に一点は取ってくれる打者がいないのだ。


 先攻は白富東。

「分かってるだろな。大介なしで苦戦してたら、白富東は大介さえ抑えればいいなんて思われるからな」

 チームを引き締めるジンの言葉に、全員が頷く。

「ブラック会社じゃないんだから、選手がちゃんと休めるようにしようぜ」


 そして先頭打者のアレクがホームランを打って、試合は始まった。

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