第6話 静かに
幸福である人間は、その幸福を失う不幸が訪れる危険に常に晒されている。
極端な言いようだろうが、これは真実なのだ。
大介の現状は、誰にでも起こりうるものである。核家族化の進んだ現代ではあまり認識されていないが、避けられない現実である。
秋季大会が始まる直前、白富東は明らかに弱くなっていた。
絶対的なエースなどが存在するワンマンチームは、その一人が何らかの事情で調子を落とした時、あっけなく敗れる。
だが白富東は直史や大介といった、凄まじいまでのスペックを持つ選手はいるが、それでもキャプテンであるジンと、まとめ役のシーナがいることにより、組織的な強さを保っていられる。
よって確かに戦力は低下しているが、それでも県内で苦戦するようなことはないはずだ。
九月の下旬、いよいよ土日祝日を使って、秋季県大会本戦が開始される。
ブロック予選免除の白富東は、新チームの公式戦初披露となる。
トーナメント表を見る限りでは、三回戦までは全く問題ないだろう。
準々決勝ではおそらく大原の栄泉と当たるが、夏の結果を考えても、まだそこまで危険視するほど成長しているとは考えにくい。
トーチバと東雲が潰し合って、おそらくどちらかが準決勝に進んでくる。
そして反対の山にいるのは、勇名館と三里。
夏の結果から考えると、反対の山で勝ち残るのは予測が難しい。
吉村効果で現在の一年生に素質のある選手の多い勇名館が、一応は事前の戦力分析では第一候補だ。
しかし先日の練習試合などを見ると、三里が更に力を伸ばしていることも確かだ。
得点力がとにかく低いのが弱点だが、おそらく守備はさらに鉄壁にしてくる。
だがそれでも、本来ならどこが相手でも、圧勝出来る。
しかしジンには不安がある。
それは県大会レベルではない。その途中と、先にあるものだ。
一つは準々決勝後の日程に入っている国体。土日を使って行われる秋大と違い、平日の連戦となる国体は、甲子園でベスト8にまで残ったレベルのチームの、三年が主に出てくる。
相手の打線を封じるのはともかく、大介なしでどれだけ点が取れるのか。
帝都一や大阪光陰は、秋を重視して一二年は出てこず、三年主体で出てくるらしい。
おそらくではあるが、三年の戦力だけを比較するなら、大阪光陰よりも帝都一の方が強いかもしれない。
(体の疲労とか怪我とかは関係ないしなあ)
最悪大介なしで戦った場合、どうやって勝つか。
(またナオにパーフェクトしてもらうとか?)
やはり倉田を使って、攻撃力を高めたい。
新チームの編成にあたって、ジンとシーナが一番問題にしたのは、セカンドのポジションと倉田の起用法だ。
特に苦心したのは倉田であって、彼をキャッチャーとして使うと守備の統制がやや甘くなるし、ピッチャーのリードにもまだ不慣れである。
かと言ってファーストかライトで使うのは、冬をそのための練習に使うならともかく、秋の段階では弱点となりうる。
このうち守備の統制については、ジンがセカンドに入ることによって、内野から外野への指示は出せる。
やはりピッチャーのリードが問題だ。練習試合などでも試した限り、県予選レベルでは全く問題ないが、全国レベルの打線を相手にした時、通用するかどうか。
投手陣の能力に任せて封じることは出来るかもしれないが、今後のことを考えると、さらに経験を積ませたい思いもある。
そんなわけで三回戦までは、倉田をキャッチャーにして、ジンはセカンドに入ることとした。
このポジショニングは、かなり正解だったと思う。
一 (中) 中村 (一年)
二 (右) 鬼塚 (一年)
三 (遊) 白石 (二年)
四 (三) 佐藤武 (一年)
五 (捕) 倉田 (一年)
六 (一) 戸田 (二年)
七 (左) 中根 (二年)
八 (二) 大田 (二年)
九 (投)
これが基本的な配置であり、アレクや武史が投げる時は鬼塚を動かし、沢口を外野に入れる。
ジンがキャッチャーをする時は倉田をライトに回し、諸角をセカンドに入れて、鬼塚もレフトに移動させる。
鷺北シニアのメンバーを本格的に使った、上位で点を取り、守備を固める布陣だ。
ベンチにも一年生が他に四人入っている。走塁特化、打撃特化のメンバーもいて、かなりバランスはいいのではないかと考えるジンである。
そしていよいよ、秋季大会が始まった。
大介の成績は、普通の強豪の三番打者としては充分なものであった。
甲子園やワールドカップの圧倒的なパフォーマンスには及ばないが、それでも並よりもはるかに上の力は持っている。
打率が五割そこそこで、出塁率が七割。しかし三振の数が多い。
そもそもほとんど空振りをしないとまで思われている大介が、空振り三振をするというのは、明らかに異常だと誰にでも分かる。
守備に関しては、打撃に比べるとマイナス面は少なく見える。
二遊間の連携が角谷の場合ほどには上手くいかないのは、単純に慣れの問題もあるだろう。
大介の不調と、その原因はおおよそ他の学校にまで知られている。
木製バットに替えたからだという意見もあるが、じゃあワールドカップでボコボコ木製バットでホームランを打っていたのはなんなのかという話になる。
白富東の鬼メンタルは、不動心の直史、強心臓の大介、マイペースのアレクの三人だと言われているが、プレッシャーには強くても、こういった問題とは別である。
試合になれば全てを忘れて集中するというタイプもいるのかもしれないが、大介はそういうタイプではなかったということだ。
それと応援にも問題がある。
土日祝日を使っているので、ブラバンに有志を加えて、応援団は結成されている。
しかしそのスタンドに、あの目立つ双子の姿はない。
その理由は直史も武史も、そして大介も伝えることはないが、勘のいい者は察している。
あの二人はここしばらく、練習の手伝いにさえ参加していない。
一応籍はダンス部に入れてある二人だが、当然のようにそちらにも顔を出していない。
双子は理由も言わない。少しでも大介に責任があるようなことが言われることは、絶対に避ける。
佐藤家の双子は、憎まれたり恨まれたりすることを全く恐れない。
自分勝手と言われようと、他人を見下していると言われようと、実際に見下しているのだから反論しない。
一回戦は一本、二回戦も一本と、大介としては控え目なホームラン数が続く。
相手がかなり格下であろうと、一つの試合で一本は間違いなくホームランを打てるというのは、やはり異常である。
しかしその記録も途切れた。
土曜日に行われた三回戦。
二打席目までノーヒットの大介に、三打席目は代打が送られた。
そしてその姿はベンチからも消えた。
ユニフォーム姿のまま、大介は病院に走った。
病室は変わらない。だが容態は急変した。
幾つかの感染症が予想され、それに対する薬が点滴で打たれていたが、根本的な肺の状態の悪化が治るわけではない。
死までの時間をどれだけ遅らせるか。
延命措置の限界であった。
枕元には祖母と、シフトを代わってもらった母がいる。
それと週末なので関西からやってきた、年の離れた母の兄と、その家族たち。一応甲子園では、応援に来てくれたので顔もしっかり憶えている。
大介はかすかに目礼した。
主治医と看護師はいるが、もう何か特別な処置をしようとする様子はない。
死がそこにある。
少しずつ歩み寄ってきている。
枕元に大介は立つ。
「爺ちゃん……」
震える声に、祖父はうっすらと目を開けた。
口を開けるが、言葉は出ない。
「うん、分かったよ」
ただ祖母だけがその意図を悟る。
祖母が病室を出て、待合所から呼んできたのは、佐藤家のツインズである。
「お母さん、一応家族以外は」
「孫の嫁になるんだから家族だよ」
息子の言葉をぴしりと黙らせると、無言の二人に向き直る。
え、どっち? という顔の息子家族は放っておいて、双子には優しく言葉をかける。
「お爺ちゃんはねえ、また貴方たちの歌が聞きたいみたいなの。何か歌ってくれる?」
双子はその顔に感情を浮かばせていない。
それを見て大介はぞっとした。
佐藤家の双子は、本来なら可愛らしいと表現するべき容姿をしている。
普段は自分の顔立ちに相応しい表情を浮かべて、明るい印象を与える。
しかしその内実は、ひどく酷薄だ。
自分と、ごく一部の親しい人間を除いては、全く価値を感じていない。
人の心も体も、平気で傷つける。
だが今日の双子は、そんな負の感情さえ見せていなかった。
空虚だ。
全ての人間は、やがて死に至るという点で、等しく平等であり、同時に無価値である。
だからこそ人生をどう享楽的に生きるか、双子はそれを考えて生きてきた。
鋼鉄のような兄の精神は、双子を殺伐とした世界に行くことを踏みとどまらせる、最後の枷であった。
そしてこの世界に留まったことで、大介と出会い、イリヤと出会った。
今の自分たちは、やがて死に逝くものであるが、それでも価値はあると考えている。
歌うことを求められた。
魂を揺さぶるのでもなく、商品価値を求められるでもなく、ただ、穏やかな歌を。
二人は顔を見合わせる。今日はヴァイオリンを持ってきていない。けれど、ハーモニカがポケットの中にある。
ハーモニカは優しい楽器だ。イリヤがピアノの次くらいに好きな楽器だ。
だから二人も上手くなった。
双子は打ち合わせもなく曲を選び、一方の演奏に合わせて、もう一方が歌う。
「え、美空ひばり?」
思わず口にしたのは、大介の伯父である。
散々に言われることも多い作詞家の歌詞ではあるが、超有名な歌ではある。
(いやでも、お前らのキャラじゃないだろ?)
そう思った大介であるが、歌い始めてからはっきりと分かる。
「――知らず知らず歩いていた」
全然違う。
公共放送などで散々に流されることもある歌謡曲だが、テンポはさらにゆったりとして、そして曲調が全然違う。
透明な声。
イリヤは二人の声を、ピュアではあるがイノセンスではないと言ったことがある。
日本語で言うならば、純粋であるが無垢ではない。
透明ではあるが、しっかりと色がある。
本来よりも高音のキーで、ビブラートは少なく、声量の調整もゆるやか。
ゆったりとしてはいても情感に溢れている曲のはずが、まるで穏やかな子守唄のように響く。
大介は、二人がよく、自分たちの歌は無個性で、本当の歌手の歌ではないと言っているのを聞いている。
単に上手いだけなら、機械の音声でいい。自分たちはイリヤの楽器にすぎないと。
本気で言っているのなら、この二人は自分たちの価値を分かっていない。
歌手としてのメッセージ性だとか、情感だとか、魂だとか、そんなあやふやなものではなく、純粋に技術が傑出している。
やっぱりこの双子は、直史の妹だ。
上を向いて歩こう、Somewhere over the rainbow、Like a small boat、You know the bed feels Warmer、Can anybody find me――。
邦楽洋楽、どこかで聴いた曲を、完全に編曲して歌っている。
どうしてこんなにも穏やかに、歌うことが出来るのだろう。
――静かに そっと 静かに そっと
――眠るあなたを起こさないように
――静かに そっと 静かに そっと
――あなたの寝顔を見つめるために
――私の呼吸を静かに小さく
――あなたの吐息が聞こえるくらいに
それは、まだ双子とイリヤしか知らない歌。
イリヤがかつてケイティのために作った曲を、編曲したものだ。
双子たち自身でさえ、まだ気付いていない。
楽器であろうとした彼女たちは、自分たちが芸術品のようになっていることに。
穏やかな眠りが、死に向かう老人を誘う。
笑みを浮かべたまま、その最後の吐息が洩れた。
×××
文中に登場した歌について
川の流れのように 美空ひばり 秋元康
上を向いて歩こう 坂本九 永六輔
over the rainbows ミュージカル「オズの魔法使い」劇中歌
Fight Song Rachel Platten
Stronger Kelly Clarkson
Somebody to love QUEEN
おまけで
Be silent Kaitlly Cortner with IriyaIt
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