第4話 生きるということ
数日が過ぎた。
秋季大会が迫り、相変わらず白富東の周辺ではマスコミがうるさい。
そんな中で直史の持ち込んだ問題は、全く解決の糸口を見つけられていなかった。
直史は長所もあるが、欠点も多い人間である。
その欠点の中の一つに、身内に甘いというものがある。
長男として育てられたこともあるのだろうが、特に親戚の年下の子に関しては、なんとかしてやろうという意識が強すぎる。
「つーか調べてみたんだけど、あそこから特待生で内定って、無茶苦茶贅沢だよな!」
ジンも思わずこう言ってしまうレベルである。
名前は言えない宮城県を代表する某校は、ほぼほぼ県を代表する強豪校の双璧の一方であり、夏にも確かに良い成績を残していた。
基本的には県内の有力選手を集めるが、全国からも年に数人は特待生やスポーツ推薦を受け入れている。
自宅から通える距離の私立に、特待生で招かれているというのは、相当に恵まれた条件である。
それを蹴ってまで白富東を目指すというのは……かなり無茶と言うべきか、野心家と言うべきか、パーソナリティにまた不安を感じてきたジンである。
「香宗我部ってどんな性格なんだ?」
プレイスタイルからある程度は推測出来るが、ロッカールームでジンはそんなことを尋ねた。
「性格……」
直史は記憶を遡るが、直接会った時間は短いのだ。
印象的なのは山形に行った時の出来事だろうか。
「自分のことは自分で決めて、揺るがないタイプかな」
「あ~、ピッチャーだな」
人間の性格をおおよそ野球で分類するジンも、あまり人のことは言えないだろうに。
「あと、上に優しい姉がいるせいか、末っ子気質って言うのかな? 割とワガママで甘え上手な印象がある。一度決めたら他人に譲らないって言うか」
「まさにピッチャーだな」
そう言うジンこそ、一人っ子気質があるのではないかと思う直史である。
ジンもあれから父などに相談をしたのだが、鉄也は逃げ出した。
既に特待生として内定しているというのは、学校側も戦力の一角としてチーム作りを構想している可能性がある。
そこから他の学校に進路を変えてしまうことに、自分が関わるのはまずいという判断らしい。
頼りになりそうなところとして、三里の国立監督にまで話をしたらしいが、やはりそれは難しいだろうという結論であった。
それこそ一家ごと移住でもすれば別だろうが、親の仕事のことを考えると、そこまでの無茶は出来ない。
こういうところでも千葉の公立は私立に比べて、他府県などよりも強化がしにくい。
第一に、教育委員会の決まりがあり、それに次いで高野連の決まりがある。
裏技は使えるのかもしれないが、それが発覚した時には、間違いなくそれなりの処分が下される。
「住民票の移動とかで誤魔化すことは出来るだろうけど、おそらくマスコミがかぎまわって問題にするだろうね。絶対に白富東ならバレるから、この方法は使えない」
とのことであった。
別に野球留学でもなく、ちゃんと受験は受けるのだし、それぐらい柔軟に対応しろよと思うのは、直史やジンだけではない。
私立の選手獲得手段は、いくら規制してもいくらでも抜け穴を探ってくる。
そんな私立に対抗するには、公立もある程度融通を利かせてほしいと思わないでもないが、そもそも学生の本業は勉強である。
もっとも本業は勉強だと思っている直史も、進路の選択のために強豪校を選ぶのは、別に悪いとは思わない。
だからいずれは、公立も柔軟性を持っていくのかと言えば、逆である。現実は私立の行き過ぎた勧誘を、制限しようという動きがあるのだ。
私立であっても助成金は公費として出ているので、健全な球児の育成のためには、野球だけの人間を集めるのはダメというわけだ。
野球しか出来なくて、野球で食べていく覚悟をした人間だっているだろうから、そこは未来の選択肢を奪っているような気もするが、それはあくまでも少数派である。
少数派のために多数派が大きく譲歩するのは、経済原則的に間違っている。
それでも本当に野球しか出来なくて野球で食べていけそうな子は、やはりどうにか野球の道に進むのだ。
一応例外条件として、母子家庭や父子家庭の場合、養育困難などの理由で親戚に預けて、そこから通うということは認められるらしい。
だが実際は両親も健在であるし、経済状況に問題があるわけではない。
単に白富東に入学するだけなら、いくらでも方法自体はあるのだが、それを使って入学した場合、発覚後に問題になるのだ。
解決策など分からないまま、時間は過ぎていく。
甲子園に出場したため、秋季大会は県予選本戦から出場の白富東だが、それも既に直前に迫っている。
しかし従弟に頼られた直史は、まだその問題を解消していない。
正直なところ、もうこれは無理なのではないかとも思う。
顧問部長、他校の監督、プロ野球関係者など、裏技を知っていそうなところには当たってみたが、どこからも問題のない解決手段は出てこなかった。
そしてまた、白富東には別の問題が持ち上がってきていた。
白富東の主砲、大介の不調である。
本人に責任があることではない。
誰にだって、いつかは訪れる問題。
肉親との別れ。
大介の祖父が、入院したのだ。
直史も会ったことがあるが、少し前に病気をして体が弱くなったが、性格は明るい陽気なお爺ちゃんであった。
感じたことだが、大介は母親を通じて祖父に、性格は似たらしい。
体調面もあって甲子園で応援することはなかったが、予選ではほとんど毎回スタンドにその姿を見たものだ。
娘が野球選手と結婚して失敗はしたが、孫がその野球で活躍するのは、とても喜んでいた。
あれがワシの孫だのインタビューは、テレビにも流れていた。
大介は練習こそ休まなかったが、短めに切り上げて帰宅することが多くなった。
ただの入院であれば、そこまで毎日見舞うことはないだろう。
変な憶測が立つ前に、高峰から正確な話がなされた。
入院して集中治療室に入っており、予断を許さない状態であると。
治癒する見込みがあるなら、高峰もそう言っただろう。
だが、ただ大介の早退の理由だけを伝えるのは、そういうことだ。
人は、誰もが必ず死ぬ。
それが、大介の祖父に回ってきたわけだ。
「というわけで、今後の選手起用について」
コーチ陣に練習を任せて、ジンとシーナ、高峰、そして直史が部室に呼ばれていた。
主導するのはジンであるが、直史が素朴な疑問を抱く。
「先生とキャプテンと監督はともかく、どうして俺まで呼ばれてるんだ?」
「ぶっちゃけお前なら、冷静な判断が出来るだろ」
直史は動じない。メンタルは強い。
そして誰かの心理状態を洞察することにも長けている。
直史はある意味では冷たい人間である。身内とそれ以外への対応が全く違う。
身内の中でもカテゴリーは違うが、そんな身内に対してでさえも、直史はほぼ賢明な選択肢を選ぶことが出来る。
高校生になって初めての公式戦、実質的な正捕手のジンが負傷した後、マウンドを任せたのは直史であった。
当時としても明らかに、メンタルにおいて直史は優れていた。
「大介もメンタルお化けには違いないけど、こういった面でのメンタルは違うだろ?」
「まあな」
家族の病気、特に死に至る病というのは、個人ではなく家族全体の問題である。
大介はプレッシャーなどには圧倒的に強いが、それとはまた違ったベクトルの問題である。
直史が冷静を旨とするのに対し、大介は感情でプレイをする。
その力は味方の応援や、対する敵の強大さに応えて、どんどんと大きくなる。
ブーイングを受けるような逆境であっても、それを強さに変換してしまうのだ。
ジンは勘違いしていると直史は思った。
「俺だって家族が病気に……それも、致命的な病気になったりしたら、さすがに平常心ではいられないぞ」
「そりゃそうだ。親が死んでも原稿落とすな、なんて昭和のマンガみたいなことは言わないよ。ただ大介がパフォーマンスを落としているのは確かだから、チーム全体としてどうするかってこと」
「俺の意見も必要なのか?」
「ワールドカップで大介が出られない試合、どうしてた?」
「ああ、実際に使えない時のことを知ってるからか。大介をスタメンから外すっていう可能性も入れておくのか?」
「この状況がいつまで続くか分からないし、決定的なことになってしまった場合、大介のメンタルがどうなるかは不安だろ?」
そういう選択肢も考えるのか。
高校入学以来、大介が白富東のスタメンから外れたことは、公式戦では一度もない。
練習試合であれば、控えの選手を使うために外れてもらったことはある。
その後はフラストレーションの溜まった大介を相手に、投手陣でフリーバッティングをさせることがあった。
スイングに力を入れすぎて、さらに延長されたネットを超えて、場外弾にしてしまうこともあった。
チームとしてはその選択もありなのかもしれないが、大介のためにはどうなのか。
大介はおそらく、身内の死からも立ち直る。それは間違いない。
だがある程度の時間は必要なのではないか。直史はその程度には心配している。
それに調子を落としていると言っても、普通にバッティングも守備も、高いレベルは維持しているのだ。
「バッテリーは普段よりも援護が少ないこと、打撃陣は大介の分まで点を取ることが求められるわけだな」
「根本的に、大介を外すというのは?」
「それは大介の数字が、実際に落ちてから考えればいいんじゃないのか? 俺たちは大介を信じる。ただ盲信はせず、崩れた時に大介なしでも戦える心構えはしておく」
ワールドカップのスーパーラウンドでアメリカにあそこまで苦戦したのは、大介の負傷を誰も考えていなかったからだ。監督の木下でさえも。
直史だって、そんな可能性は全く考えていなかった。
大介だって、かなり疑わしいが、人間であるのに。
大介に対しては、まず見守るしかない。
人間は、誰もが死ぬ。
直史だって、子供の頃に曾祖母の死に立ち会ったことがある。あの頃の直史はまだ、それがどういうことかは分かっていなかった。
いくら野球が上手くても、勉強が出来ても、人の寿命を延ばすことは出来ない。
そう結論付けようとした時であった。
「話は聞かせてもらった!」
「大介君のことはま~かせて!」
部室の鍵はかけていたはずだが、佐藤家の双子が現れた。こいつらは野良のラスボスのような存在なのか。
「鍵は?」
直史の冷たい視線に、一方が答える。
「こんなこともあろうかと、合鍵を作っておきました!」
うんうんと頷くもう一方。
どこから聞いていたのか、と考えれば、おそらく最初からだろう。
この二人も、ある程度の事情は知っている。
大介の家を強襲して、母親はともかくその祖父母とは面識があるはずである。
正直、この二人に大介を任せるのは不安しかない。
「お前ら、また迷惑かけるんじゃないだろうな」
「あたしたちが?」
「迷惑なんてかけたことないよ?」
「存在自体が迷惑だ」
本人たちが自覚なしに、引っ掻き回すから問題なのだ。
だが直史の視線を受けた二人は、いつもとは違う顔をしている。
愛想の良さそうな、しかし実は人を馬鹿にした笑みを浮かべてはいない。
この二人は、何がどういうわけなのか、とてつもない才能を持って生まれてきた。
直史も色々と野球の範囲内では、天才と言われるような人間は多く見てきた。
世界大会にはまさに、バケモノと言うぐらいの才能の集結であった。
しかしその中でも突出していたのが大介だ。
ジャンルは全く違うが、二人の才能は大介に匹敵する。
野球をやらせてもこの二人は、女子という枠ではくくれない。
なんのために生まれてきたのか分からない、圧倒的な才能の塊。
だが二人は言った。
一つは大介のために。
もう一つはイリヤのために。
この二人のために、二人は生まれたと言ったのだ。
「お前らは、人の心が分かるけど、それに共感することはないよな?」
「ない」
「ないね」
即答である。理解はするが共感はしない。
「大介と、その家族に配慮出来るんだな?」
「分からない」
「でも一緒にいたい」
直史は少しだけ笑いそうになった。
出来る出来ないではなく、二人は自分の意思で、大介と一緒にあろうとしている。
「……イリヤと話してから行け」
「イリヤと?」
「なんで?」
分かっていないような二人に直史は言い聞かせる。
「行けば分かる」
「了解!」
「善は急げ!」
すたたたと去っていく双子を見送り、ジンは言葉を発する。
あの二人に関しては、とにかく直史以外にはイリヤぐらいしか話が通じない。
「いいのか?」
「……あの二人はともかく、イリヤならなんとかなるだろ」
それがどういう意味でなんとなるのか、すごく心配になるジンである。
だが、と内心では納得する。
大介をどうにかするとしたら、あの二人以外にはないであろうと。
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