第3話 めんどくさい事情
直史は幸福であった。
その幸福に浸りながらも、溺れないところが彼らしい。
甲子園と世界大会でスーパースターとなったが、その性根は全くブレない。
予定された進学先との調整は、さすがにまだ決まらないが、おおよそ物事は未来に向けて上手く動いている。
彼は注意深く、大胆さと繊細さを兼ね備え、強さにつながる鈍感さも持っている。
そんな慎重な彼でさえ、どうしようもない出来事というのはある。
それはワールドカップが終わり、やっと自宅に帰還してすぐのこと。
普段はあまり直史に干渉してこない母が、申し訳なさそうに言ってきたのだ。
「直史、あなた、従弟の淳ちゃん憶えてる?」
直史の親戚関係は、父方が親密である。
父方の親戚は関東に多く、母の実家は山形であり、東北に親戚が多い。
直史たちは基本、親戚たちをもてなす側であり、遠方ということもあるが母の実家に行ったことは一度しかない。
従弟の淳ちゃんというのは、ちゃんと憶えている。山形で一度、東京で一度、千葉で一度会っている。
年齢は直史の二歳下で、最後に会ったのは小学四年生の時のはずだ。
もっともそれ以降も、連絡は取っている。彼もまた野球をしていたので、去年の夏に白富東が甲子園に行きかけてから、特に頻繁にメールなどが来るようになった。
夏の甲子園の決勝で惜しくも敗北した時は、電話でそこそこ長い時間を話した。
その淳ちゃん、本名を香宗我部(こうそかべ)淳一郎と言うのだが、仙台のシニアで投手をしていて、これまた地元の某強豪私立に進学が内定していたのであるが、白富東で野球をしたいとのことであった。
「うちで? それまた奇特な」
白富東が強いのは、ぶっちゃけタレントが揃っているからである。
練習設備などセイバーがかなり揃えてくれたが、それでも全国レベルの私立と比べると、まだ見劣りする。コーチ陣だっていつまでもいてくれるわけではない。
「進学先を選ぶのは自由だけど、うちは公立だから寮なんてないし、あ、うちに下宿することになるかもしれないってこと?」
「ううん、それはもしそうなったら、お爺ちゃんのところに頼もうかって話にまではなったんだけど……」
歩いてすぐの距離にある祖父母の家は、確かに部屋は余っている。直接血はつながっていないが、親戚であることは間違いない。
だがそれ以前の問題があった。
「淳ちゃんは白富東、受験出来ないみたいなの」
「入学試験に受からないんじゃなくて、受験が出来ない?」
「そう」
それは不思議な話だな、と直史は感じた。
今更、本当に今更であるが、白富東は公立高校である。その中でも普通科のみが存在する学校だ。
直史にとっては白富東は地元であり、普通に進学出来て当たり前だったので気にもしなかったのだが、千葉県の公立普通科高校には学区制というものがある。
それは簡単に言えば、自分の住んでいる学区と、隣接する学区の高校にしか進学出来ないというものである。
佐藤家の兄妹の場合は、元々白富東を第一志望にしていたし、学区内であったので全く問題はないのだが、淳の場合は違う。
そもそも千葉県の公立普通科高校の選択は、同居する保護者の住所が基準となる。
親戚の家への下宿はダメなのかと調べたら、それもダメらしい。
両親が海外赴任する場合などは例外的に認められるらしいが、この場合はそれも当てはまらない。
あとは途中で両親の転勤などで、自分一人がこちらに残るという場合も認められる。
無理じゃん、の一言で済む話なのだが、どうしても淳は白富東でプレイをしたいらしい。
色々と抜け穴を探してみたのだが、私立ならばどうにでもなるが、公立ではやはり無理のようなのだ。
「いや、無理ならもうどうしようもないでしょ」
「それが兄さんからどうしてもって言われて。本当にどうにかならない?」
「う~ん」
それは果たして、直史が考えるべきことなのだろうか。
「まあ、とにかく俺も調べてみるけど……」
厄介な問題だな、と正直な話、直史は思った。
こういう制度的な問題は、やはり普通に教師に一番に聞くのが早い。
珍しく直史から相談された顧問の高峰だが、はっきり言って無理の一言である。
「いや、これが単純に普通にうちの学校に来たいだけで、あと野球部でもないというなら、実際は黙認でどうとでもなるんだ」
高峰は校長や教頭にまで確認して、ちゃんと調べてくれたらしい。
越境入学、というのにこれはあたる。
たとえば千葉県の学区でなくても、白富東は隣接する茨城県の学区からなら、入学が可能である。千葉の西の他の学区では埼玉や東京からの越境入学が認められている。だがそれも、隣接した茨城県という限度がある。
保護者がそこに住んでいるなら、途中から適当な理由を付けて一人暮らしというのも、認められなくはない。
実際に白富東ほどの進学校は、そこそこ遠い学区からでも、入学したいという人間はいるのだ。
あと県によっては、県全体が一学区に加え、隣県からの越境入学を認めていたりする。
しかし白富東の場合は無理なのである。
実は白富東を進路先として検討していて、学力も足りているがこの制度のために入れなかった人間はいるのだ。
そういった選手は私立に行くか、公立でも近辺の強いところを選んでいる。
白富東はただでさえスポーツ推薦などなしの一般入試のみで、受験の難しさで選手は集めにくいのに、この学区制のためにさらに選手の獲得が難しい。
もっとも千葉県でも最も人口の多い学区が隣接しているので、実際はそれほどでもないらしい。遠い学区の超有望株は、どのみち私立に取られてしまう。
ちなみに市立の学校であると、さらにその制限はきつくなるらしい。
実はこれについては、ジンが詳しかった。
シニアの後輩や、対戦相手シニアの後輩を勧誘するために、去年調べていたのである。
「普通科じゃなくて体育科があったりすると違うんだけどね」
それでも選択肢は県内限定、あるいは隣接県にまでしか広がらない。
「公立だと学校を選べないって、おかしくないか?」
「いや、そもそも公立ってのがどういう意味か考えたら、むしろおかしくないんだよ」
公立と私立の一番大きな違いは、経営母体だ。つまり、収益化されているかということだ。
市や県のシステムに組み込まれている代わりに、公立は授業料などが安い。
親に優しいシステムの公立に、わざわざ金をかけて入学するというのは、公立の趣旨に反している。
「なるほど」
直史も納得の理由である。
「でもお前のことだから、抜け穴とか探したんじゃないのか?」
「人をなんだと……。まあ一応探したよ。セイバーさんの使った帰国子女・留学生枠なんかはその一つだね。でも、ぶっちゃけ高校野球では無理」
高峰も言っていたことであるが、これが単に偏差値の高い白富東に、親戚の家から通うというのであれば、いくらでも手段はあるのだ。
転校を伴うならまた問題はあるが、この場合は入学以前であるので、さらにやりやすい。
だが野球部が絡んでくると、途端に話が難しくなる。
普通に通うだけなら、一時的に両親の住所を移して、高校入学後に戻し、本人は親戚の家から通う。これで通用する。本当はいけないのだが。
だが野球部が、特に強豪校が有望選手を獲得する場合、ほぼ確実に高野連からお叱りを受ける。叱られるだけならマシで、野球部自体が処分を受ける可能性も高い。
実際にどうなるかは、個々の事例で認められる場合があったりもするのだが、実際に試してみてダメだったらどうしようもない。そして野球部ではないが他のスポーツの例からすると、ほぼ確実にアウトである。
「てかそこまでして入りたいって、どんなの? 地元の強豪に、本当はもう決まってるんでしょ? 今からそれを変更すると、人間関係とかもかなり問題になると思うんだけど」
有望選手の進学とは、本人の一存で決められるものではない。
シニアと高校のつながり、あるいは指導者とのつながりなどもあって、一度決めたら普通は覆らない。覆すと周囲に迷惑がかかりまくる。
「正直そこまでジコチューなのって、人間性に問題があるのかもってさえ思うんだけど」
「俺も聞いてみたけど、単に全国制覇出来るチームで、しかもレギュラーが取りやすそうなチームだって正直に言ってたな」
「レギュラーが取りやすいって、そんな有望株なの? つかそもそも名前聞いてなかったけど」
「一応、投球してるとことかのデータ持ってきた」
部室のパソコンにメモリをつなぐ。
「青葉台シニアの香宗我部。一応全日本では四強まで進んでた」
「へ?」
「知ってる!」
実はそこにいて、こっそり耳をすませていた倉田の声である。
「え!? ナオ先輩、香宗我部の親戚なんですか!?」
「母方の従弟だよ」
倉田の反応は激しいものであったが、確かに一学年違う程度なら、ある程度は知られているのが自然である。
そしてジンもまた、先ほどまでとは態度が変わっていた。
「全国四強のエース?」
「ああ。まあシニアだからなかなか全国優勝は難しいけど、本人が投げた試合では負けてないな」
「キャプテン! かなり凄いやつっすよ!」
割と控え目な倉田がそう言うので、ジンも意識を切り替える。
「なんかナオの家系の遺伝子って、スポーツエリート多くないか?」
「いや、父方は割りと普通だな。母方は確かに、他にも大学教授とかいたりするけど。でも遺伝と言うよりは、家風の違いじゃないか?」
直史自身は佐藤家の惣領息子という意識が強いが、どうやら性質的には母方の影響が強いらしい。
兄妹四人全員が、極めて衆に優れた人間だというのは、確かにかなり珍しい。
島津四兄弟と戦わせてみたいものである。
とりあえずジンも興味を示したので、実際のピッチングの映像を見てもらう。
まず映ったのは、バックネット裏から撮影した映像である。
「手足長いな。左……のサイド!?」
サウスポーのサイドスロー。シニアでは珍しいタイプである。
プレートを端から使って、見事にクロスファイアーに投げ込んでいた。スピードもかなりある。
「うっわ、こりゃ打ちにくいわ」
ちゃんと頭を使ったピッチングだ。プレートの位置を変えて、微妙に投げ分けている。
何球かストレートを続けた後に、今度は変化球だ。
「スライダー……二種類? ああ、カットか。投げ方上手いな」
「俺が教えたからな」
わずかではあるがドヤ顔をする直史である。
そして、スクリュー。決め球なのだが、スピードのあるスクリューである。
「シニアでスクリュー投げるのはちょっと危なくないか?」
「まあ試合では10球までに制限してるけど、確かに肘に負担はかかる。だからスプリットとチェンジアップでどうにかしろっては言っておいた」
「は~あ。佐藤家の一族はチェンジアップ好きだよな」
キャッチャーの本能か、ジンはかなりのやる気を見せている。
「で、どうしたらこいつを入学させられると思う?」
「それな~」
さすがにすぐには思いつかないジンである。
だがとりあえず、淳に興味は持ってもらえたようだ。
それはそれとして、贅沢な問題も出てくる。
「彼が入ってくるとしたら、再来年は左投手が三人になるんですよね」
倉田が呆れるように笑っていた。
武史、アレク、淳と、主力レベルで使えるのが左ばかりになる。普通はありえない。まあ鬼塚が一応右ではあるが。おそらく普通に右投手も入ってくることはくるだろうが、果たしてこのレベルに匹敵するかどうか。
最近は一時期の左打者信仰から、打者も右への原点回帰が始まっているとも言える。
どちらがいいかと言えば、足の速い選手ならば当然左である。大介やアレクがその代表だ。
だが引き手と押し手、どちらが重要かの問題も絡んでくるので、一概には言えないのだ。
だがいずれにしろ、左投手が有利なのは変わらない。
ジンの考えでは正直なところ、現在の戦力でも全国制覇は可能だろう。しかし自分の世代だけではなく、次につなげていくためにも、戦力は継続して確保していきたい。
「……体育科、作ってもらえればなあ。でもそれでも、この問題の解決にはならないか」
学校側としても、セイバーが投資をして設備もそろったこの野球部を、持続的に強く保っていきたいという意識はある。
その中の計画の一つとして、体育科の枠を作るというのはありかもしれない。千葉県の公立にも体育科がある高校はあるし、そこは千葉全域からの入学が可能となっている。
だがそれでも、越境入学はおそらく茨城県南部までという制限がつくだろう。
淳を白富東に入学させる手段としては使えない。
「俺も少し、聞いてみるよ。どこかに抜け穴がないか」
本気になった新キャプテンであった。
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