第一部 過去編

第1話 奴隷商人に売られちゃったね

 夏が終わり、秋の始まりを感じる頃。

 十五歳になる猫人族の少女は、早朝、家の前で家族との別れを惜しんでいた。


 今年の春先に、トアル王国北部の生魔中立地帯にて、ホットタートルという魔獣が出現した。

 この魔獣は大人しいのだが、体温が非常に高く、存在するだけで低気圧を発生させ近場には豪雨をもたらし、その周りを乾燥させてしまう。

 少女の村は、魔獣がもたらす災害の乾燥域に位置していた。

 それに加えて、川もホットタートルの上流に位置していたため干上ってしまい、畑は乾燥してひび割れて、作物は壊滅的な被害を受けてしまった。

 ちなみに下流では、豪雨で洪水などの水害の被害が発生していた。


 このホットタートルは、夏の初めに召喚勇者がリーダーの冒険者パーティが討伐に成功した。

 しかし、天候が回復する頃には、作物の収穫は絶望的な状況になっていた。


 その為、北部の領主達は可能な限りの対策をしたが、魔獣がもたらした自然の力に対応するには限界がある。

 少女が住んで居る村のあるアーク男爵領には、災害に対応出来る魔術師が少なく、雇おうにも雇うコネも金も無い。

 王国の援助に頼ろうとしたが、嘆願書が遅れたため順番待ちをしているうちに作物は全滅した。

 そのため、貧困に窮した北部の村々は、口減らしのために奴隷商人に家族を売る事態が頻発していた。

 彼女の居る村も例外ではなく、村に冬を越せる作物も用意できない為、少女の父親が村長に知り合いの奴隷商人を紹介したのだった。


 少女の家前には、質の良い素材で作られた服を着た、金髪で太った商人らしき中年の人間族の男と、茶髪で革鎧を着た冒険者風の姿をした男が、人間族の父親と猫人族の少女の会話を眺めている。


「ニャマ。奴隷ギルドの彼ならば、お前の合った人に斡旋してくれるはずだ。

 彼、デルボッチの言うことをよく聞いてしっかり生きろよ。

 それと、何度もだが、こんな事になってしまってすまない」


 猫人族の少女ニャマは、手入れが出来ずぼさぼさで、汚れでくすんだ桃色の髪と耳、川が干上がって体も洗えなかったため汚れた肌、食事も碌に食べられなかったためにがりがりにやせ細った体つきで、顔も栄養失調で頬がこけている。

 服は普段来ていない服なのかそれなりに小綺麗だが、お世辞にも今は美少女とは言い難い身なりをしている。


「もう、お父さん。このやり取り何回目? 私も納得して行くんだから…… うん、今まで育ててくれてありがとう。お父さん、お母さん」


 父さんと呼ばれた元冒険者の青年男性は、ニャマの頭を別れを惜しむように撫でている。

 ニャマは、数日前から事あるごとに撫でられていた。

 最初のうちは、それまで余り撫でられた事は無かったので嬉しかったが、流石に少々鬱陶しく感じていた。

 しかし、父親の撫でたがる気持ちもわかるので顔に出さないようにしている。


「うう、ニャマごめんね、ごめんね」


 猫人族の母親はごめんねを繰り返しながら泣いている。

 ニャマ自身は、奴隷になるこちにそれほど悲観はしていないので、母に対しては申し訳なく思っていた。


 別れを惜しむその傍で商人風の男、デルボッチは、その少女を値踏みするような目つきで眺めている。暫くしておもむろに


「う~ん、この反応、これは如何いう事だ?」


 と、独り言を小さく言っていたが、ニャマはその小さな独り言を聞き逃さなかった。

 猫人族の特徴として、聴力が強く小さな音でも聞き取ることが出来る。だが、聞き取れることと理解することは別物で、ニャマはデルボッチの独り言を理解することは出来無かった。


 デルボッチは、ニャマから父親に視線を移して言う。 


「それでは、買値の方ですが、恩人の頼みなので色を付けさせてもらいます。この娘は、飢饉でやせ細っていますが…… 磨けば光りそうですな。それでは、この位の価格で買いますがよろしですか?」


 デルボッチが提示した金額は、金貨が数枚、この冬を超えられる位の小麦、春に植えるための種籾を十分なほどを示してきました。

 この提示に父親はニャマを撫でていた手を止めて驚いている


「こんなに良いのですか? この冬を十分超えられそうですが」


「はい、構いませんよ。今年の飢饉の救済支援も兼ねていますので。私も商人ですから無償で提供は出来ませんが、対価を払えば相応の品物と交換するのは当たり前です」


 父親は少し考える素振りを見せてから


「……その言い値でお願いします。デルボッチ様、ニャマをよろしくお願いします」


「様付けはよしてください。駆け出しの商人のころに、助けて下さった恩もあります。間違いの無い様に致しますよ」


 そして、デルボッチはニャマに向けて手招きをしながら、隣にいる男に声をかけた。


「それではリッド。私は次の家に行くから、ニャマを馬車迄案内して行ってくれ。 それが終われば、小麦袋を三袋と種籾一袋をこの家に届けてくれたまえ」


「へいへい、旦那、分かりましたよ。じゃあ、嬢ちゃん行こうか」


「うん、じゃあねお父さん、お母さん。兄さん姉さんもじゃあね」


 家の中に居る兄や姉に聞こえるように言った後


「リッドさんでしたよね。待たせちゃってごめんなさい」


「ん? おお、良いってことよ。村の南口に馬車が止まっているからそこまで行くぞ」


 そう言ってリッドは南口へと歩いていく。ニャマはその後ろについて歩き始める。


 ニャマは、少し歩みを進めてからふと振り返る。その様子は、デルボッチとニャマの父親は何か話をしている様だった。そして母親は、ニャマの姿が消えるまで見送っていた。





 〇





「ねえ リッドさんは冒険者なの?」


 リッドの後ろを歩いていたニャマだが、いつの間にか彼の隣を歩き、手を後ろに組み上目遣いで彼の顔を覗き込みながらそう呟いた。

 ニャマの顔は興味津々な様子で、リッドはこれから奴隷になる子の顔では無いなと驚いていた。

 普通なら奴隷商人に売られるとなると、十四、五歳の少女なら奴隷になることでの不安や恐怖等が隠せず、怯えたり泣いたりする子が殆どなのだ。

 それに、奴隷ギルドの商人が男爵領の農村に来ることはまずない。来るとすれば一般奴隷の商人だろうし、この村の連中も俺達の事を一般奴隷の商人と思っているだろう。

 実際にデルボッチ商隊の予定は、この村以外にはある子爵領の領都以外には立ち寄らない。

 領都で約束のある子爵の次女一人を買うだけだ。


「あ? ああ、冒険者だったこともあるな」


 リッドは、聞かれて減るものでもないし正直に答えた。


「今は違うの?」


「引退して今は商会所属の護衛だな。まあ、お前には関係ないことだな」


「そっかぁ。じゃあ、じゃあ。冒険者時代のお話聞かせて。私そんな話大好きなの!」


 目をキラキラさせながら詰めよってくる。これから奴隷になるとは思えない様子に首を傾げながら


「それなら道中にでもしてやるよ…… はぁ。しっかし、これから奴隷になるんだぞ怖くないのか」


「ありがとうリッドさん♪ それと、お父さんから聞いてるよ? 奴隷ギルド所属なら酷い目に合うことは殆どないって。確かな人にしか売らないって聞いてるよ」


 迷いなく言葉を紡ぐ彼女に、リッドは、それならばこの落ち着き具合に一応納得できた。


「まあ、それ知ってるなら安心できるか。詳しい話は後でな。おっと、あの馬車だな」


 リッドが指をさした南門の入口に一台の馬車が停まっている。

 その馬車の周りは商品棚が並べられて、日用品など様々な商品が陳列されて雑貨屋の様だ。その周りに村人が集まって買い物をしている様だ。

 村人たちは、思い思いに必要な商品を手に取って会計の人に渡している。

 列が出来ていて、殆どの人がお金の渡すときに感謝している様だ。


「はい! あの馬車ですか? ……人が集まってるけど?」


「今回は行商も兼ねているからな、そら人も集まるだろう。

 それと、その馬車は違うぞ。外にもう一台あるだろ」


 よく見ると門の外にもう一台馬車が止まっている。

 だが、ニャマは先程の馬車もそうだったが、馬車を引く馬が周りに居ない事を不思議に思っていた。


「あの門の外に停まっている馬車ですか」


「そうだ、俺もあそこまで行くから付いてこい」


「はい」


 リッドとニャマが即席の雑貨屋を通り過ぎた。

 その時、買い物をしている村人たちの何人かがニャマの歩いている姿を見て同情の目を向けている。

 しかし、話す言葉が見つからないのか、ニャマに話しかける人は居ない。

 ニャマが少々寂しい思いを感じながら南門を抜ける。すると、すぐに目的の馬車がはっきり見えてきた。その側には、三人ほどの人影が見える。


「おい、アルカド! 小麦三袋と種籾一袋を猫車に乗せておいてくれ」


 リッドは、馬車に向かって大声で指示を出した。耳に届いたのか、アルカドがやれやれと言った様子で馬車の荷台に向かって歩き始める。同時に残りの二人もその大声でニャマ達に気が付いたようだ。

 一人はリッドと同じ、商会の護衛をしている革鎧を着た男性で、もう一人の少女をなだめる様に話をしている様に見える。

 もう一人の少女は、自分の方に歩いてくるニャマに気が付くと、話を中断し右手を上げて彼女の名を呼んだ。


「ニャマ!」


「サリーナ!」


 サリーナと呼ばれた少女は、ニャマと同い年の人間族。彼女も今回の水不足で水が使えないため、汚れでくすんだ金髪で、ニャマと同じように肌は汚れて痩せ細っている。身綺麗にして活力が戻れば美少女になりそうだ。


 村で彼女とは友人と言って良い位仲が良かったので、ニャマは安心感を覚えた。サリーナも同じようで暗かった顔が少し明るくなった様に感じた。


 ニャマはリッドを置いてサリーナの所に走り寄っていく。サリーナも走り寄ろうとするが、思い直したようにその場に留まってニャマが来るのを待っている。

 そして、走り寄ったニャマは、馬車の手前でサリーナと手を取り合いながら


「ニャマ~。不安だったけど、ニャマと一緒なら少し安心できるわ」


「私もサリーナと一緒だと退屈しなさそうね。あ、そうだ、道中で冒険者のお話を一緒に聞きましょう?」


 その言葉にサリーナは少し驚いた表情を見せて


「え? もう奴隷商人の人と仲良くなったの?」


「うん、リッドさんって元冒険者の人にお話ししてもらうの」


 サリーナは、嬉しそうに話すニャマの、今後の事を不安がっていない様子に違和感を覚えた。


「……そんな嬉しそうにして。ニャマはさ、奴隷になるの怖くないの?」


「あ~。私達は奴隷ギルド所属の奴隷になると聞いていたからね。売られた後も、ギルドの人達が、私達が雇い主に惨い事をされていないか、見ているみたいだから」


「それなら大丈夫なのかな? 痛いことをされないかな?」


「うん。大丈夫だよ。それにギルドには冒険者の奴隷とかもあるみたいで……」


 暫く二人の会話が続く。というより、ニャマが冒険者の夢を語っているのを、サリーナが相槌を打ちながら聞いている図式だが。

 その会話を、サリーナと話していたもう一人の男、ビリは微笑ましく見ていた。


 確かに彼女達は幸運だとビリは思う。一般の奴隷ならば、仕入れて売るだけの商品として扱われる。そこに配慮は殆どない。どのような人物に買われるかは運しだいだから。

 そして、不安で緊張していたサリーナも、ニャマが来たことで、多少緊張はほぐれたようだ。


 





 奴隷の取引は昼前に終わったらしく、ニャマ、サリーナ含む四人の女性が集められていた。

 数十戸程度のそれほど大きくない村なので、ニャマは残りの二人の事も知っていた。

 一人は、春先に結婚式を挙げたばかりだったカリナという人。祝いの時に食べた料理は、今年一番のごちそうだったため、ニャマは覚えていた。この後に魔獣被害が始まって大変だったらしい。

 もう一人は、村長の娘のリリという人だ。彼女は、既婚者で小さな子供を産んでいたのを覚えている。子供は母乳が必要な時期は越えていたと記憶していた。


 ニャマは二人の様子を見ると、リリはまだ活力があるが、カリナの方は死んだような眼をしている。


 それ以降、デルボッチが来るまで新しい人は来なかった。どうやら彼が買った奴隷は、この四人のようだ。

 

 戻って来たデルボッチは、すぐに全員を集めて


「今後の予定を伝える。移動販売店は昼で閉店して、昼過ぎにこの村を出る。今日は隣町で宿を取る予定だから遅れるなよ」



 その話が終わると、商会の会員は、即座に準備に取り掛かった。

 そしてデルボッチは、準備に取り掛かった会員を目に、何をしていいのか分からない四人に向かって


「君たちは馬車の中で座っていてくれ。荷物はその馬車にも積み込むからな、外にいると座る場所が無くなるからな」


「「「「はい」」」」


「それと、目的地の王都トトリアには、約6日の工程だ。予定では、各村で移動販売店を出しながら、出来る限り街で宿を取ることになる。だが一日は確実に野営になるから憶えておけ」


 そうしてニャマ達四人は、言われるままに馬車の前側に座って待っていると、社員が次々を荷物を奥側の扉から運んできて積み上げていく。手際よく積み上げている社員を見て、ニャマは「すごい」と思う反面、最初の話は暗に「下手に手伝っても邪魔になるだけだから大人しく座ってろ」と言ったのだろう。


 荷物が積み終わった時、四人の座るスペースは十分に確保できていた。荷物は座ってなければ、本当に場所が無くなりそうな位積み上げられていた。


 しばらくして、ガタガタと音がして馬車が進み始める。


「これから、どうなるのかなぁ」


 ニャマは十五年間住み続けた村からの別れと、奴隷となり知らない土地へ行く不安、冒険者の道が閉ざされたわけではない期待の入り混じった感情で、荷物で何も見えない村の方を見つめていた。

 やはり緊張していたのか、ニャマは少し経つと、うとうとと座りながらうたたねをしていた。

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