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それからも毎日三月十三日がやってきた。自室で五分遅れの目覚めを迎え、慌ててジャージに着替えて配達の新聞を取りに販売店へと向かう。手袋をして広告の差し込み作業をしている店長に後ろから「おはようございます」と挨拶をすると、既に出来上がっている自分の配達二百三十軒分の束を受け取って、それを自転車へと積み込む。コースは大通りに出たところをまず西側から回り、最後は四丁目のヨシダの工場の隣のポストに入れて終わりだ。
携帯電話を取り出して時間を確認すると五時半を過ぎたところで、まだ日は昇っていない。空に雲はほとんどなく星がうっすらと瞬いているのが分かりブルーアワーの期待が
――彼女だ。
交差点にはまた帽子の女性がいた。ただ昨日とは違い、白の丈が短いブラウスとロングスカートで三脚ではなくスマートフォンを構えている。あれでも写真を撮れないことはないだろうけれど、いつもカメラを手にしていた人間がわざわざ撮影機材のグレードを落とすだろうか。それともやはり何かしら彼女なりの理由があってそうしているのだろうか。
声を掛けようかと思いつつ自転車のハンドルを握って車体をガードレールから離すと、大きく跨って視線を交差点の向こう側へと投げる。
彼女の姿が消えていた。
走り去ったとか、車に乗り込んだとか、そういう消え方ではない。本当につい数秒前まで存在していたものがトリミングしたみたいに綺麗になくなってしまったのだ。
翌日もその翌日も三月十三日は訪れた。カレンダーも携帯電話の日付もテレビの内容も全てが三月十三日で、事務所で交わされるやり取りもほとんど変わらないものだった。最初は夢でも見ているのかと思って普段はしないような受け答えをしたりしたこともあったが、変な目で見られて心配されるだけで、三月十二日にも卒業式がある十四日にも、それどころか四月や五月、翌年にもならず、毎朝交差点でブルーアワーを見てはカメラのシャッターを切り、そこに何も映っていないことに肩を落とすという日々を繰り返していた。
ただ一点、毎日の中で違いがあったのが「ブルーアワーの君」と呼ぶことにした交差点の写真を撮る女性だ。彼女の服装は同じものを着ていることもあったけれど、基本的に前日とは違うもので、もっと言えばとても三月のそれとは思えない服装へと変わっていった。具体的にはノースリーブだったり、足元がサンダルだったり、ある日には薄手のワンピースだったりして、周囲も彼女の服に合わせるように桜は散り、新緑が茂り、遠くのひまわり畑は黄色に染まった。
それを目にして日付だけがおかしいのかも知れないと考えたが、タツヤの一日は三月十三日そのもので、進学が決まっている大学に行くこともないし、新聞配達を辞めずにずっと続けている。店長やアカネも明日卒業式という認識のまま会話を繰り返し、タツヤだけが同じ一日を繰り返しているという感覚の中にいるのが分かった。
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