第36話 fire

 彼女のメッセージは、会場にいる者、この島にいる者に深々と刺さっただろう。


 この島の特異な風潮を目にした、もしくは体験した者ならば。


 静まり返ってしまった会場を盛り上げるのは司会者の役目だが、彼女もこの島に滞在していたので陽羽里のメッセージに気づいてしまった。

 ……口が上手く回ってくれない。


 ――諦めていない人が、まだここにいた……。


 たった一人でずっと戦い続けてきた少女が、この舞台で最後の仕掛けに打って出る。


 陽羽里は意図したわけではない。

 だが、多くの女性を今、彼女は味方につけていた。


 勝ってほしい……絶対に、勝って……! 

 聞こえなかったが確かに届いたその言葉が陽羽里にとってのエネルギーになる。


 想いは高まり熱が上がる。

 彼女はきっと、いざとなれば勝利を明け渡す気などないだろう。



 陽羽里のコメントがまだ尾を引いており、淡々とした司会と共に試合の準備が整った。

 昨日の、エンターテイメント性を全面に押し出した盛り上がりはなく、緊迫感が支配する真剣勝負である。


 舞台上に、地面からせり上がった建造物が迷路を作り上げていく。

 形はこれまでになかったパターンである。


 真ん中にそびえ立つ最も高い塔。

 周囲の建造物は真ん中の一本よりは低く、ちぐはぐな高さであった。

 ほとんどの地面がせり上がっており、屋外ではなく、屋内での戦闘がメインとなるステージである。


 これでは炎を暴発させた戦い方ができる陽羽里が有利になりそうだが、


『ドレスを微調整しての、炎の暴発は抑えめにし、エフェクトを狂わせる能力の方の効果範囲を広げておいた。これでどちらの方が有利という事もあるまい』


 本音を言えばこれでもまだ陽羽里の方が有利だが、これ以上の譲歩すると今度は河澄が有利になってしまう。

 狂わせるエフェクトもどう転ぶのか分からないため、現状でも結果によっては河澄の方が有利かもしれない。

 ただ、分かるのは『有利だった』という結果になってしまうので、今の段階でどうこうはできなかった。


 河澄のドレスの変更点はもう一つ。

 狂わせるエフェクトの代償への猶予は、狂わす相手のエフェクトの強さによって変わる。

 微々たるエフェクトを狂わせれば代償は少なく、エフェクトが大きければ代償がくるのも早まってしまう。


 前回の試合では一定だったため、強力なエフェクトへの必要な措置である。

 狂わす相手のエフェクトの規模を見て、自分のエフェクトを発動するか選択しなければならないため、見極めも大事になってくる。


 事前の情報提示を終え――、残るは試合開始の合図だけである。


『千葉さん……、始めますか……?』

『ああ……、始めよう』


 試合開始の合図となる、最後の角笛が吹かれた。

 音が空に飛んでいき、しぼみ終えたのと同時だった。




 



「え……」

『な……!?』


 暴発……ではない。

 能力の最大出力、そして、長時間の連続放出――。


 その代償はもちろん、一瞬で陽羽里の視力を奪い取った。


 彼女の目は既になにも見えていない。

 だが、彼女の歩みに怯えはなかった。


 聞こえてくる指示を信じているから。

 彼に任せてしまったから。

 だから怖くなんかない。


『陽羽里さん……後は僕に任せて』

「ええ、あたしの全部を伝えた。あんたはそれを、受け入れてくれた。もう引き返さない」


 熱が増していく。

 げほがほっ、と息苦しさが河澄の身体能力を奪っていった。


 これはただのエフェクトであり、能力によって死ぬ事はないだろう。

 だが、彼女の言葉は後に起こるだろう最悪な結果を想起させるにはじゅうぶんだった。


 江戸屋は聞こえたわけではなかった。

 だが、ディスプレイから見えた彼女の口はこう動く。


「たとえ死んだとしても、最後までやり遂げてみせる」



 炎の熱と煙が河澄の足を重たくさせ、いつもの数倍、疲弊させる速度を早めていた。


 しかし足を止めていられない。

 立ち止まっている時間にも、陽羽里はさらに炎を増やし、優位な場所へ移動してしまうだろう。


 たとえば、塔の頂などだ。


 能力を使い過ぎれば目が失明する……それが選手への枷になっていたのだが、さらに能力を加速させるとは……陽羽里は失明をものともしなかった。

 こうなってしまうと陽羽里の炎は限度を知らずに燃え広がっていく。


「ミト、コップ一杯に入った水を思い浮かべろ。したか、したな? したらこの舞台と炎に置き換えろ。それを片側に傾けるイメージだ!」


 河澄の能力は完全なる運というわけでもない。

 狙った通りにいくかどうかは運になってしまうが、少なくとも鮮明なイメージをした分だけ確率が上がる。


 本人の声をトリガーにして能力が作用した。

 舞台の炎が片側へ寄った……気がしない、でもないが、ただ揺らめきは確実に片側へ偏っている。

 だがそれだけだ。炎の消失には至らない。


『げほっ、ごっ……!』


 手で口を覆ってはいるが、完全に防ぎ切れるものではない。

 有毒な空気が彼女の体を内側から蝕んでいく。


「くそ、画面も炎で見にくいしよ……」


 画面の六割は炎により遮られてしまっている。

 画面は共有しているため、明石も同じ画面を見ているはずだが、陽羽里の足取りに迷いはなかった。


 目が見えていない分、陽羽里自身の迷いが入らないためか。

 明石の指示を全て信じ切り、歩みを進めている。


 プレイヤーとしても、ナビゲーターとしても、両者共に相手に上をいかれている。


「ミト、能力はずっと使っとけよ。目が見えにくくなったらすぐに言え」


 炎をなんとかしなければならない。

 それが最大の問題だ。


 陽羽里の手元を離れてしまった以上、河澄の能力で炎を消す事は不可能……あくまでも狂わせる事がエフェクト機能だ。

 残留する炎をどう設置するか、が陽羽里のエフェクト機能なので、位置に干渉する事は可能だ。


 陽羽里のエフェクトは炎による結界の構築であり、炎の熱ではない。

 もしも熱がメインであれば、こうも回りくどく煙で昏倒させる方法を取らずともいい。

 そうしかできないのであれば、それが彼女のエフェクトなのだ。


 炎の熱も大きさも一定であるが、江戸屋には全てが見えている。

 舞台を俯瞰して見れば、炎が形作っているのは、まるで城である。


 ――焔城だ。


 そして気になる点がもう一つ。


「あいつはこの炎の中で、普通に動けてんだよな……」


 口を押さえる仕草もない。

 我慢しているとは到底思えない。

 エフェクト機能によるものであれば、勝機がそこに眠っていると江戸屋は睨んだ。


『江戸屋くん……』


 壁に体を寄せている河澄からの救援信号。

 タイムリミットに余裕はなかった。


「限界か?」

『視力が落ちてるのか、炎の熱で意識を失いかけているのか分かんない……』

「多分、どっちもだろ」


 河澄は言われた通りにエフェクトを使用していた。

 そのおかげか、炎によって作られた城が徐々に欠けてきていた。


 俯瞰して見ている江戸屋には分かる。

 確実に、河澄の牙が届いている。


 だが、労力に対して結果が小さ過ぎる。

 これに関しては陽羽里のエフェクトの規模が大き過ぎると言うべきだが……城が虫食い状態になるのが先か、河澄が失明するのが先かのどちらかだ。



『驚きましたね……そんな代償があったとは……』


『もちろん、すぐに回復するものだ。安心していい。大きな力には大きな代償を……にしてもまさか一手目で限界を越えた機能を出すとはの。あえて吹っ切ってみせたのかもしれん。失明を恐れるくらいならもうなってしまえ、といった精神論かの』


『……目が見えないのは、恐くはないんでしょうか……?』


『さあの。見えていたものが突然見えなくなるのだ、普通に考えれば恐い。だが、人によっては隣に誰かがいるから恐くはないと言う奴もいる。誰もがそうとは限らない。この試合の両者が目が見えなくなっても普通に動けるとは限らないわけだ』


 いくらナビゲーターがいるとは言え、恐いものは恐いのだ。

 動けなくなったところで、誰がそれを責められるだろうか。


『だから枷なんだよ。――そうならないように配慮するのが、ナビゲーターの役目だ』


 その言葉は、耳が痛い話だった。

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