武装花嫁

渡貫とゐち

season1-人工島の恋愛法規-

第1話 set up

「暴れたりんのなら、ちょいと老獪の遊びに付き合ってくれんかね」


 道を踏み外した腕っ節に自信のある学生たちの乱闘騒ぎの中心に現れた禿頭の老人。

 殴りかかってきたやんちゃな青年たちを身軽な体と杖でいなし、一人の青年に目をつけた。


 青年が積み上げた敗者の上にちょこんと乗り、目線を合わせる。

 腰を曲げていないが、小柄な体だった。

 身に纏う甚兵衛の乱れを片手で正し、老人が満面の笑みを見せ、


「変わっとらんね」

「……あんた、誰だよ」


「遙か昔の……卒業生と言ったところかね」

 


 東京湾のアクアラインよりも内側に作られた人工島の三分の二は、未だ開発途中である。

 立ち入り禁止のテープで区切られたその先は、鉄骨が剥き出しになっている建物が乱立しており、簡易的な屋根が直射日光を軽減させ、日中でも薄暗い。

 工事作業員の数は多いとは言えず、広い敷地であるため目を盗む必要もなく簡単に立ち入ってしまえる。


 監視員も割ける人員の都合で設置されていない。

 一応置かれた駐在交番が牽制に使われているが、ハッタリだと知られてしまえば存在しないのと同じであった。


 工事の騒音が乱闘騒ぎを誰にも気づかせない。

 元々人通りもなく、気づかれる事はまずないだろう。

 危険だと注意喚起されていながらこの場所に入るのは、喚起している側と、分かっていながらも進入する悪餓鬼共くらいだ。


 その場でなにが起ころうとも自己責任である。


「組み立てた鉄骨が留め具の甘さで落下して巻き込まれたならまだしも、喧嘩に負けた奴を介護する気にはなれんよ」

「で、あんたは俺たちの事を報告して都心に追放でもするつもりなのか?」


「報告? 追放? 不良の悪餓鬼同士の喧嘩だ、大人が介在する余地はないな。それに、喧嘩をして男を高めるというのであれば、こっちも願ったり叶ったりな状況だしのう。女子おなごにそれが受けているのであれば」


 元来、強い男に女性は魅力を感じる。

 人工島に意図的に集められた彼、彼女たちに求めるものを考えれば、止める理由などない。


「……いいのかよ。忍び込んでおいて俺が言うのもあれだけどよ……」

「なんだ、罪悪感でもあるのか? 意外と優しいのう」


 瞬間、目を細めた青年にいち早く気づき、老人が両手を挙げて降参のポーズを取った。


「参った、数十人に囲まれても全員を一撃で気絶させるお前を相手にするのは無理だ」


 周囲には彼を襲った不良青年たちが転がっている。

 老人はあくまでもいなしただけであり、とどめを刺したのは細い体躯をした青年である。


 中性的な顔をしており、目つきは多少悪いが、好青年といった印象を抱く。

 彼は老人の降参に毒気を抜かれ、僅かに息を吐いた。


「……用件はなんだよ」

「おぉ、そうだった。ちょいと、とある企みをしておっての、手伝ってほしいんだ。こんな場所でこそこそと発散するくらいなら、堂々と暴れたいだろう?」


「暴力を正当化できんのか? 政府が認めるとは思えないけどな」

「なんだ、殴り合いに多くの客が熱狂しているのを知らんのか? ああいうことだよ」


 簡単な話。

 ルールを作ってしまえば競技となる。


 たとえ学生だろうと、柔道やレスリングが存在しているのだから、絶対に怪我をしないシステムを組み上げなくともいい。

 それに、この島でしかおこなわれていない特殊な制度に絡めてしまえば、政府は認めざるを得ないのだ。


「儂にはそういう切り札がある――どうだ、面白そうじゃあないか?」


 老人は童心に返ったように邪気のない笑みを浮かべた。

 だが、青年の方はまだ僅かに疑心があった。

 当然、意図が分からないと不安が生まれる。


「巻き込まれてもいいけどよ……なんでそんなことをするんだ……? 俺らに暴れる場所を作ってなにがしたいんだよ」


「なあに、難しく考えんでいい。儂もこの人工島プロジェクトに関わっているからの、結果を残したいし、お前さんたちに居場所を作ってやりたい。儂も悪餓鬼だったし、悪餓鬼共を取り締まってきた……ずっと見てきたんだ。感情移入して、なにか悪いかね?」


「…………いや」


「答えは急がん。お前さん一人を誘ったところで成り立たん競技だからの。これからたくさんの輩に声をかけるつもりだ。幸い、はぐれ者が選ばれ、連れてこられた島だ。自然と野蛮な連中が集まっているのが好都合と言ったところだからのう、人手不足にはならんだろ」


「手伝うか?」

「それは話に乗ると解釈してもいいのかね?」


 青年は頷かなかった。

 が、口角が僅かに上がっていた。


「面白そうだって思ったんだよ。……あんたの事がな」

「ガハハッ、そりゃあ有り難い――」


 と、老人が手を差し出した。


千葉道ちばみちだ。千葉でも道でも好きなように呼んでもらって構わんよ」

「俺は江戸屋えどやおうぎだ」


 互いに相手の手を握り締め、


「知っとるよ」

「え?」


 青年が訊ねるよりも先に、老人――千葉道が手を離して背を向けた。


「後日、また連絡する。だから家には帰った方がいいぞ。お前さんのパートナー、あんなのでもちゃんと心配していたからのう」

「――っ、てめえ、事前に調べてやがったのか……ッ!?」


 だからこそ、『知って』いたのだろう。


「無理やり決められたとは言え、生活を共にするパートナーだ。この先ずっと一緒にいるにせよ、いないにせよ、女子に心配をかけるもんじゃあない」


「……お前には関係ねえだろ」


「関係ない。だから口うるさい親の戯れ言とでも受け取ってくれればいい。いや、年齢差的には祖父だろうな――……なんだ、そんなに家に帰るのが嫌なのか?」


 相性が悪い相手とは組まされないようにはなっているが、完全とはいかない。

 江戸屋みたいな組み合わせの失敗も、ないわけではないのだ。


「嫌なら儂から政府に言っておくか? パートナーを変えるのはなにも悪い事じゃあ――」

「新しい奴と組み直すのも面倒だ。このままでいい……今日は、帰ってやる」


 その答えに、千葉は自然とこう返していた。


「そうしてあげなさい」



『今日は自分のところに帰る』

『そう』


 居づらい家に帰りたくない間は、当然別の場所に泊まっていた。

 とは言っても同じ学生寮マンションの二つ上の階であるが。


 世話になっていた知り合いへ連絡を入れた後、階段を使って四階まで上がる。

 できるだけゆっくりと上がったが、引き延ばせる時間はそう長くない。

 あっという間に、島にきた時に割り振られた、自分ともう一人の家の前に辿り着いてしまった。


「あいつ、いるよな……?」


 積極的に外に出るタイプではないと知っている。

 逆に、家にいない方が珍しい。


 買い物も宅配便を使うが、人と会いたくないからと居留守を使うほどの人見知りである。


 そんな相手と出会ってすぐに二人暮らしをするというのも、難易度が高いはずだ。

 ……ここで足踏みをしていても埒が明かないので、鍵を開けて部屋に入る事にした。


 錠が開いた音と同時、部屋の中からぱりんっ――すかさず、どたばたと騒がしい音が聞こえたが……、想像しやすい。


 入ってみると、案の定だ。


「……お前、なにやってんだよ」


 洗いものをしている最中だったのか、水が出しっ放しで、皿が床に落ちて割れており、当人は小学生の避難訓練のように、テーブルの下に隠れてしまっている。


「ったく、そこから動くなよ」


 江戸屋が屈んで、割れた皿の破片を拾い集める。出しっ放しの水は後回しだ。

 すると、


「あ……、わた、しも、手伝います……」

「動くな! ……破片が刺さるだろうが」


 江戸屋が声を発する度に、いちいちびくっと反応している。

 仕方のない事ではあるが、完全に怯えられているのだ。


 四六時中こんな感じであるため、さすがにストレスで共に生活するのが嫌になった。

 どうして政府は、彼女と組ませたのだろう……江戸屋には理解できなかった。


「俺がいいって言うまでそこから出んなよ、河澄かわすみ


 彼女は控えめに首を縦に振った。

 ……振った、ように見えた。

 疑問に思うほど、僅かな挙動だった。


「……もういいぞ」

「あ、ありがとう、ございます……江戸屋くん」


 腰まで伸びた長い黒髪。

 いつもは前髪で両目を覆ってしまい、素顔が見えにくいのだが、今日は前髪を真ん中で分けているため、素顔がよく見える。

 出会って二ヶ月も経っているが、こんな素顔だったのかと初めて知った。


「おう」

「あ、水……」


 言われて気づいた江戸屋が、蛇口を捻って、出しっ放しの水を止めた。


「ありがとう、ございます……」

「おう」

「あ、の……」


 河澄が数十秒もたっぷりと時間を使って、


「お、おかえり、なさい……」

「おう」


 江戸屋の方は数秒もかからない、即答だった。


「とりあえず風呂入るわ。俺に構わなくていいから、気楽にしてろ」


 そう言っても気楽にしない河澄の性格は知っているが、そうとしか言えなかった。

 江戸屋は逃げるように風呂場へ向かった。

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