愛したもん勝ち
結婚したときも、子どもができたときにも思いました。誰かを好きだと思う気持ちは、神様(がいるか知りませんけど)からのプレゼントだなと。
好きだと思う気持ちに理由はないし、努力して好きになるわけでもないですよね。努力して得れる「好き」もありますけど、伴侶や子どもに抱く愛情は、がんばって持てるもんでもないんじゃないかな、と思います。
愛されているよりも、愛してるほうが、絶対的に優位だなと思います。自分の気持ちに対して、相手に決定権はないですからね。愛する気持ちというのは、誰にも奪われることはありません。
でも、愛するということは、愛されるということと同じくらい、自分がコントロールできるもんでもない気がします。欲しいと思って努力して得られるもんでもないし、ある日突然なくなってるときもあります。
子どもが生まれたとき、ホルモンだとか脳内物質だとか、いろいろ変化して、頭がバカになりました。親バカってやつです。こうやって、大自然との配線がうまくいくことで、子どもを育てる準備ができるのかなーっと思います。人間の数は膨大ですから、配線がうまくいかないケースもありますよね。そういうとき、親も子どもも本当に大変です。
幸運なことに、私は配線がうまく行きました。「この子のためなら死ねる。」と思いました。これ、びっくりしますけど、ふつうのことなんですよね。このくらい誰かを愛せるというのは、自分一人の力ではできなかったと思っています。だから、神様からのプレゼントです。
極論を言えば、子どもが親に感謝する義務なんてないと思っています。どちらかといえば、感謝するべきなのは親が子どもに対してだと思います。新生児を育てるのは、大変でしたが、自分で生みたくて生んだ子どもですから、世話をするのが当たり前です。それを子どもに恩に着せるのはお門違いだと思っています。
親を感謝する方が、子ども側のメンタルには負担が少ないように思いますが、感謝したくてもできない親子関係もあるでしょうしね。
自分が子どもを持ってから、「父や母にとって、自分はこんなに尊い存在だったのか。」というのがわかって、うれしかったです。
私があなたをこれだけ好きなんだから、あなたも私を同じくらい好きになってほしい、と思うのも、お門違いだと思っています。愛することは、義務的にがんばってできることでもないですから。
夫にも、子どもたちにも、幸せであってほしいと思います。でも、これも私が決められることでもないんだよなぁって思います。人にしてあげれることは、意外と限られています。子どもに関しては、自分で幸せになってくれると信じるしかありません。夫に関しては……どうだろう。できるだけサポートはするから、自分でしっかりやれよ、て感じですかね。我が道を行くタイプなんで、マイペースにしっかりやってますけどね。
とっても大切に思える人がいることは、本当に幸運なことだと思います。だから、あんまり文句言わないで、大事にしないといけないですね。
愛を語らうのって、恥・ず・か・し・い・な! 読者さんにも恥ずかしい思いをさせてしまったかもしれません。たまにはね。御免!
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