本当にあるようでないような、才能の話

「二十歳過ぎればただの人」てのがありますが、私の場合、「周囲の大人に感心される度」を縦軸に「実年齢」を横軸にグラフにすると、明らかに右肩下がりで、二十歳くらいで平均値に達しているので、広義ではお仲間に入れるんじゃないかなーと思います。「神童」なんて呼ばれたことはないんですけど。


 小さい頃に周囲の大人から「才能がある」と言われたことがあります。おばさんになった今、あれは愛のあるご挨拶だったという認識です。なので、もし「才能がある」なんて言われてプレッシャーを感じている子どもがいたら、「愛のこもった挨拶だから気にすんな! 喜んで受け取っとけ。」と言ってあげたいです。自分は、プレッシャーに感じることもなく、喜んで受け取るアホな子どもでした。


 明らかに、天才というのは存在すると思います。でも、本当の天才はかなり少数だと思われます。(あ、だから天才なのか。)そういう人の才能は「ごう」になることもあるので、周りの人間がスポイルしないように、また、本人が潰されないようにサポートして然るべきだと思います。そういう人は、自分の才能をちゃんと認識していたほうが良さそうだなと感じます。


 で、残りはたぶん普通の人です。様々な分野で第一線で活躍されている方たちでさえ、最初は普通の人じゃないでしょうか。地頭だとか体格だとか、「下地がいい」ってのはあるかもしれません。やってるうちに「スジがいい」とか「向いてるかも」など認識し始めて、ある程度の結果が出せるようになった頃から、「才能がある」と言われるパターンが多いんじゃないでしょうか。ものすごく努力をした方が結果を出して、「鬼才」なんて後付けで呼ばれることもあると思います。


「才能がある」と思うことがやる気の起爆剤になる例は案外少なくて、「才能がない」を言い訳にして、やってみたいことをやる前に諦めるケースがけっこう多いんじゃないかなと思っています。


 こっから先はおばさんの愛のあるおせっかいなんですが、もし才能があるかないかで悩んでいて、何かを始めるのに二の足を踏んでいる人がいたら「才能があるかないかは自分で決めていいんだよ。」と言いたいです。「ある」と信じることで前に進めるのであれば、「根拠なく信じたまえ!」と言いたい。(あ、キャラがブレた。)


 でも、上記の方法は逃げ道がないので、ある程度やってみて「向いてないかも」と思ったり、飽きて辞めたくなったりしたら、挫折してヨシ! ということにしたほうがいいかなと思います。


 才能なんてどうせ、やってみないと、あるんだかないんだか分からないものだし、あったところで、アクションを起こさなければ無いのと一緒なので、その辺はあんま深く考えない方がいいと思っています。「そんな当たり前のこと言うな」と思っていらっしゃる読者さま。すみましぇん。自分に言っておきたかっただけなのでご容赦ください。


 私はカクヨムを始めたとき「才能はない」ことにしました。そうすることで初めて、私は前に進むことができたからです。ただ書いて人に見せるという、才能なんてなくてもできることをやって、どこまで行けるのかなと思って始めました。最初は大冒険に出る意気込みだったんですが、案外、今までの道のりは平和で楽しいことばかりです。日々発見があり、このお散歩が予想外に面白いので、あんまり気負わないでゆるゆると進んで行こうと思います。

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