なんで人に見せるんだろう

 昨日のエッセイに百瀬ふうさんから、以下のコメントをいただきました。

「小説とか絵や音楽でも人に見せるためでなく自分が楽しむためにやっていて、誰にも見せない人とかいますよね。別に恥ずかしいからとかではなく、その必要がないから。

そういう方は本当に純粋につくることを楽しんでいるのでしょうね。」


 このことについて、いろいろ思うことがあったので書いてみます。


 私の、ただ個人的な話なのですが、「小説で食べていける」とはハナから思っていません。出版業界の懐具合の寒さは周知のことですし、身近に「アート食えてないアーティスト」の正しい例が何人かいて、脳内お花畑に飛んで行きやすい私を、しっかりと現実につなぎとめてくれています。ありがとう。お金を稼ぎたいのだったら、小説よりも効率的な方法がいくらでもあると思うので、「小説で稼ぐ」は目指しとらんのです。あくまで、私個人のお話です。


「どっかの新人賞に入選して、書籍化」ということに関しては、諦める前に挑戦しよう、と最近思えるようになりました。またまた自分の個人的な話ですが、とりあえず、最初の10作は叩き台、と思って修行(?)して、そのあと挑戦してみようかなーと思っています。最低3回は落ちると思って挑戦したいです。それまでやる気が続くかわかりませんし、3回落ちた後はどうするのかもわかりません。


「小説で稼ぐ」を目標にしていないのに、なんで人に見せるんだろう、という疑問が湧きます。趣味だったら、別に人目に晒さなくても、自分で創作して楽しめば良いし、実際にそうしている人はたくさんいるんだと思います。


 このへん、カクヨムに投稿し始めた頃にいろいろと考えてみたんですよ。「自己顕示欲」とか「ドーパミン摂取」とか、その線も考えましたし、そういう一面も確かにあると思います。でも、それだけじゃないな、と思っています。


 私は、ユニバースと交信するつもりで投稿しています。


 ま、待って! 説明するから。


 自分だけで創作を楽しんでいるとき、何度でも作り直して、自分の好きな世界を楽しむことができます。それはそれで、全然アリだと思います。でもそれを、ポーンとユニバースに投げると、自分の予想外のことが起こります。私の場合、カクヨムでいろんなライターさんと出会えたことがそれでしたし、その他にも、たくさん学んだことがありました。


 ユニバースに投げても、無反応のことがあります。でも、それもフィードバックの一種だと思うんですよ。「鬼スルーだったなぁ」の後に「もう一回投げてみよう」と思ったり「とりあえず休憩」と思ったり、無反応に対して何かしら自分に変化があると思います。


 反応がないからといって、誰にも受信してもらえなかった、ということでもないと思います。死んでから、受信されることもあります。何千年も前に、ポンペイの噴火で断末魔の叫びをあげた人の声は、現代の私たちにも届いています。


 だからね、作品を人に見せることで、ユニバースがちょっと変化するんだと思うんですよ。自分の世界が予想外の方向に開けるんじゃないのかなと思っています。


 なので、今日もユニバースと交信するために、投稿しますよ。ポチッとな。

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