日本語と英語
「日本語と英語のどっちで考えるの?」
たまにこの質問をされます。英語オンリーの人に聞かれることが多いです。「両方」と言うと意外と驚かれます。
高校で交換留学するまで、私は思考の100%を日本語で行っていました。英語を話したいときは、言いたいことを日本語から英語に翻訳して話していましたし、英語もいったん日本語に置き換えて理解していました。
人間の脳はそんな面倒なことをずーっとやっていくほど、気の長い臓器ではないようです。アメリカに留学して半年ほどすると、英語で夢を見るようになりました。
当時の私の英語力は壊滅的だったので、間違いだらけの文法と、なけなしの語彙で夢を見ました。英語がしゃべれない九州男児の父がブロークン・イングリッシュで話していて、シュールでした。
父の外国語のレベルは
「おいは中国語ば話すっとばい。チャーシューメン。はははは。」
標準語訳:「俺は中国語が話せるよ。チャーシューメン。はははは。」
なんていう程度です。(わかっていただけましたね?)
職場では英語で思考していますし、家庭でも夫と会話するときは英語で考えています。この原稿を書いている今は日本語です。映画を見たり本を読んでいるときは、作品が書かれた言語で考えます。
面白いなぁと思うのは、言語と考え方は切れないところです。よく言われることですが、英語は理論的に考えるのに向いているなと思います。「結局なにが言いたいんだっけ?」と考えあぐねているときは、英語で考えるとスッキリ解決したりします。
逆に日本語だと曖昧に遊ばせておきやすいです。答えを出さなくてもいいところが好きです。
んで、それぞれの人格がいるような気がするんですよ。英語の私と日本語の私。一卵性双生児みたいにそっくりですが、ちょっと違う。その二人が会話することもあります。思考も両方の影響を受けます。
村上春樹さんや山田詠美さんの作品に、外国っぽい情緒があるのは、そういう理由なのかなと思ったりします。(超大御所の作家さんと弱小アマチュアライターの私を同列に語っているわけではありません。)
蛇足:山田詠美さんが「オーブン」を「オーヴン」と書いたりするのは、アリなんですか?
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