第3話
翻訳機をつけるよう促され、腕に通す。正直、なんの変化も感じない。
これ、ちゃんと作動してる?
廊下のレッドカーペットは歩行を阻害しないよう、毛足の短いしっかりとしたやつだったが、この部屋の絨毯は足裏の感触からして、埋もれるくらいふかふかした毛足の長いやつだ。
まぁ、この手の絨毯はブーツや革靴などの固めの靴を履いていれば歩きづらいことはない。サンダルやピンヒールなんかは無理そうだけど。
足元に気を取られていたので、ようやく室内を見回して絶句する。
「……部屋ひろっ!景色ヤバッ!!」
口から出てきた感想がお粗末すぎるが、語彙力崩壊レベルの凄さだった。
パーティーが開けそうなほど広いリビングには、シックなソファーセットがドンッと存在をアピールしているし――相当お高いやつと見た、最上階から一望する東京の高層ビル群もやたらと視界に入ってくる。
「ヒロセ、遅かったな。待ちわびたぞ」
「申し訳ございません、殿下。彼女の仕事は時間通りというわけにはいかないので」
……ん?ひろせ?殿下??
最初に声がした方を見やれば、部屋に負けないほどキラキラした人物がいた。
これ見よがしに長い脚を組み、こちらを興味深そうに見つめている。
「彼女は早川紗奈さん。ご要望の人物で間違いないですか?」
いろいろと面食らっているうちに、なぜだかグイグイと背中を押されてキラキラした人物の近くまで押し出されてしまった。
明らかに異世界人の配色を持つ人物は、ゆっくりと立ち上がると私の目の前まで来て。
――くいっとされた。
「……あぁ、彼女で間違いない」
眼前に広がるは、ハリウッドの俳優も裸足で逃げ出すほどの、美しいという言葉では言い表せないくらいの美貌だ。
窓から差し込む光を浴びて、赤ともオレンジともつかない……例えるならマグマのように光る髪。明るいだけじゃなく、光が当たっていない内側の部分なんかは赤ワインのように濃い。
目は、深い深い海の色。それなのに、こちらも光の加減で濃淡が変わるみたいだ。
「……殿下、いつまで触れているんですか。失礼ですよ」
目の前の人物に魅入られて固まっていた私は、その声で我に返る。
その注意を受けて解放されたけど、隣にいる人によってまたも固まった。
「ナチュラルに顎クイする人いるんですね」
顎クイ――壁ドンに並ぶ、乙女垂涎のシチュエーション。
えっ……今、それをやられた??
この二次元ばりのイケメンに??
「……ヒロセ、顎クイとはなんだ?」
「殿下が今していた動作のことです。こちらの、特に日本の女性には受けがいいとか」
いやいやいや、嘘を教えちゃいけないでしょ!
絶対、注釈が入るよね?
『ただしイケメンに限る!』って。
「そういえば、ひろせさんって言うんですね」
「えっ!?名刺渡しましたよね?」
「あー、異世界開発協力機構がインパクト強すぎて……」
名刺に目をやったけど、UDWの部分しか見てなかったわ。
「……よくあることなので慣れましたけど。改めて、
――皇太子殿下皇太子殿下!!?
こ、こういうときどうすればいいの!?敬礼?お辞儀?握手??
「日本式の挨拶で大丈夫ですよ」
日本式の挨拶って……。
「土下座ね!!」
「違います!」
……凄い、コンマ何秒で突っ込まれた!しかも、普通に初めましてからのペコリでよかった。日本式とかわかりづらい言い方しなくてもいいのに。
「……ヒロセさん、いつまでも立ったままでは本題に入れないので、こちらに座ってください」
緑の賢者って呼ばれていた人は、皇太子殿下より数段落ちるとはいえ、こちらもイケメンだった。
皇太子殿下が人類にありえない美貌だとしたら、緑の賢者さんは北欧系民族の超絶美形だ。
ちょっと前に大ヒットしたアニメ映画で話題になったサーミ族に似ている気がする。
彼も色素が薄いのか、薄い緑の髪に透明度の高い緑の瞳。緑の賢者とは、彼がまとう色からきているのかもしれない。
私たちがソファーに座ると、緑の賢者さんが淹れてくれた紅茶を配膳し始めた。
そのとき、広瀬さんがわたしがやりますよ、いえ座っていてくださいといった、最近では見かけないやり取りをした。
「あの……さっきから気にはなっていたのですが……」
「どうしましたか?」
「お二人の声と口の動きがズレているのが非常に気になりまして……」
一昔前の腹話術師がやっていた時間差芸の逆みたいになっていて、違和感が半端なかった。口が動いているのに声は出ず、一拍ほど置いて声が聞こえる。素人がアテレコやっているみたいに声と口の動きが違うから、脳が混乱する。
「……あぁ、それはタイムラグですね。馴染めばなくなりますので安心してください」
付けっぱなしの方がよく馴染むし、言語も学習するから翻訳がスムーズになるとまで言われた。
……この翻訳機、学習機能付きだったとは!凄いな、魔道具!!
「それで本題だが、君に新しくできる空港で働いてもらいたい。実質、引き抜きだと思ってもらっていい」
部長から聞いていたこともあって、そこまで驚くことはなかったが疑問は残る。
「ちなみに、インヴルム帝国側の空港職員は、すべてUDWの者です。こちらでは空港管理は空港が、飛行機は航空会社と分かれていますが、すべての業務をUDWが行うと思ってください」
補足するように広瀬さんも説明に加わる。
広瀬さん曰く、今と同じ、グランドハンドリングの客室を担当してほしいとのこと。
また、空港と言えど、こちらのハブ空港のように離発着数は多くなく、一日の受け入れ数は決まっているらしい。
ただし、すべてが大型旅客機、つまりは長距離便で飛んでくるため、作業量自体は多くなる見込みだとか。作業については、詳しい項目が決まっていないこともあって、詳細は言えないと。
「あの、それ以前になんで私なんでしょうか?大手航空会社の子会社に勤めているとはいえ、私はしがない契約社員です。経験豊富な正社員もたくさんいますよ?」
「……それはだな、君の仕事ぶりと資質を気に入ったからだ」
なんとか首を傾げるのを堪えることができた。皇太子殿下のお言葉に、それはまずいだろうという理性が働いてくれてよかった。
「魔法を使うには魔力が必要なのはわかりますよね?」
唐突に緑の賢者がそう質問してきたので、はいと答える。
「魔力は、魔素と魔質によって作られます。魔素は空気中に含まれ、魔質は体内に宿る。また、魔質には特性があり、その特性で使える魔法が変わってくるのです」
なんか、授業みたいになっているけど、凄く興味深い!
ようは、元素みたいなものか。
魔素を酸素だとしたら、魔質が水素や炭素だとする。それが反応して水になったり、二酸化炭素……風になる。
「魔質にはその人の本性が反映され、魔質が極めて高い者は、他者の魔質を感じることができるのです」
あれ……思っていたのと違う。
オーラとか、スピリチュアル系な話だった?
「そして、こちらの世界の人間にも、少数ですが魔質を持つ者がいることが確認されています」
ま、まさか……。
「魔質を持つ地球人が異世界に行ったら魔法が使えるんですか!!」
「今のところ使えません。じっ……検証中です」
あ、今、実験って言おうとしたね?
現在進行形で、人体実験が行われていたりするんだね?
「君も魔質を持っていて、私たちは君の魔質を好ましいと感じた。君は善良な人間だと魔質が証明している。そういう者をすべての部署に配置することで、業務が円滑になる。我が国での常識だ」
「インヴルム帝国で行われているのならと、UDW本部のある部署で実施してみたところ、一定の成果が得られました。今ではどこの部署にも必ず、異世界人が好ましいと感じる魔質を持つ者が配属されているんです」
広瀬さんの言葉に、皇太子殿下が君もだよねと仰っていたので、彼は魔質を持つ者なのか。
「それで、殿下方が特に気に入られた人物は、特別職員として採用されます」
特別職員?他の職員とは別枠なの?
肩書きがつく役職にしたり、手当てをつけるとかでいいような気がするんだけど……。
そもそも、魔質のことを伝えなくても、それはそれで――あっ!
「人体実験要員ですか!?魔法が使えるならやりたいですけど、痛いのは絶対に嫌です!!」
「それは足りているのでいらないです。あと、別に痛いことはしていません。研究所に住んでもらい、我々の世界の食事を摂らせ、環境要因から調べているだけです」
私の発言が緑の賢者さんを刺激してしまったのか、授業が再び始まった。
「魔素は空気中であればどこにでもあるものなので、人だけでなく、動物も植物も魔素を取り入れているのではと思ったのです。実際にこちらの科学で調べてもらったところ、特に植物は地球のものとは構造が大きく違うことが判明しました」
時折、紅茶で喉を潤わせつつ、授業はどんどん進んでいく。
異世界の植物は光合成に類似する生化学反応を行っているが、同時に魔素を取り込んでエネルギー変換をしているらしい。その変換されたエネルギーは魔力とは違っていて、それが魔法を使えることに関係あるかもしれないので試していると。
正直、花の名前や花言葉なら、オタクなのでまぁまぁ詳しいけれど、生物学となると学校の授業で習った程度しかわからない。
人体実験とは言え、異世界で美味しいものを食べるだけの仕事とか、かなり羨ましい。そして、成功すれば魔法が使えるようになるスペシャル特典付き!
……待てよ。結果が出るのに時間がかかるにしろ、もし、本当に、異世界の食べ物が要因で魔法が使えるようになるとしたら……。
この誘い、乗ってもいいんじゃない?
Have a good flightー異世界空港はいつもてんやわんやー 向日葵 @himawari
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