幸福者

欲しいものがなんでも手に入るカバンを手に入れた。


19世紀ごろに紳士が提げていそうなアンティークな革のカバン。


怪しい露天商から買った。欲しいものを願いながらカバンを開けるとカバンの中から欲しいものが出てくるという。目の前で実演され、面白かったので買った。トリックでもホンモノでもカバンは僕の好みだったからだ。


家に帰ると早速試してみた。うまいワインとチーズをカバンに願うと、そこそこ高級なワインとチーズが出てきた。最高級のものは僕はすでに味わっており、その経験から言うとある値段以上のものは金の味がするようで好むところではなかった。このカバンは僕のことをよくわかっていると思った。


自慢じゃないが(こういうことばの後には自慢と思われそうなことが続いてしまうが本意ではないことを伝えたい)僕は金にも女にも不自由はしていない。となるとカバンに願うことは趣味ぐらいと思い、今では手に入りづらい古書をいくらか頼んだ。


早速古書に取り組む日々。古書の中では幸福が論じられているものが多かった。


そういうわけで、僕は幸福な自分が欲しいとカバンに願った。


抽象的な願いというのはたいがいの創作物においてリスクを伴うか、あるいは叶わないものだと思いつつも願った。すると、カバンから人が這い出してきた。その人は僕とそっくりだった。


彼はつまるところバカだった。僕だけが知っている秘密や子供の頃の夢やらを知っているということで記憶は僕と同じものであるとわかった。しかしやたらと酒を好み、下品な話をしたがるところは僕と全然違った。


毎日のように彼に酒を付き合わされた。酒の力と、毎日を共に過ごすうちに自然と口が軽くなり、女や文学、政治や理念、様々なことを彼と僕とは語り合った。


また、彼は僕が仕事をしている間、僕の部屋にある本を読んでいたようだ。僕の部屋に暇つぶしはそれぐらいしかない。


部屋にある本をすべて読み終わると、当面の生活が何とかなるだけのお金を持って出ていった。金はいつか返すと書置きがしてあった。


僕一人でも生活は続く。あれほど印象深い彼のことを忘れ、カバンをどこかにやってしまうくらいの時間が過ぎた。


ある時、見ず知らずの人間に声をかけられた。なんでも流行の小説家にそっくりなんだそうだ。その小説家のことを調べるとなんとカバンから出てきた自分、つまり彼だった。デビュー作の作者コメントにはこう書いてあった。


「小説家になることは幼い頃の夢だったんです」


なぜか自分のことのように喜んでしまった。



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