ドッペルゲンガー病

個性的な人間とはどんな人だろうか?スポーツ選手や芸術家など、オンリーワンの才能を持つ人のことだろうか?あるいは、オタクのように特別な趣味を持った人だろうか?はたまた、政治家や社長のような特別な地位を持った人のことを指すのだろうか?


インターネットやSNSによって個性は統合されてしまった。皆が個性的になりたいと思う、そのことこそが個性を失わせてしまった。人間の想像力には限りがある。流行を追うことも、流行を追わないこともどちらも非個性的なのだ。


さて、そういう社会が続いていくらか過ぎたとき、人間の個性は学者が分類できるくらいのパターンに分類されるほど少なくなった。


政府によって、社会にとって有用な個性の人間になることが推奨され、不要な個性である人間は生きづらくなった。そして多くの個性が失われた。


いつしか、肌の色や身長、体型などまで皆似たようなものになった。整形は義務となり同じ顔を持つ人々であふれかえることとなった。


それら個性の消失は遺伝子レベルまでたどり着き、結果としてはあらゆる病気や心身機能の障害は克服されることとなった。しかし、人類には新たな苦難が降りかかる。


ドッペルゲンガー病。


自分と同型の人間を見つけると、殺そうとするか、自殺しようとするのである。根本的な自己保存の本能からか、あるいは新しい神経症なのか、あらゆる仮説が立てられたが原因は不明。


一人、また一人と感染するように広がってゆくドッペルゲンガー病。人類は恐怖した。


人類は人間の統合を推し進めた。意識を統合し、肉体を統合し、魂を統合し続けた。似ている他人の消滅を目指したのである。最終的には地球にいる人間は一人きりになった。


彼はおよそ人間の想像しうる中での完全な人間だった。ほとんど不死身の肉体に、明晰な頭脳、過剰なほどの運動神経。彼は長い間、独り地球で生き続けた。人間という個性を守るために。


しかし、孤独に飽きた彼は自分以上の人間を造りたいと願った。しかし、彼以上に完全な人間は造ることはできなかった。彼自身が人間の限界だったからだ。彼が造ることができたのは何かの能力一つについて彼を越えるものたちであった。人間の限界を超えた能力を備えた造られたものたちは、人間と呼ぶにはおぞましい姿をしたものたちであった。


しばらくの間、彼は満足していた。しかし、彼は思いあたる。おぞましい彼らにあって自分にないもの。個性。


彼はドッペルゲンガー病によって植え付けられた記憶から自分の無個性さ、完全さに恐怖を感じた。彼は造ったものたちを全て殺そうとしたが、逆に殺されてしまった。


こうして人間は個性によって滅ぼされてしまったのである

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