ウラシマ
「こんにちは。以前にあなたに助けていただいた亀です」
現在に戻る。嶋浦太郎はアパートの自室の玄関のドア越しにインターフォンを鳴らすのが何者か覗いて確かめてみると、濃緑色のスーツを着たとんでもない美女であったので扉を開けた。しかし彼女は冒頭のように、以前に嶋浦に助けられた亀だと名乗ったので、すぐさまドアを閉めた。彼は恐怖と困惑で玄関で立ち尽くしていたが、すみませーん開けていただけませんかーとドアをたたく声は止まず、最終的には、
「開けていただけないなら大声を出しますよー」
「まてまてまてまて」
という剣呑なやり取りを平和に行ったあと、彼女を部屋に入れた。
嶋浦の部屋に唯一ある机は、おしゃれなちゃぶ台といったほうがいいかもしれない代物だが、それの前に彼女を座らせると一応客人なのでお茶を出した。気持ちとしては彼はぶぶ漬けを出したかったろう。ありがとうございますと言って美女はお茶を一口飲んだあと嶋浦が座るのを待ってから喋り始めた。
「ここ十三年で亀を助けた人の中で、あなたが竜宮城に行くことに選ばれたのです!昔話にもなった浦島さんから数えてあなたで記念すべき百人目ですよ!」
「昔話の通りだとしたら、僕、地上へ帰れないじゃないですか。今の生活には嫌なこともあるけど、全部捨てるとなると話は別ですよ」
「ここ何十年かでそうおっしゃる方がふえたので、こちらにも用意があります」
そういってニヤリと笑う彼女は鞄から冊子を取り出す。その冊子の表紙には『老化を防止!竜宮飯!寿命が百年伸びる』とか『竜宮城に時間制御装置!竜宮城での一年は外界での一日です!』とか『浪漫あふれる海底生活!美男美女がよりどりみどり!』とか安売りの広告のようなフォントで書いてある。嶋浦はそれを手に取って無表情になった。
「あなたを竜宮に連れてこいと、私上司にきつく言われています」
しょんぼりした顔でそういう美女に、サラリーマンである嶋浦はちょっと同情したようだ。しかし、相手は部屋に無理やり押し入り竜宮に連れていきますとか言ってる人物である。嶋浦は人が好い。彼はしばらく悩む表情をしたあとため息をつきながら、
「じゃあ、今日一日だけならば付き合いましょう。明日には仕事もあるので」
と答えた。ぱあっと顔を輝かせた美女は、おほんと一息つくと机に置いてあるお茶をずらし、彼女が抱えていた鞄を机の中央に置いて何やら機械のようなものをとりだし操作する。嶋浦が興味深くそれをながめていると
「竜宮の技術はすごいんですよ!」
と自慢げに胸をそらした。嶋浦はその姿に苦笑して瞬きをして目を開ける。すると、嶋浦のいる場所は慣れ親しんだ我が家ではなかった。
その部屋は、窓から青い光が差し込んでおり天井からは暖かい黄色の光が優しく降り注いでいた。家具は少ないが机にも椅子にも脚がなく浮いていた。呆然と部屋を眺めている嶋浦は脚のない椅子の一つに座っていた。正面にはすごいでしょう?という表情をした美女が立っていた。
「では竜宮をご案内しますね」
そう言った美女に手を引かれながら嶋浦は部屋を出た。
空が海になっている。その中を見たことのない形容しがたい生き物や魚が優雅に泳いでいる。太陽のような光の塊が三つあり、街を照らしている。二人は球状の建物のようなものが多く空に浮いている通りを歩いた。二足歩行の魚といったような生き物と多くすれ違う。人間もちらほらとその中に混ざっていた。
夢うつつといった表情で、街の景色や
待ってましたと言わんばかりに美女が説明を始めるが、超古代の地球から、未来の外宇宙の話まで縦横無尽に話が広がり、嶋浦はほとんど理解できなかった。彼が理解できたのは、竜宮は地球の海底よりも深いところにあるということと、人類の技術の一部は過去の『浦島太郎』たちが持ち帰ったものであるということだった。
「いずれ人間も、宇宙や海底に自由に行き来できる日が来るでしょう。私たちはその時をゆっくりまっているのです。ちょっぴり地上の人たちに手を貸しながら」
美女の話はとりあえずそれで終わった。歩いていた二人は誰もいない駅のようなところに着いていた。電車のような乗り物が来ていたので乗りこみ、座席に座る。それを見計らったかのように車両の扉は閉じ、発車した。乗客は他には誰もいないようだ。嶋浦は、しばらく車両の窓から外の景色を見るともなしに見ながら、ぽつりといった
「例えばここの技術の勉強をするのも悪くないなあ」
「賢い人のなかにはそういう人もいますし、そうでない人は一日中遊びふけったりしていますね~」
「なかなか悪魔的だなあ」
「神様とか悪魔とかは、地上の人が自分で考えたものですよ?」
「あんまり嬉しくないね」
そういったくだらない話をしているうちに目的地に到着した。車両は停まり、扉が開いた。駅に降り立つと、二人の目の前には巨大な球や円柱などの幾何学的な立体を複雑に組み合わせた建物。
「ここが竜宮城です」
と美女は建物を示す。嶋浦は食い入るように建物を見つめながら、ごくりとのどを鳴らす。
「まだまだ時間はありますが、この建物の中を案内するとなると約束の一日は過ぎてしまいますがどうしましょう?」
見たことのない技術、知識が間違いなくここにはある。人類の知識を何千年も自分の手で進められるかもしれない。そういう欲求が嶋浦にめらめらと湧いてきた。にっこり笑いながら返事を待つ美女。嶋浦は一度目を閉じ深く息をつくと、美女に向き直って言った
「帰るよ。こういう壮大な話は僕には向いていない」
「残念です。でも、じゃあ一つだけお土産を」
「玉手箱はごめんだよ」
気が付くと嶋浦は自分の部屋に戻っていた。時計を見ると美女が部屋に来てから一時間ほどしか過ぎていない。机には、あの安売りフォントで書かれた竜宮城の説明冊子があった。
翌日、会社に行くと嶋浦は上司である開発部の部長に新しいアイデアを進言した。このアイデアで何十年かのち彼はノーベル賞をとることになる。ノーベル賞をとった後のインタビューで、研究のアイデアを出す秘訣をこう答えた。
「亀を助けることですかね」
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