きゅうり酒

あっしは、しがない河童です。


どのくらい前かな、池のほとりの草陰できゅうりを食べていると妙な視線を感じたんです。


あっしも仮にも河童なんで、おかると?が流行ってたころにはそれなりに妙ちきりんな機械を持った人間に追われたりしましたよ。自分の住処の池を追い出されて、干からびそうになりながら山奥のため池に逃げたこともあります。


ただ多くの人間は何となく河童なんて信じていない風であったから真剣でなかったし、真面目に追おうという人間もないことにはなかったようですが、そういう人間はどこか地に足がついてないので我々を探すのが非常に下手でしたねえ。


まれに人間の前に敢えて出てやる河童もいましたけど、そういうやつは人間をおちょくって楽しむような輩でしたから。あっしみたいな陰気で人前にでるのが苦手な河童はうまいこと隠れてやり過ごしてましたよ。


話がそれましたね。とにかくジっとあっしを見つめる視線を感じたもんですから怖くなっちまって。何度も住処の池を変えてみたりとするんですが、視線はずっとついてくる。不気味だってんで仲間に相談したら厄介ごとには巻き込まれたくないってみんな逃げ出しちまいました。


寂しくなって、だーれも来ないような森の奥にある池に行って、ほとりで一人きゅうり酒をあおってたんですよ。その時も視線はずっとあたしにまとわりついていて。酔いも回って気が大きくなっちまったから、視線の感じるほうへ大声で啖呵を切ってやったんです。


「やいやいやい、隠れてねえで出てきたらどうなんでえ!こちとら天下の河童様でえ!てめえみてえなコソコソしたやつ、ケツの穴から尻子玉引っこ抜いてやんぞ!」


そうするとね、すーっと木の陰から人間の男が現れたんでがす。大きな荷物を背負っていたのに足音一つ立てずにね。髪はぼさぼさでひげも伸びてて、汚らしい服を着ていたなあ。いっそ裸のほうがましなんじゃないかと思いましたね。


本当に何か出てくると思ってなかったあっしは、もうびっくりおったまげちまって足も震えて動けない。男はどんどん近づいてくる。こりゃもうおしまいだ殺されちまうんだと今思うと見当違いなことを考えてがくがく震えていると


「その酒、うまいのか?」


と男はあっしが手に持つきゅうり酒を指して言ったんです。あっしはお口に合うかどうかわかりゃしませんが、とかいうことをもごもご喋りながらきゅうり酒を男に差し出すと、男はぐっと酒をあおって


「なるほど青臭い」


と言ったあと、たいそうなげっぷをしました。変わったお人だなあと思っていると


「残りももらっていいか、研究用に保存しておきたい」


と言い出すもんだから


「そりゃあいけない。そいつは一升で、きゅうり百本は使わないと作れないのだ」

「だったらきゅうりをあとで千本やろう」


とくるもんだから、手元にあった酒をぜーんぶやろうとしたらそんなにはいらんと断られちまいました。なぜ人間がこんな酒を欲しがるのか不思議で聞いてみたところ、


「俺は妖怪学者なのだ」


とにやりと笑う。そんな学者がいるのかと感心したからか、笑顔に邪気がなかったからか、不思議と男に対する恐怖は小さくなってました。今思えば酔いも覚めていなかったんでしょう。


「学者さんというのはあっしらを捕まえて腹を開いたり食べたりしちまうんだろう?」


と冗談交じりに聞いてみたら、


「俺は科学を信じておらん。君らの腹を開いたところで魂なり歴史なりが見つかるわけでもあるまい」


とまじめにお答えなさる。なんだか深いことをおっしゃるものだと感心しながら男を眺めまわしていると、なんとこいつには足がない。ああこのお人は幽霊なのかと気づきまして、だからずっとあっしの跡をつけまわせたんだと。幽霊になってまで向学心がある。あっしは河童だけど、素直にすげえと思いやしたね。


その後もしばらく学者幽霊さんとは懇意にさせてもらっていましたが、ある時、思い立ったように


「ここにばかりいるわけにもいかん。いままで助かった」


というと、ふっと消えちまったんでがす。成仏したのか、他のあやかしを調べに行ったのかかはわかりやせん。今でもきゅうり酒を飲むと、たまにこのことが思い出されるんですよ。

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