食物記憶
僕は食べたものの記憶を知ることができる。
例えば牛肉を食べると牧場でのびのび草をはむ記憶から、屠殺場で殺される間際、牛が鳴き声をあげるところまで分かるというわけだ。子供の頃は怖くて肉が食べられなくなったが、大人になってからはまあ、嫌々ながらも食べられるようにはなった。単にベジタリアンの才能が無かっただけかもしれないが。
しかし、こんな能力というのは人に話したら精神病院に入れられるか、そうでなくてもつまはじきにされて非常に生きづらくなるだろうということで能力のことは隠すようにしてきた。
そういう努力も実ったのか念願の恋人ができた。同じ大学に通っている聡明な彼女。付き合うきっかけは同じ本を読んでいることだった。逸脱したものについて道徳を試されるような小説だったのを覚えている。
付き合って半年は過ぎたろうか。初めて彼女の家にくるように誘われた。心躍る気持ちと緊張で頭は真っ白、気が付くと夕食時になっていた。夕食は彼女が作ってくれたのだが……出てきたステーキ肉は、人肉だった。
記憶が見えた。ナイフを振り下ろす彼女、男の断末魔の声、走馬灯。僕は人肉は生まれて初めて食べてしまったのだが、思ったよりも普通の肉で驚いた。
僕の彼女は殺人鬼なのか。あるいは他の可能性もあるが、そうだとしても自分の彼氏に殺した人の肉を食わせるのはどうだろう、倫理的に。今の倫理と未来の倫理が一致しない可能性を考えるが今回のことについては一致を見ないのは流石に難しいだろう。
様々な思いが頭をめぐるが努めて表情には出さないようにした、できたと思う。
「このステーキは美味しいなあ。何の肉?」
「あなたへの愛情たっぷりのお肉」
語尾にハートマークでも付きそうな可愛い返事。この可愛い彼女に倫理を説くにしろ、警察に自首させるにしろ、彼女が人を殺した証拠をつかまないといけない。ということは記憶を知るために目の前のお皿に乗っている人肉ステーキをもっと食べなければならない。
牛や豚が死ぬ記憶を何百何千と知ってしまったからなのか、人間の死ぬ記憶がひとつ追加されてもそれほどショックではなかったのに自分でも驚いていた。億劫ではあるが食べられないことはない。
記憶を詳細に確認したところ殺人現場は多分彼女の家に来る途中に見かけたさびれた公園だ。被害者は大学生男子、有名な二流大。ずいぶんナンパな男だったらしい。あと俺が食べたのは尻肉らしい。知りたくなかった。俺が食べた彼は彼女にナイフでめった刺しにされたみたいで、凶器のナイフは……彼女の部屋をぐるりと見ると本がほとんど入っていない本棚にインテリアのように綺麗に飾ってある。その隣には僕と彼女が出会うきっかけになった小説。
「夕食が終わったら近所を散歩デートしない?」
殺人現場であろう公園を見たいがために切り出してみた。彼女は喜んで賛成した。彼女の家を出てから公園につくまでに他愛のない会話をした。夜の散歩ってなんかワクワクするよねとか楽しそうな彼女に少し胸が締め付けられた。
公園に着くと誰もいないことを確認した。僕と彼女の二人きり。大切な話をするのにはちょうど良い。
「僕は君のことが大好きだけど、かくしていることがあるよね?」
「女の子は秘密を持ってるほど魅力的なんだよ」
「秘密の質や大きさによるんじゃないかな」
うふふと笑う彼女を常に視界に捕らえながら話を続ける。
「君は人を殺したね?」
さすがに彼女も驚いたのか目を大きく見開いた後、満面の笑顔を浮かべて答えた
「あなたのために殺したの、美味しかったでしょう?」
僕は一瞬目を閉じて言葉を探したが口から出たのは陳腐な言葉でしかなかった。
「人殺しはいけないよ」
「私のこと嫌いになった?」
「大好きだよ」
そういって彼女にキスをする。僕の能力はずいぶん定義が緩いらしい。彼女の記憶が少しだけ見えた気がした。無垢な少女が大人に汚されていく記憶。
唇を離して彼女を抱きしめ、目を合わせながら言った。
「僕のためなら人を殺さなくていいよ、人肉はあまり美味しくなかった」
「わかった。じゃあ殺さない」
にっこりと笑う彼女と手を繋いで一緒に彼女の家に帰った。その夜は二人で抱き合って眠った。彼女の寝顔は幼い少女のようだった。
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