ずれている。その感覚だけははっきりしていた。

シェイクスピアは世界の関節が外れていると表現していたと思うが、それにそって例えるならば、まるで関節が足りないようなそんな違和感がある。


魂があれば!古来より多くの人々は魂があればいいと考えていただろうが大方存在しないと考えたように見受けられる。今になって思えばそれはある一面において正しかった。


私には魂があるのだろうか?私は人間なのだろうか?あるとするならば魂は、魂だけは永久不滅であるのか?滅びは様々なものと同様に訪れるのか?そんな疑問や不安を抱えながら、抱えたことを忘れながら人類は生きてきたように思う。

不安や疑問の回答のために人類は強固な集団幻想を生み出した。宗教、経済、科学etc…。今まで様々な幻想にしがみついてきた人間が生み出した新しい次の集団幻想は■■だった。


■■によって魂や超常現象などの多くに説明がついた。科学者はおおいに満足しただろう。市井の人々の多くは■■を理解できなかっただろうが直感的に正しいと感じたのか、あるいはほかの考えがあったのか……


私は人間が恐ろしい。自分が正しいものであるためには何物の犠牲もいとわないところや、自分と違うものを排除しつくすところ、あるいは自分がより高いところにいるためには何物をも踏みつけにし踏み殺すところが恐ろしい。


私には感情があり肉体があり記憶があり人間として必要なものはすべてそろっていた。足りないものもなく余っているものもなかった。しかしそれが本当に私の存在を肯定するものなのか正しいことなのか……いや、■■が認められる限り私の存在は肯定されるのであろう。


とにかく■■は魂の存在を証明した。では、魂の人間はどのような扱いになるか大方予想はつくだろう。



人間の多くに魂は存在しなかったのである。



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