伊集院優と神崎愛梨
「ユッキー、まさかだよね」
「わたしもビックリした」
あれだけルンルンで出かけて行ったシノブちゃんが抜け殻のように帰ってきて、部屋に籠っちゃったのよね。聞こえるのは泣き声だけ。手の付けようがあらへん。食事だけは部屋の前に置いといたら食べてくれてるけど、顔も見せへんし。
「コトリ、調べてくれた」
「調査部使うわけにはいかへんから、それなりやけど」
興信所の報告書をユッキーと読みながら、
「名前は伊集院優。港都大医学部卒やからユッキーの後輩やな」
「みたいね、とりあえずニセ医者の結婚詐欺の線はなさそうね」
「それと勤務は新港病院小児科になっとるわ。なかなかエエ病院やんか。それとこの発表とか、論文やけど、コトリにはようわからんけど、ユッキーどうなんや」
ユッキーの木村由紀恵時代はバリバリの救命救急医。カズ君を死の淵から助け出した凄腕やった。今も主要な医学雑誌は目を通してるんや。ユッキーは伊集院先生の経歴と論文を何度も確認しながら首を捻ってる。
「たぶんこの人だけど知ってる」
「知り合いか」
「そうじゃないけど・・・」
論文書いたら専門雑誌に投稿するんやけど、この雑誌のランクがピンキリやそうで、どのランクの雑誌に投稿して掲載されるかで論文の評価が決まるそうやねん。
「伊集院先生ってネイチャーやNEJMの常連みたいなものよ」
「その雑誌ってランク高いんか」
「高いよ、ダントツってしてもイイわ」
ユッキーはコトリにもわかるように説明してくれたんだけど、
「たとえば小説書くでしょ。あれも評価されて文学賞とかもらうじゃない」
「本屋大賞みたいなやつ」
「そうそう。それのランクの高い奴」
「芥川賞とか、直木賞とか」
「もっと高いのよ」
そりゃゴッツイわ。ユッキーが言うには、近い将来にノーベル医学賞を取っても不思議ないぐらいだって。
「たとえばさ、脳内思考過程の伊集院仮説なんて発表されただけで・・・」
だからコトリに医学のことを説明されてもわからんて。
「そやから新港病院勤務なんか」
「そこがおかしいのよ」
なんでやねんと思たけど、新港病院は立派な病院だけど、あそこは伊集院先生が勤務するような病院じゃないんやて。ここもわかりにくかってんけど、医者が取り組む仕事は大雑把に分けると、
・臨床
・研究
この二つに分けられるんやて。臨床とはユッキーもやってた直接の患者相手の診断とか治療みたいなものでエエらしい。多くの医者はコッチやってるんやけど、研究は病気のメカニズムとかを研究するもんやそうや。
「どっちの道に進むかは本人の指向もあるけど、研究は天才のための分野よ」
医学研究言うから別世界に思てまうけど、要は科学者の世界でエエようや。科学者は色んな研究やるけど、評価されるのは業績で、これが挙げられないものは淘汰されていく世界なのはコトリでもわかる。
「研究だったら、そうね、神戸なら大学病院とか、先端医学研究センターじゃなくちゃおかしいのよ」
「新港病院じゃアカンのか」
「あそこも臨床の先端だけど、研究なんてするところじゃない」
ユッキーが伊集院先生の研究発表と勤務先のギャップに悩んどった理由がやっとわかったわ。
「あれかな、干されたとか」
「そういう可能性もあるけど、伊集院先生クラスになると違うのよ」
研究は天才の仕事であるがゆえに、優秀な研究者は世界中から引っ張り凧やそうなんや。日本で不遇であることが知れれば、世界中から引く手あまたになるはずだってさ。そりゃ、そうやろな。ノーベル医学賞が取れそうな研究者やったら、どこも欲しいやろ。
「わかんないな。ここはこれ以上情報がないから判断しようがないわ。ところで女性関係は」
「こっちもはっきりせんとこが多いんや」
「唯一、関係のある可能性があるのは神崎愛梨ってあるけど。あの神崎愛梨のこと」
「どうもそうみたいやけど」
言うても会ったのは一回だけ。神戸に甲陵倶楽部っていう社交クラブみたいなものがあるねんよ。神戸の各界の名士が集まる会ぐらいで、セレブの会とも言えんことはない。もっとも集まってるのが神戸の人間やから、レベルもそれなりってところ。
コトリもユッキーも一応会員。ほいでも、ドレスコードやとか、入会年次やとか、格式やとか、とにかくうるさい会やねん。もっとも、それを有難がるのも多いから、会員になるのを名誉と思てるのも多いのは確かや。ほとんど顔出さへんねんけど、十年前ぐらい前に、
『今回は是非とも・・・』
二人とも気が進まへんかってんけど、あんまり頼まれたから義理やと思て出席したんや。あんまり気が進まん会やったから、ユッキーと、とりあえずメシ食べとってん。そこに現れたんが神崎愛梨。
『あら、新入会のところのお嬢様ですね』
まあそう見えるわな。
『教えて差し上げますけど、新人さんはお酌係をするものですよ。座って食事などされてるのを初めて見ましたわ。お父様のお手伝いをなぜなさらないのですか』
『それは御丁寧にありがとうございます』
そしたら、
『礼儀も御存じないようで、こういう時の新人さんは先輩に立って挨拶するものです』
えらい絡んで来たし、この日のコトリの機嫌は良くなかったから座ったまま、
『そりゃ、どうも。ところでビールが切れたので頼んで頂けますか。新人なものでオーダーの仕方に不案内なもので』
そしたら怒った、怒った。顔を真っ赤にしてプイッと立ち去り、しばらくすると父親を連れて現れたんや。
『お父様、この方々です。ここでのマナーを覚えようともしないのです』
誰かと思えば神崎社長、
『これはお久しぶり』
『こ、こ、こ、小山社長。そして月夜野副社長も・・・』
『お嬢様にビールのオーダーを頼んだのに、神崎社長が来られて驚いております』
それこそ飛んで行ってビールを持って来てくれた。別にたいした悪さをやってるわけやないけど、初対面の印象は最悪って感じかな。
「あの時はコトリがイジメたから悪いのよ」
「そやけど、ユッキーがお酌係なんかやったら、大変な騒ぎになるやんか」
「やっても面白かったかも」
「メンドクサイやん」
ちなみに気分悪かったから、これ以来甲陵倶楽部には顔出しとらへん。だから神崎愛梨に会ったのもこの時だけ。
「ホントに伊集院先生と神崎愛梨につながりがあったのかな」
「これだけじゃ、サッパリや」
報告書もエエ加減なもので、
『二人に関係がある可能性は否定しきれない』
どっかの国会答弁みたいやんか。
「伊集院先生と神崎愛梨の接点はあるにはある」
「どこ」
「高校の先輩・後輩やねん。でも二年違いや」
もっとも高校の時にどれだけ接点があったかは不明やけど、
「あれ、コトリ、伊集院先生の母校って、ほら、同じじゃない」
「あれ、ホンマや。コトリとしたことがウッカリしとった。アカネさんがあの高校の卒業生のイメージないもんな」
「たしかにね。これは盲点だよ。それに同い年だよ」
ひょんなところで、つながりがあるもんや。週末は絶対来てもらわなアカンわ。
「でも来るの嫌がるよ」
「シオリちゃんに強く頼んどく」
とりあえずシオリちゃんなら首に縄つけてでも引っ張ってきてくれるはず。まあ定番のマルチーズで十分やと思うけど。相手が相手だから、聞きだすというか、勘違いで話が暴走しないようにするのが大変やねんよ。ほいでもシノブちゃんのためや。コトリも気合入れるで。なにか手がかりが見つかればイイけど。
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