第56話――キスの行方は?

 眼鏡の神の声が聞こえなくなった。晋太郎はぼろぼろになった身体にむち打って立ち上がり、由隆と百合香の様子を満足げに見つめて言った。

「さて、一件落着だな」

「新たな眼鏡カップルも誕生したようだし、今日はお赤飯かしらねぇ」

 陽子が意地悪そうな微笑みを由隆に向ける。

 その時、校舎の窓という窓から、生徒たちの大歓声が轟き渡った。

「凄かったぞ!」

「眼鏡って、すごいんだねっ!」

「生徒会長も副会長も、これから頑張れっ!」

 携帯で写真を撮っている生徒もいる。騒ぎには生徒だけでなく、教師たちまで荷担していた。歓声は校舎を震わせ、中庭にいた五人の眼鏡戦士たちの皮膚を、鼓膜を震わせる。

 感無量といった表情で満足げに周りを見まわす晋太郎の前に、頬を染めたましろが歩み出た、

「松原先輩っ! いつもいつも庇ってくれて、ありがとうございましたっ! あの、一つお願いがあるんですっ!」

 ましろが晋太郎の手を取り、自分の胸元に引き寄せる。その瞳は熱く潤んでいた。

「会長さんが、百合香さんにしたこと……私にもしてくれませんか?」

 晋太郎にはまるで周りの歓声が一瞬かき消えたように思われた。

「え……えええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」

 ましろの表情は真剣だった。熱に浮かされた瞳で、じっと晋太郎を見つめてくる。

「私、松原先輩にいつも助けられて、さっきもビームから助けてもらって……。その、本当に先輩が好きになっちゃったんです!」

「ちょっと待った。晋太郎ちゃんがキスをするのは、このボクだよね。そうだよね、晋太郎ちゃん?」

 郁乃が自分の身長よりでかいハンマーを片手ににっこりと微笑む。晋太郎の額に脂汗が滲みはじめた。この状況はまずい。非常にまずい。

「あらー。てっきり松原くんはウチにあっつーいベーゼをくれるものだと思ってたのになぁ。違うの?」

 陽子の場合は面白がってやってるとしか思えないのだが、どうも目つきは本気のようだ。

「わたしにも……と言いたいところですけど、わたしは遠慮しておきますね。松原くん、ファイトですよ!」

 柔らかい微笑みを浮かべて、水琴が無責任なことを言ってくれる。

 上目遣いでじっと見つめてくるましろ。ハンマー片手にとてもいい笑顔を見せる郁乃。意味不明かつ意図不明の陽子。三人の眼鏡っ娘に熱い視線を送られた晋太郎は、くるりときびすを返すと、脱兎のごとく駆けだした。

「あ、逃げましたっ!」

「こらーっ! にげるな晋太郎ちゃーん!」

「捕まえたらガチガチに極めてやるわ!」

「頑張ってくださいねーっ!」

 晋太郎は逃げた。逃げながら絶叫した。心の底から、腹の底から叫んだ。

「そんな、弾倉フルロードのロシアンルーレットなんて、死んでもお断りだ――っ!」

 走る晋太郎と追う眼鏡っ娘三人。無邪気にはやし立てる一人。

「どうにかしてくれ、生徒会長!!」

 とうとう晋太郎は由隆と百合香のもとに逃げ込んだ。そんな晋太郎を見て、百合香がそっと呟いた。

「ゆたかちゃん、私たち、負けてよかったんだよ」

「うん。ゆりかちゃん。僕も今そう言おうと思ってたところだ」

「うわあ! 助けられるどころか惚気られた! リア充爆発しろォっ!」

 四月の空が柔らかな光を湛えて、皆を包み込む。

 いつまでも、いつまでも、晋太郎は逃げ続けた。

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