第55話――眼鏡の奇跡 2

由隆の顔にはごくありふれた、ダークブラウンのセルフレーム眼鏡がかかっている。顔の半分を覆っていた覆面は、消え去っていた。片目に残り暴れていたはずの魔王のレンズも、まるで最初から無かったかのように姿を消していた。

『道明寺由隆に眼鏡の祝福があらんことを……。さあ、次はその眼鏡をかけたら中々美人そうな女の子さんじゃ。塚本ましろ、《転生の眼鏡》をケースに収めボタンを押すのじゃ』

 残っていたもう一つの眼鏡を、ましろがケースに入れる。そしてボタンを押そうとしたときに、背後から声をかけられた。

「百合香さんに眼鏡をかける役目、わたしに譲っていただけませんか?」

 戦いで傷だらけになりながらも、いつもと変わらない柔らかな微笑みを湛え、水琴がましろをみていた。

「はい! もちろんです先輩。白石先輩が適役だと私も思います!」

「ありがとう……」

 ましろが金色に輝く眼鏡ケースのボタンを押し、水琴の手に手渡す。水琴は愛おしげにそれを撫でると、そっと開いて中の光の眼鏡を取り出した。

『さ、その子に眼鏡をかけてやるがいい。きっと見とれるほどの眼鏡美人じゃぞ?』

 眼鏡の神の戯言には耳も貸さず、水琴は百合香の顔にそっと眼鏡をかけてやった。光の眼鏡はマスクを通り抜け、顔の上に固定されている。

『では、祈りの言葉を』

「「「「「「石橋百合香さんに眼鏡の祝福がありますように」」」」」」

 ぱっと光の眼鏡が砕け、百合香の顔を覆っていた覆面が消え去ると、由隆の物とおそろいの、ダークブラウンのセルフレーム眼鏡が顔に載っていた。

「こんな事って……」

 郁乃が驚きの声を上げる。見れば、アスファルトの地面に広がっていた血の池はキラキラと光る金色の光の粒子になり、空中へ舞って消えていた。胸から背中にかけて貫通していたはずの傷も、すっかりふさがって痕すら残っていない。蒼白だった顔色も、血の気を取り戻している。

『石橋百合香に眼鏡の祝福があらんことを……。うむうむ。なかなかに魅力的な眼鏡っ娘じゃ! いっそ、晋太郎をクビにして、この子を眼鏡戦士に任命することにしょうかのぅ』

「ちょっ! 神様っ? 俺の今までの苦労は一体?」

『ふぉっふぉっふぉっ。なぁに、冗談じゃて。さて、コンタクトの魔王……いや、今やただの眼鏡男子となった道明寺由隆よ』

「は、はいっ!」

『そのお嬢ちゃんが目をさますには、最後に一押ししなくてはならなくてな。その、いわゆる王子様のキスというアレじゃ』

「え……えええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」

『本当は私が代わりにしてやってもいいのじゃが、何せ神は実体がないからな。仕方ないから、お主に権利をゆずってやるわい』

 とことんまでセクハラ魔王の眼鏡の神である。

 由隆は周りをキョロキョロと見まわしていたが、やがて意を決したように、横たわる百合香の方へとにじり寄った。そっと背中に手を差し入れ、百合香の身体を支えると、晋太郎たちが、そして全校生徒が見守る中、由隆は百合香の唇に自分のそれを静かに、優しく重ねた。

 ましろは胸の前で、まるで祈るかのように手を握り合わせている。手を血まみれにしながら百合香の応急処置をしていた陽子も、やはり祈るような眼差しで百合香に唇を重ねる由隆をみつめている。巨大なハンマーを右肩に担いだ郁乃も、心配げに見守っている。ただ一人、水琴だけは、何かを確信したような静かな微笑みを浮かべて、その神聖な接吻を見つめていた。

 百合香の眼鏡の奥の瞼がぴくりと動く。

 やがてゆっくりと開かれた瞳が、由隆の顔を映す。

 百合香は自分の唇がどういう状態になっているかに気づくと、一瞬にしてその白い顔をまっ赤に染めていた。だが、その眼鏡の奥の瞳は、徐々に幸せな色を滲ませていった。

『さて、私はそろそろ帰るぞい。眼鏡の戦士たちよ。今回の件、ご苦労だった。お前たちは学園の眼鏡っ娘の平和を守ったのじゃ』

「はいっ! 俺は戦いでは何の力にもなれなかったけど、みんなと一緒に戦えて、よかったです!」

「私は、衣装が恥ずかしかったけど、皆さんと一緒に戦えてよかったですっ!」

「ボクも、かわいい衣装着て大暴れ出来て最高だった!」

「ウチも、この三節棍は一生大事にするわ。いいでしょ、神様?」

「わたしも、みんなと出会えて……百合香さんや会長さんと出会えて本当によかった!」

 五人の眼鏡に選ばれし者が、口々に神への感謝の言葉を述べる。それを聞いているのかいないのか、眼鏡の神は笑い声だけを残して去っていった。

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