第54話――眼鏡の奇跡 1
暴走した魔王のレンズは、由隆の意識を僅かの時間ではあるが乗っ取り、ビームを発射してしまった。魔王のレンズは、百合香を『自らの行いを邪魔する敵』として排除しようとした。その『レンズの意志』に気づいた由隆は、必死に百合香を突き飛ばした。
だが、それは遅すぎた。
百合香がまるでスローモーションのように背中から地面に倒れる。どさり、という音とともに、時間は元の速度で回り始めた。由隆は必死に右目を両手で押さえ、肩で息をしている。
「たのむ、誰かゆりかちゃんを助けてくれ……っ!」
「ダメよ。彼女はもう助からないわ。この傷じゃ……」
陽子が目を伏せつつ、必死に百合香の手当をしている。アスファルトの地面にはまるで朱色のペンキでもまき散らしたかのような血の池ができている。百合香の白い顔は、血の気を失い蒼くなっている。誰が見ても、手遅れだった。
『眼鏡に選ばれし者』たちの間に、悲痛な空気が漂う。
こんな最後、誰も望んではいなかったはずなのに。
こんな形での決着など、誰も得をしないはずなのに。
こんな救われないラストシーンなんて、だれも見たくなかったのに。
その時だった。中庭の空気が金色に染まり、辺りがまるで夕暮れ時のような光につつまれる。そして飄々とした声がどこからともなく聞こえてきた。
『こういう時こそ、全能なる眼鏡の神に祈るのが《眼鏡に選ばれし者》のすべきことなんじゃないかのぅ?』
どことなくとぼけたようなその声は、眼鏡戦士たちの眼鏡からだけでなく、窓から戦いの成り行きを見守っていた眼鏡っ娘や眼鏡男子たちの眼鏡からも響いていた。
そして、それは確かな『音』として空気を震わせ、見る者全ての鼓膜を振動させていた。
晋太郎は声の限りに叫んだ。
「眼鏡の神様! いらっしゃるんですねっ!?」
『私は何処にでもいるし、何処にもいない。姿は見えず、世に遍く存在するのじゃ。
さて、魔王退治の総仕上げじゃ。四人の『眼鏡に選ばれし者』全ての力を使って、魔王のレンズを鎮め、その女の子を助けるぞい』
眼鏡の神はまず晋太郎に命じた。
『松原晋太郎。お前には《原初の力》が備わっている。まずは両手を空に掲げよ』
「は、はいっ!」
晋太郎は眼鏡の神の声に従い、両手を虚空に掲げた。すると、熱い感触が両手に走り、次の瞬間、黄金に透き通ったふたつの眼鏡ケースが、手の中に出現した。
『続いて、白石水琴。お前には《新生と転生の力》が備わっている。二本の光の矢を用意せよ』
「は、はい……これでよろしいですか?」
水琴は右手の中に光の矢を出現させた。それは金色に透き通った、まさに光で出来た矢だった。
『よろしい。では池田郁乃。お前には《破壊と創造の力》がある。その光の矢を、そのハンマーで叩くのじゃ』
「ええっ! そんな事したら壊れちゃわない? ボク、責任もてないよ?」
『いいから、はよ叩かんかい!』
「ひぇっ!」
神様に怒鳴られるという希有な体験をした郁乃は、地面においた光の矢をその巨大なハンマーで思いきり叩いた。
「えーい! 本当にボクは責任とらないからねっ!」
郁乃が恐る恐るハンマーをどけてみると。そこには金色に透き通った、光の眼鏡が二つ落ちていた。一つは男性用の、もう一つは女性用のものだった。
『まずは魔王のレンズを止める事が先じゃ。塚本ましろ、お前には《慈愛と癒しの力》がある。その《新生の眼鏡》を黄金のケースに入れて、ボタンを押せ。新生の眼鏡とは男性用の方じゃ』
「は、はい! 押しましたが、次は?」
眼鏡の神はまるで子供にお使いを頼むような口調で、ましろに言った。
『そこの魔王に、眼鏡をかけさせてやれ』
「だ、ダメだっ! 僕に近寄ったらゆりかちゃんと同じことになってしまう! 両手で目を押さえてやっと制御出来ているんだ! 危険すぎる!」
『いいから、手の上から眼鏡を顔に載せてみぃ』
後ずさる由隆だが、すぐ後ろには花壇の縁がある。下がりようがなくなった由隆の前に、ましろの顔が迫ってくる。
「動かないでください。……なにこれ、手をすり抜けていくわ!」
ましろが感嘆の声をあげる。確かに、眼鏡は右目をしっかりと押さえていた由隆の両手をすり抜け、しっかりと顔にかかっている。
『では、仕上げじゃ。全員でその男が眼鏡に祝福されるように祈るのじゃ 私の後に続いて祈りの言葉を。おっと、そこのチャイナドレスのお姉ちゃんも一緒にのぅ。生徒会長に眼鏡の祝福がありますように』
「「「「「生徒会長に眼鏡の祝福がありますように……」」」」」
祈りの言葉が終わった瞬間、由隆のかけていた光の眼鏡が砕け散ったかに見えた。
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