第53話――暴走

 百合香と由隆は、家が近所だったこともあって、物心ついたころからいつも一緒に過ごしていた。幼稚園に行くのも、小学校にいくのも、いつも一緒。

 百合香は由隆が大好きだったのだ。

 小学校三年生のころ、由隆が眼鏡をかけるようになった。だが、百合香は両目とも裸眼で1・5だったので、眼鏡をかける必要はなかった。

『なんでおそろいにしないんだよ。僕は眼鏡をかけてるのに、ゆりかちゃんは何でかけないんだよ!』

『わたしは、目が悪くないから……。だからかけられないの』

『そんなゆりかちゃんなんて、もうしらない! ぜっこうだ!』

 百合香は、家に帰って、今は亡き母親の胸で泣いた。

 大好きなゆたかちゃんに、もう知らないといわれたと。

 ゆたかちゃんとおそろいで、眼鏡をかけたいと。

『そうね。じゃあ、度のはいっていない眼鏡を買ってあげるわ。それなら百合香もかけられるから』

 母と一緒に街のデパートにいって、度の入っていない薄い紫のメタルフレームを眼鏡を買ってもらったとき、百合香は天にも昇る気持ちだった。

『あ、あのね? わたしも眼鏡かけることになったの。ゆたかちゃんと、おそろい』

 由隆はじっと百合香の顔をみると、にっこりとお日様のように微笑んだ。

『うん、おそろいだ! 眼鏡をかけたゆりかちゃんは、すっごくかわいい! これからもずっといっしょだよ、ゆりかちゃん!』

 それから三年後。百合香と由隆は揃って親を亡くした。同じ航空機事故で。

 こんなことで『おそろい』にしてくれなくてもいいのに、神様は意地悪だった。


      ***


 百合香は、震える由隆の前に立ちふさがり、両手両脚でとおせんぼの格好をしていた。

「これ以上、ゆたかちゃんをいじめないでっ! お願いだから、乱暴しないでっ!」

 血で汚れた百合香の頬を、熱い涙が伝い落ちる。それでも、泣き声だけは上げまいと、ぐっと奥歯を噛みしめて耐えている。

「石橋くん……いや、ゆりかちゃん。いいんだ、もう勝負はついた。僕の完敗だ。敗者はただ消えるだけだよ」

 アスファルトの地面から上半身を起こし、コンタクトの魔王……いや、いまやただの生徒会長に戻った道明寺由隆は、目の前にいる六人を見ていた。その右目には、もう一枚の魔王のコンタクトが残っている。

「全ては、僕の逆恨みから始まったんだ。眼鏡の似合う女の子に振られ、ボコボコにされて……。でも、そんな時でもゆりかちゃんは僕の側を離れずにいてくれた」

 由隆は優しい微笑みを浮かべて、百合香を見つめた。

「それに僕は知っていたんだ。ゆりかちゃんは、本当は目が悪くない。眼鏡も伊達眼鏡だったし、コンタクトレンズも、していなかったり度の入っていないカラーレンズだったりした。全ては、僕と『おそろい』にするためだった」

 地面に座り込んだ由隆の前に、百合香がしゃがみ込む。そして、水琴との戦いで傷だらけになった両腕で、由隆の頭をそっと抱きしめた。

「そんなことはどうでもいいの。私は、ゆたかちゃんが笑ってくれていたら、それでいいの。だから、笑って、ゆたかちゃん。泣かないで、いつもみたいに笑って」

「ゆりかちゃん……」

「私ね、ずっと、ゆたかちゃんの影でいられたらいいと思ってたの。でも。やっぱりダメみたい。私はゆたかちゃんの影じゃいられない。だって……」

 由隆の頭を抱きしめる百合香の力が増す。由隆の両手が、百合香の細い腰にまわされる。

「だって、私はゆたかちゃんが大好きなんだもの。他の女の子と仲良くしちゃイヤ! 私だけを見てくれなくちゃ、イヤ。どうしてもイヤなの」

「……ゆりかちゃん、こんな僕でも、こんなわがままな僕でも、君を自分のいいように使ってきた僕でも、君は好きだといってくれるのか?」

 百合香は由隆の頭を胸に押しつけたままで、コクリと頷いた。

 晋太郎が穏やかな声で呼びかけてくる。

「さあ、生徒会長。もう、魔王のレンズは必要ないだろう? 外してくれないか」

「ああ……。そうだな。レンズは好きに処分してくれればいい」

 右目のレンズを外そうと指を伸ばしたその時、由隆の身体に異変が起こった。

 最初は僅かな指先のしびれだった。次に、レンズを外そうとした指が動かなくなった。

 レンズから視神経を通じて、膨大な量の情報が由隆の脳に流れはじめた。

「こ、これはっ! 身体が思うように動かないっ! あ、熱い! 目が、目が熱い!」

 ただならぬ気配を感じて、四人の眼鏡戦士と陽子は臨戦態勢に入る。百合香は由隆の頭を必死に抱え込んでいた。

「大丈夫、大丈夫だから、ゆたかちゃん! 私がついてるから!」

「クククク……やはりこうなったか」

 その時、近くに倒れていたダークスーツの男が、顔を上げて耳障りな笑い声をたてた。

「クックック……『魔王のレンズ』の暴走だ。力におぼれ、使いすぎたのだ。元々、試作品に過ぎない不安定な未完成品だ。こうなるであろうことは、最初から分かっていた。所詮その男は使い捨ての駒。我々とおなじようにな……。その魔王のレンズも一日で使い捨てなのだ。ははは、あはははははははははは! ぐぁぁっ!」

 男の首筋に、陽子がスタンガンを押し当てた。スイッチをしばらく押し続けると、男は動かなくなる。

「れ、レンズがっ、レンズを外さないとっ! うわあああっ、身体が動かないっ!」

 その間にも、暴走した魔王のレンズは由隆の身体を、精神を浸食していった。全てを破壊し尽くそうとするレンズの意志に、由隆は必死にあらがっていた。百合香が決意を秘めた表情で由隆の右目に指を伸ばす。左手で目を見開かせ、右手の指でレンズをすくい取ろうとする。

「ゆりかちゃん、離れてっ!」

 自由にならない全身の力を込めて、由隆は百合香を突き飛ばした。

 その瞬間、百合香の胸と背中から、大量の血が噴き出した。

「ああああ……ゆりかちゃん、ゆりかちゃんが! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 瓦礫だらけの中庭に、由隆の悲痛な叫び声が響き渡った。

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