第38話――魔王誕生 1
その夜、コンタクトレンズを外して眠りについていた由隆は、不思議な夢を見た。
見渡す限りの透明な水面。自分はその真ん中に立っている。靴は水の表面に僅かに沈み込み、微かな波紋が自分を中心に生じている。
「ここは……どこだ? 一体僕は……」
その時、暗かった空から一条の光の束が由隆を照らし出した。由隆は思わず片手を目の前にかざし、目を細める。やがて、光は徐々に柔らかいものになり、その中に黒い小さなプラスチックケースが浮かんでいるのが見えた。
「これは……コンタクトレンズのケース……?」
黒いケースはふわふわと由隆の目の前に浮かんでいたが、由隆がその下に手をさし出すと、まるで糸が切れたかのように、ふっと手のひらに落ちてきた。
手の中のケースは、やけに熱い。試しに開いてみると、中には一見なんの変哲もないコンタクトレンズがワンセット入っている。しかし、由隆はそれがただのレンズだとは思えなかった。何故だか、このレンズを着けなくてはならない、そんな気がしてならなかった。
「何故だろう。このレンズは僕を呼んでいる。そんな気がする」
左目からレンズを入れていく。続いて右目。視界はクリアになった。いつもの快適なコンタクトレンズ独特の視界だ。だが、次の瞬間、由隆の目の奥に鋭い痛みにも似た熱さが走った。
だが、それは決して不快なものではなかった。大量の情報が、コンタクトレンズと網膜、視神経を通して脳に送られるような、そんな感触。これは、このレンズは――!
由隆はベッドから跳ね起きた。パジャマは汗でじっとりと湿っている。
閉じてあったはずの窓は開かれ、春の夜風にカーテンが舞っている。
「夢……か。……いや、ただの夢じゃないようだ」
ベッドの宮に置いてあった白いコンタクトレンズのケースは、いつの間にかその色を黒いものに変えていた。蒼い月明かりに照らされたそれは、夢で見たものとうり二つだった。
由隆は、ケースを開いてレンズを両目に入れる。夢の中で感じたあの情報の奔流が、再び自分の意識を支配するのを感じながら、由隆は悟った。
「これが、僕の本当の力。これが僕の本当の姿。眼鏡の神に対抗するために選ばれた、僕はコンタクトレンズの魔王だ!」
静かに目を閉じ、口の端を歪める由隆。声を抑えて背中を揺するようにして嗤う。
その表情は愉悦に満ちていた。
***
眼鏡が、晋太郎の眼鏡が共鳴音を発している。
眠っていた晋太郎は、他の者には聞こえないその『眼鏡の呼び声』で、眠りの国から強制的に引きずりもどされた。晋太郎は、まだ目覚めきっていない頭で、眼鏡をかけた。
と、同時に自分が見たこともない空間にいることに気づかされた。
真っ白の、上下すら分からない白い空間。影すらなく、足下には確かに地面のような感触はあるが、それすらも見えているわけではない。
「こ、これは? 何処なんだここは?」
しばらくすると、ましろが、郁乃が、そして水琴がその空間に現れた。
「み、みなさんっ! どうして私の部屋にっ?」
「落ちついて、ましろちゃん。ここはどうやら誰の部屋でもないみたいだよ。少なくともボクにはそう見えるね」
「はい……、というより、こんな真っ白な空間なんて、あり得ないと思うんですけど……」
確かにその通りだ。光源が何処にあるのか、なぜ影が出来ないのか。いや、影はある。顔や、衣服のしわには影ができているが、足下にはやはり影らしきものがない。
「ふぉっふぉっふぉっ……。どうやら全員集合したようじゃな」
途方に暮れていた四人に、どこからともなく声がかけられた。
「その声は、あなたは眼鏡の神ですね!」
晋太郎の言葉に、他の三人の眼鏡の奥の瞳が大きく開かれる。
「眼鏡の神さま!? 一体どこにいるの!?」
郁乃が上下左右ぐるぐると視線を巡らせながら叫ぶ。
「私はどこにでも居るし、何処にもいない。姿は見えないし、探すだけ無駄じゃ」
「眼鏡の神よ。オレたちをこんな所に呼び出されたのは、あなたですか?」
「その通りじゃ。ついに眼鏡をないがしろにする魔物が現れた。メガネンジャー、お前たちはこの時のために私が選び出した戦士じゃ」
「魔物っ? なんですか、それ! 私たちの敵はコンタク党じゃなかったんですかっ!?」
魔物という言葉を聞いて、ましろは顔色を変えていた。どうやらホラーは苦手らしい。
「魔物、というより魔王じゃな。朝になって、学校へ行けばその正体が分かるはずじゃ。くれぐれも、学園の眼鏡っ娘たちの平和を護るのじゃぞ~~」
「って、説明短っ! そんだけの為にこんな舞台まで用意してボクらを呼び出したの?」
郁乃の意見ももっともだ。どうせなら「こいつが魔王だよ」と、顔写真の一枚でも見せてくれればいいものを。
「では、用件は以上じゃ。魔王を倒し、眼鏡っ娘に幸福をもたらすのじゃぞ~~」
一瞬目の前で光が爆発した。思わず眼鏡の奥の目を閉じ、そっと開く。そこはすでに見慣れた晋太郎の自室だった。眼鏡のつるに指を触れて、念じる。
『みんな、自分の部屋に戻ってる?』
『は、はいっ! ピカッと光ったら、自分の部屋でした』
四人は眼鏡を通じて今起きたことについて話し合っていたが、結局「学校に行ってみなければ分からない」という結論に落ち着いた。
『しっかし、眼鏡の神なんて本当にいたんだね。姿は見えなかったけど……実はボク、半信半疑だったんだよね』
『わたしもです。でも、こんな事が出来るのは、やはり神さまなのでしょうね』
『とにかく、明日は早めに学校に行こう。出来ればどこかで集合して、みんな一緒に』
晋太郎の提案に反対する者はいなかった。結局、朝の六時に、学校のある丘の下のバス停で集合することになった。
「魔王だか何だかしらないけど、オレたちが叩きつぶしてやるさ!」
眼鏡を外して枕元に置いた晋太郎は、しばらくすると軽い寝息を立て始めた。
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