第35話――闘う文学少女 10

 百合香の運転するバンが走り去るのと、『水琴の味方』が到着するのはほぼ同時だった。

「白石先輩! 無事だったんですね!」

 郁乃が巨大なハンマーを放り出して水琴に走り寄る。そのまま細い腰に抱きつくと、声を上げて泣き出してしまった。

「ごめんなさい! ボクがいっしょに部室に戻らなかったから、先輩がこんな目に……」

「大丈夫よ、郁乃ちゃん。わたしは大丈夫。それより、その格好、なに?」

 水琴は郁乃たちのバトルコスチュームを見ても、にこやかな表情のままだったが、その目は三人に説明を求めていた。


***


 森林公園から伸びるワインディングロードを、猛烈なスピードで駆け下りながら、百合香はバックミラーを確認することを忘れなかった。

 相手はただの人間ではない。眼鏡に選ばれた、聖なる戦士。それが我々の敵だ。その気になれば空を飛ぶくらいの芸当はしてみせるかもしれない。

 重心の高いバンを、まるでスポーツカーのようにドリフトさせながら、百合香は逃げ続ける。今は逃げて、体勢を立て直すほかに手はない。

「そんな馬鹿な……。五人だぞ。五人の戦闘員が、ただの女にあっという間に……」

「大丈夫です、会長。奴らは追ってきていません。追ってきたとしても、私が必ず……」

「君は勝てなかったじゃないか!」

 ぶつぶつと呟いていた由隆が、突然大声をあげる。その目は真っ赤に血走っていた。

「あの女は、君の剣を避けきった! 君はあの女を斬れなかった! 僕を守ってくれるものは、もういない!」

「そんなことはありません。私が必ず護ります。たとえこの身が滅びようと……」

 やがて車は急な下り坂から抜け、住宅街と駅前を繋ぐバス道路に出た。ここまで来ればまず大丈夫だろう。百合香はアクセルをゆるめながら、額にじっとりと滲んでいた汗を手の甲で拭った。

「とにかく、ご自宅までお送りいたします。今後のことは、少しお休みになってから考えましょう」

 車の流れに乗りバンを走らせる百合香の頭の中では、次に自分たちがとるべき手段がいくつも浮かんでは消えていった。


      ***


 三人の『眼鏡に選ばれし者』たちは、どう見ても何かのコスプレにしか見えない格好で、水琴の質問に答えようとしていた。

 標高のわりに、大して眺めの良くないこの駐車場には、夜景を眺めに来るカップルもおらず、車もコンタク党が残していった一台のバンの他にない。

 晋太郎は、銀色の眼鏡ケースを水琴に手渡した。

「説明するより、この方が早いでしょう。このケースにあなたの眼鏡を入れて、そのボタンを押してください」

 水琴は両手でそっと眼鏡を外すと、丁寧な仕草でそれをたたみ、銀色の眼鏡ケースにしまった。

「このボタンを押すのね?」

 晋太郎が頷く。水琴の細い指先が、眼鏡ケースの表面に浮き出たボタンを押す。

 眩い光とともに、眼鏡ケースは消え去り、シルバーのハーフフレーム眼鏡は元通り水琴の顔にかかっていた。

「な、なんなの、これ? わたし、なんでこんな格好を?」

 いつも落ち着き払っている水琴が、珍しく狼狽している。無理もない。さっきまで学園の制服姿だった水琴は、今やまったく別の衣装を身にまとっているのだ。

 目に眩しい白衣(ルビ:びゃくえ)に、白いラインの入った緋袴。白足袋に草履。左手には長い弓を持っている。胸には革の胸当て。右手には二本の金色に光る矢。

「おお、眼鏡の神様はよく分かってらっしゃる! 清楚な雰囲気の白石先輩には巫女装束がよく似合うと判断されたのですね。眼福眼福」

 両手を合わせて水琴を拝んだ晋太郎は、まだ何か言いたそうな水琴に向かってにっこりと微笑んだ。

「どうです? 『分からないことなんてない』でしょう? 少なくとも、オレたちがどんな理由でこんな格好をしているか、それはあなたの眼鏡が教えてくれているはずです」

「ええ……。まるで眼鏡がわたしに語りかけているみたい。だけど、にわかには信じがたいわ。眼鏡の神とか、わたしが『眼鏡に選ばれし者』だとか……。でも、この身体の中からわき出る力……。これが『眼鏡に選ばれし者』の力だというのは分かるわ」

「我々は、眼鏡の神によって選ばれた聖なる戦士。そして、その最後の一人があなたなんです、白石先輩」

「わたしは……学園の眼鏡っ娘たちの平和を守るメガネンジャーの、最後の一人なのね」

 静かに眼鏡の奥の瞳を閉じ、小さく呟く水琴。その表情はとても穏やかで、野に咲く一輪の花のように美しかった。

「ところで、何故『眼鏡っ娘』限定なの? 眼鏡男子の立場は?」

 その水琴の問いに、晋太郎は堂々と胸を張って答えた。

「男は自分の身は自分で守るんです! それが眼鏡の神の思し召しです!」

「ですからっ! 眼鏡の神様はセクハラ大魔王ですっ!」

 ましろの心の叫びが森林公園の駐車場に響き渡った。


      ***


「会長、気づかれましたか」

 明かりを消した洋室のベッドの上で、百合香は由隆の額に浮き出る汗を拭いていた。

「こ、ここは……僕の部屋か」

「はい。緊急時と判断しましたので、勝手に上がらせていただきました」

 由隆がベッドの上で身体を起こす。百合香は黙って手を貸した。

「すまない、石橋くん。取り乱してしまったようだ。僕としたことが……」

「いえ、あの状況では致し方ないかと。それより、今後の件です。先ほどから会長の携帯に着信が何件かありました」

「出たのか?」

「いえ。出ておりません」

 腹の底にたまったものをはき出すかのように、大きく息をつくと、由隆は制服のポケットの携帯電話を取りだして開いた。着信は六件。全てコンタク党の地域本部からのものだ。

「かけなくてはならんな……。石橋くん、すこし席を外していてもらえるかな」

「承知いたしました。……キッチンをお借りして、何か軽い食事を用意してまいります」

 由隆は電話機を耳に押し当て、軽く頷いた。

「ジーク・コンターック……。道明寺由隆です。……地域本部長をお願いします」

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