第30話――闘う文学少女 5

「え? なんだって? 良く聞こえない。もう少し声を小さく……」

『だから! 白石先輩が部室にケータイ取りに行ったきり突然いなくなっちゃったの! 晋太郎ちゃん、何か気づかなかった!?』

「何かって……オレはさっき帰ってきてすぐ風呂入ってたからなぁ。眼鏡は外してたし」

 晋太郎は家に帰ってすぐ、部活でかいた汗を流そうと風呂に入っていた。そして、のんびりと湯につかっているところに、郁乃から電話がかかってきたわけだ。

『ちょっと、まさか裸で電話に出たりしてないよね?』

「まさかも何も、腰にタオル巻いただけの格好だけど?」

『いやああああ! 晋太郎ちゃんのヘンタイ! 色魔! セクハラ大王!』

 ひどい言われようである。

「あのなぁ。人が風呂に入ってるところに電話してきたのは郁乃だろ? その言い方はあんまりじゃないか?」

『そうだ! それどころじゃないんだよ。白石先輩がいなくなる直前に、ボク、眼鏡が鳴るのを聞いたの。一瞬で消えたけど』

「なんだって? それは確かか、郁乃!?」

 一瞬考えるような間のあと、郁乃の声が電話のスピーカーからはっきりと聞こえた。

『間違いない。なんか、頭の奥に響くような、凄くイヤな音だった』

 晋太郎の表情が、さっと真剣なものにかわる。

「それは眼鏡っ娘が窮地に立たされた時に、眼鏡が発する音に間違いない! その後、その音はどうなったんだ?」

『消えちゃった。すぐに……』

 眼鏡っ娘である白石水琴が、何らかのピンチに陥っていたのは間違いない。そしておそらく、眼鏡を外されたか、気を失ったかのどちらかだ。晋太郎は電話の向こうで泣きそうになっている郁乃を落ち着かせようと、出来る限り優しい声で話しかけた。

「いいか、郁乃。白石先輩がさらわれたかもしれないけど、それは決してお前のせいじゃない。今からすぐお前のところに行ってやる。だから泣かずに待ってるんだ。いいな?」

 電話の向こうから鼻をすする音が聞こえて、続いて懸命にいつもの声を出そうと頑張る郁乃の声が聞こえてきた。

「うん。晋太郎ちゃんを待ってる。泣いてなんかいないから、心配しないで!」

「それでこそ郁乃だ。待ってろよ」

 電話を切ると、晋太郎は洗面台に置いてあった眼鏡を手に取った。


      ***


「念のため、眼鏡を外しておきました。連中の眼鏡には、妙な力があるようなので……」

「うむ。しかしこうもあっさりとターゲットが手に入るとはな。石橋くんは有能なだけではなく、幸運にも恵まれているようだ」

 二人の戦闘員に水琴を運ばせた百合香は、現在、森林公園に向かうバンの中にいる。その最後部には、薬で意識を失い、百合香の手で眼鏡を外された水琴が横たえられていた。

 森林公園に到着すると、バンを運転していたコンタク党員の男は、「明日は一限から大学の講義があるんだ」と言い残し、迎えに来た仲間の車で帰っていった。

 百合香は氷のように冷たいその表情の内側に、今、狂おしいほど熱い期待を抱いていた。

(私は会長のお役に立てた。会長は私の願いを叶えて下さると約束してくれた)

(私の、願いを……)

「石橋くん、どうかしたかね? 少し疲れているのかな?」

 自分の思考の渦の底から、やさしい由隆の声が引き上げてくれる。

(いつだってそうだ。私が自分を失わずにすむのは、この人がいるからだ)

 この人を好きになって良かった。百合香は心からそう思う。

 ずっと、この人だけを見つめてきた。

 物心ついたころから、ずっと、ずっと。

 そして、気づいた時には、この人は自分自身より大切な存在になっていた。自分を犠牲にしても、この人が笑ってくれるなら、それで良かった。

 この人は自分の存在理由そのもの。

 この人に必要とされなくなれば、自分は生きている価値を失う。

 だから、自分の、百合香の秘密は知られてはならない。

 この人には、この人にだけは。

(私が、この人の側らに居続けるためには、絶対に知られてはならない……)

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