第29話――闘う文学少女 4

 部室の明かりが消え、二人が昇降口に現れたのを確認して、百合香は行動を開始した。

 装備品の確認はすでに終わっている。ウエストポーチの中には、ピッキングに必要な道具、小型のワイヤレスマイクとカメラ、いざという時に使う麻酔薬を含ませたガーゼが入っている。

 屋上から校舎の外に設置されている非常階段を風のように駆け下り、部室棟の非常階段を駆け上がる。廊下に誰もいないことを確認し、ウエストポーチからピッキング用具を取り出す。単純な鍵だ。すぐに開く。

 ドアを開くと、百合香は静かに部室に身体を滑り込ませ、再び施錠した。明かりもつけずに、しかし的確に死角を選んで、盗聴器とカメラを仕掛けていく。その間、わずか一分ほど……。

「カメラと盗聴器の設置を完了。あとでテストをお願いします」

『了解した。車を学校裏の駐車場へ移動させる。君も合流してくれたまえ』

「了解」

 仕事を終えた安堵のため息が、百合香の口から漏れた。その時、突然部室の扉の鍵穴からガチャガチャという音が響いた。

(私が足音に気づかないなんて……っ!)

 百合香はとっさに扉の陰になる壁際に移動して、気配を消した。

 扉が開かれ、明かりがつく。入ってきたのは、ターゲットである白石水琴だった。廊下には人の気配がない。それはつまり、水琴は一人で戻ってきたということ……。

 百合香の判断は素早かった。ポーチの中には、即効性の麻酔薬をしみこませたガーゼが用意されている。扉の陰から飛び出し、水琴の背後から羽交い締めにするような格好で、ガーゼで水琴の鼻と口を覆う。

 突然のことに、水琴は抵抗することも出来ずに意識を失った。百合香は気を失った水琴を床に横たえると、無線機のマイクに向かって小声で話しかけた。

「私です。不測の事態が発生しました。……白石水琴を拘束。ただちに人を寄越してください」

『なんだと!? それは一体どういうことだ!?』

「今は説明している時間がありません。薬で眠らせましたが、時間がかかればまた『眼鏡に選ばれし者』の邪魔が入るかも知れません」

 ヘッドセットのスピーカーからは、微かな雑音が聞こえるだけで応答がない。

「早くご決断を。こうしている間にも、連中が嗅ぎつけるかもしれません」

『わかった。今、校内に残っていた戦闘員を二人そちらに向かわせた。彼らを使って、学校裏の駐車場へターゲットを運んでくれたまえ。くれぐれも、人に見つからないように』

「了解しました。それでは後ほど……」

 床に倒れ込んだ水琴の顔から、百合香はそっと眼鏡を外す。この女は『眼鏡に選ばれし者』である可能性が非常に高い。そして、連中の眼鏡には厄介な能力があるようだ。眼鏡は外しておくに越したことはないだろう。

 やがて、二人分の足音が廊下の向こう側から聞こえてきた。百合香は部室の明かりを消すと、入ってきた二人の戦闘員とともに、水琴を学校の裏手にある駐車場へと運び去った。


      ***


 一瞬、郁乃の眼鏡から、耳障りな共鳴音が聞こえたような気がした。だが、それはほんの一瞬の出来事で、郁乃自身にも本当に聞こえたのか、確信が持てなかった。

 忘れ物を取りに戻った水琴を待ってすでに数分。そろそろ戻ってきてもいい頃だ。だが、それからさらに数分が過ぎても、水琴は戻って来なかった。

「どうしちゃったんだろう。白石先輩、携帯見つけられないのかな……」

 郁乃はポケットから自分の携帯を取り出して、水琴の番号を呼び出す。一回、二回、三回……。呼び出し音はなるが、水琴が出る様子はない。電話を鳴らしたまま、郁乃は靴を脱いで文芸部の部室へと向かった。人気のない廊下に、自分の上履きの靴音が妙に高く響く。やがて、微かに電子音が聞こえてきた。方向は、文芸部部室。

 郁乃は駆けだしていた。開きっぱなしの扉から、水琴の携帯電話の着信音が鳴り続けている。

「うそ……」

 部室の床には、水琴の鞄が置き去りにされ、机の上の携帯電話は、LEDのイルミネーションを光らせながら軽快な音を立て続ける。

 しかし、そこには肝心の水琴の姿だけがなかった。

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