第23話――魔法のチャイナドレス 11

 駅前を通り過ぎ、一〇分ほど走り続けたところで、陽子は小さな公園を見つけてそこに足を踏み入れた。

「はぁ、はぁ、はぁ、追っ手はまいたかなっ?」

さすがに全力で一〇分も走れば息も上がるし喉も渇く。陽子は水飲み場で喉を潤した。

「まったく、何なのよ。マジで侵入してくるなんて、信じられない。でも……」

 陽子は手に持った木製の刀をブンっと振ると、唇の端を持ち上げた。

「手応えはあったわ。三人は倒したはず。ウチを甘く見るなっての。さて、警察でも呼びますかね」

 そこで陽子は、自分が携帯電話を置いてきたことに気づいた。

「あっちゃー……。最近この辺の公衆電話、みんな撤去されちゃってるのよね。携帯の普及も善し悪しだわ」

 陽子は公園の端にあったベンチにどっかりと腰をおろす。近くに交番はあるにはある。だが、その交番に警官がいるところを、陽子は見たことが無かった。

「まったく、給料分くらいは仕事して欲しいわね。こっちは善良なる市民なんだから」

 物騒なものを容赦なく暴漢に叩きつける『善良なる市民(まだ納税はしていない)』がぼやく。

 その時、かすかな足音が陽子の鼓膜を振るわせた。

「……追いかけてきたんだ。完全にまいたと思ってたんだけどな」

 陽子の目の前には、学園の制服の上に黒マントを羽織り、顔を半分覆面で隠した少女が立っていた。

「逃げても無駄です。まもなく仲間がここにやって来ます。私はそれまでの間、貴女を足止めする」

「……出来ると思ってるの?」

「思っています」

「面白いわ!」

 瞬間、陽子の姿がベンチからかき消える。いや、見る者にそう感じさせてしまう程の速さだったのだ。少なくとも陽子はそう確信していた。一瞬で仮面の少女との距離をゼロにした陽子は、手に持った刀を容赦なく少女の頭に振り下ろした。

 中国武術で用いられる刀というのは、片刃で反りのあるものをいう。両刃でまっすぐな剣と違い、振り回すようにして相手を叩ききるのがその用法だ。陽子がいま持っているのは、練習用の樫の木刀だ。それでも当たれば大怪我をしかねない。

 だが、仮面の少女は慌てる様子もなく、まるで舞うかのような軽やかな体捌きで、その一撃を躱していた。

「ふん……。ただの変人ってわけじゃないって事ね。いいでしょう。本気で倒させてもらうわ!」

「貴女に私は倒せない。私にはあの方への想いがあるもの」

「はぁ? 何言ってんの? わけ分からないわよ」

 仮面の少女は、その細い腰に巻き付けていた武器を手にした。

 まるでベルトのように腰に巻き付けられていたのは、一本の剣だった。それをするりと革製の鞘から抜き、構える。

「……腰帯剣ようたいけん。珍しい武器ね。アンタも何かやってるってわけか」

 剣を手にした仮面の少女の目前に、風に吹かれた木の葉が落ちてくる。刹那、葉は真っ二つに切断されていた。

(速い!)

 陽子をして慄然とさせるほどの剣の冴えだった。

(この仮面の女、間違いなく強い!)

 陽子はそれまでの相手を舐めてかかるような態度から一変、本気の目つきになっていた。

 二人の間にざっと強い風が吹き抜ける。再び木の葉が舞う。それを合図に、陽子は仮面の少女に襲いかかった。陽子の木刀が仮面の少女の肩口めがけて斜めに振り下ろされる。

 少女は最小限の体捌きでそれを躱す。陽子は右腕を自分の身体に巻き付けるようにして、刀を振り切る。振り切った刀を止めた陽子は、今度は左から右へと木刀を薙いだ。

 仮面の少女のマントを木刀の切っ先がかすめる。返す刀で再び少女の頭上へ木刀を叩きつける。

 だが、当たらない。

 最後の一撃は仮面の少女の剣で僅かに弾かれ、軌道を逸らされてしまっていた。

 ほとんど一挙動で行われた三連撃。普通ならばなすすべ無く打ちのめされる、必殺のタイミングだった。それが最小限の手数と動きで、無力化されてしまったのだ。

「ここまでしても攻撃はしない、か。……斬る気はない、ってこと?」

「そうです。私の役目は貴女を切り刻むことではありませんから」

「ずいぶんな余裕ね。それじゃあ……これはどうだ!」

 陽子は足下の砂をつま先で蹴り上げた。仮面の少女の目に、いくつかの砂粒が飛び込む。思わず目をつぶった少女を陽子の木刀が襲う。

「取った!」

 陽子は今度こそ勝利を確信していた。仮面の少女の額に向かって木刀が吸い込まれていく。きっと大怪我をさせてしまうだろう。だが、やらなければ自分の身が危ないのだ。迷っている余裕などない。

 陽子はその右手に衝撃が伝わってくるのを待った。だが、期待した衝撃はついに伝わって来ることはなかった。目つぶしをされながらも、仮面の少女は陽子の刀を躱してみせたのだ。しかも、今度はその剣の切っ先を陽子の首筋に突きつけて。

「うそっ……確実に砂が目に入ったはずなのに!」

「入りましたよ。でも、私は目だけに頼るような戦い方はしていませんから。木刀を捨ててください」

 陽子は硬い唾を飲み込むと、握りしめていた刀を地面に落とした。カランと乾いた音をたてて、木刀が地面に転がる。公園の外から、車のエンジン音が聞こえてくる。

「私のすべきことは、貴女を足止めすること。私の役目は終わりました」

 やがて車の中から、数人の男が降りてくるのが見えた。首に剣を突きつけられたまま立ち竦む陽子は、この後の自分の運命を考えると暗澹とした気分になっていった。

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