第13話

 日南彩紗に勝てる生徒はいない——成瀬せなが色目を使っても、この事実は覆らない。かおるの前では情報を掌握すれば勝てるなどとホラを吹いたが、あれは見栄を張っただけだ。凡人の俺に成瀬を勝たせる奇策なんて思いつくはずがない。できないものは仕方がない。それでも、成瀬の「日南彩紗に負けたくない」という願いを現実化することは可能だ。

 ミスコンが障壁になるのならば、障壁そのものを取っ払ってしまえばいい。小学生でもわかる脳筋理論だ。


「本当にこれでいい?」

「ああ。だが悪いな、汚れ仕事をお前にやらせちまって」

「構わない。あなたの望むことなら、汚いことでも犯罪でも何でもやる」

「頼むから刑事罰にだけは問われないでね」


 こんな調子では、悪い大人に変な価値観を植え付けられそうで心配だ。彼女の善意で俺に協力してくれるのはとても助かるのだけど、自分を安売りするのはいかがなものか。

 結論から言うと、今年度のミスコンは正式に中止が決まった、と今日の朝のホームルームで通告された。


「後はデリートすれば、全部終わりだ」


 俺の部屋のデスクトップPCの前で躊躇するかおるを後押しする意も込めて、肩に手を置く。セクハラ案件で通報しようと躍起になる輩がいるのなら、かおるの秘蔵コレクションを横流しするから見逃して欲しい。

 暫く、雨が窓を打つ音だけが部屋に残った。幾条ものか細い軌跡が走る。


「物語は終末から始まるもの」


 ようやく聞こえた雨粒以外の音は、やけに静寂に満ちていた。


「アニメでは、な。現実では物語なんて始まってすらいないのが普通なんだよ」

「始まってすら、いない……」


 俺の言葉を反復するかおる。現実にラブストーリーのような魅力的な導入はないし、読者をあっと言わせるようなどんでん返しも期待できない。皆、ある程度人生先読みして生きているのだ。


「アカウントを消しちまえば、徐々にみんなの記憶から消える」

「ボタン一つで消せるなんて、叡智の反逆者」

「ほんとに意味わかって言ってんのか?」

「意味が分かってないのはあなたの方」

「はあ? なんだそれ」


 別にこいつが不明瞭なことをいうのは今に始まったことじゃない。しかし、これまで俺の言うことを全肯定してきた彼女の言動としては不可解、という捉え方もおかしくないだろう。なんだか嫌な予感がする。こういう時の人間の勘は不気味なくらい当たるものだ。


「……これは思い出。簡単に消すのは惜しい」

「思い出って……どっちか言うと黒歴史じゃね」

「そうかもしれない。でも、今の私の力では及ばない」

「ま、お前がやりたくないなら俺が後でやっとくわ」


 思えば繊細な一人の女子に背負わせすぎたのかもしれない。しかし、かおるからまさか我儘が飛び出してくるなんて予想外だった。でも、なんだろう。むず痒いようなこの気持ちは。


「……なぜ笑ってる?」

「え、あ、いやつい思い出し笑いしちゃってな。ほら、笑っちゃいけない状況ほど我慢できなくなったりするだろう?」

「それは知らない」

「冷たいねかおるちゃん」

「あ、クラスの女子があなたの笑い方が不気味で気持ち悪いって今日噂してた」

「その情報はできれば聞きたくなかったなあ」


 自分が直接耳にしたならまだしも、人づての情報ほど不確かなものはない。それ故に、得体のしれない恐ろしさを感じてしまうし、酷い方に様々な想像——実際にどんな悪口言ってるのかとか馬鹿にしたような笑い方――が掻き立てられて苦しい。


「いよいよ来週だな」

「もう、時間がない」

「時間? 後は主役とわき役の群青劇を照明係の俺が照らすだけだよ」


 これで文化祭に懸念事項はなくなった。いつも通りのぼっちルーティンをこなし、ただ惰性に日々を送っていくだけだ。これは、誰も傷つかない理想の方法だ。救われない代わりに現状維持を続けるだけのまやかしとも言える。しかし、日本語に「継続は力なり」という前向きな意味の言葉もあるのだから、決して間違ってなどいないはずだ。

 それなのに気分が晴れないのは、きっとお天道様のいたずらのせいだ。

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