第四章 『揺れ動く心(中)』


「……であるからして、この地域は昔ながらの風習が強く根付いており、かつて都市部では蒸気機関といった新しい技術を用いて開発が進められていた時代もありましたが、距離的な問題もあって、ここはその影響をそこまで受けてはいないのです。もちろん、まったく無いというわけではありませんが……」


 午後一番の授業は歴史だった。歴史担当であり、担任のセラ・ユーベル先生が、内容を細かく説明している。

 黒板には、この地域のことについて、年表形式で書かれていた。わたしはそれをノートに写しながら、隣をこっそり伺う。隣のファルシュくんも、真面目にノートを取っていた。 


(……悪魔の顔でこんな風に授業受けてる姿見ると、なんか違和感あるなぁ)


 何でもかんでも悪魔に結びつけるのは良くないと解っていても、自然とそういう感想を抱いてしまう。

 そんな風に、彼の姿を――と言っても、ほんの数秒程度だ――見ていると、突然、



「そこでボーッとしてるアストロアートさん。ここの文章、読んでくれるかしら?」


 と、セラ先生から当てられてしまった。


「…………はい」


 いきなり名前で呼ばれビックリする。けど、いつものことだと思いなおし、わたしは席を立つ。



 ――なぜかはわからないけど、わたしはセラ先生によく思われていない。

 こういったあからさまな名指しも、よくあることだ。

 教師という立場にありながら、生徒を選り好みするのは正直どうかとわたしは思うけど、そのことを口にはしない。

 別に、担任からどう思われようと、わたしにとってはどうでもいいこと。逆に、必要以上に先生と関わらなくて済むと思えば、これは良いことだとも言える。



 でも――この人は、

 お姉ちゃんに、よく似ている。




「――と、いうわけです」

「……よろしい。座って結構です」


 淡々と、教科書に記された文章を読む。先生はそれを聴き終えると、少し不満気な顔をすると、わたしに着席を促した。


 ――この先生は、わたしが授業を真面目に聞いてないとでも思ったのだろうか。そうだとしたら、少し心外だ。 

 そう思ったけど、やっぱりどうでもいいことだった。


 席に戻る。すると今度は、


『アストロアートさん、先生に何かした……というより、何かされてるの?』


 と、書かれた紙を、隣のファルシュ君から手渡された。

 その言葉に、わたしは目を見開く。そしてすぐに返事を書いて渡した。


『どうして、わかったんですか』


 セラ先生も馬鹿じゃない。わたしに対するあの『悪意』は、教室に座っているクラスメイトからは絶対に見えない、絶妙な位置に立って放っているものなのだ。

 いまここにいるクラスメイトでさえ気づいている素振りはないのに、昨日転校してきたばかりのファルシュくんが気付くなんて無理なはず。


 だから、わたしは聞いたのだ。気づいた理由を。


『うーん。なんて言えばいいかな。僕は人のそういったモノによく気付くんだ。ちょっとした仕草、声色からね。だから、セラ先生が君のことをよく思っていないのもわかったんだけど……、いったい何があったんだい?』


 ――人の悪の部分によく気付く。


 それはどこか、『悪魔』を連想させた。

 あの悪魔ではなく、単純に悪魔のようだという意味で。


『そう、なんですね。でも、安心してください。ファルシュくんが思っているようなことはされてませんし』

『ならいいんだけど……。でも、何かあったら僕に何か言ってくれると嬉しい。力になれるかもしれない』


 そう書かれた紙に、わたしは返事はせず、ただ曖昧な表情を浮かべて、ファルシュくんに会釈した。

 すると、何を思ったのか、ファルシュくんはまた新たにノートの端を破りメモを書くと、またわたしに手渡してきた。



『――ところで、話は変わるんだけど。もし良かったら今日の放課後、街を案内してくれないかな?』


 思わず、二度見してしまった。


 ***


 緩やかに、放課後のときが始まる。クラスメイト達は、みんな自分のすべきこと、やりたいことを胸に教室を出て行く。いつもなら、わたしはこのまま図書館へ行くか、まっすぐ家に帰るのだけれど……


「じゃあ、行こうか」

「はっ、はい!」


 今日に限って、わたしはファルシュくんと街の方まで出てきていた。


 ……いや、断りきれなかったわたしが悪いんですけども。


 昨日の負い目があるせいか、ファルシュくんの申し出をスパッと断ることができず、そのまま流されるようにオーケーしてしまい、そして今に至る……のだけど。ことここに至って、わたしは重大な事実に気付いてしまう。


(これって、俗に言うデートってやつなんじゃ……?)


 男女が二人、街中を歩けばそれすなわちデートなり――みたいな一文を、何かの本で読んだ気がする。


(いやいや! デートじゃないですから!)


 けど、二人きりで出かけることには変わりない。


 一度そうだと意識すると、妙に緊張してしまう。もともと人付き合いが得意な方ではないのに、出会って間もない人とこうして街中を歩く事態になったとなれば、それはもう恥ずかしさと緊張で死んでしまいそうな気分になる。


(ファルシュくんはこのことに気付いているのかな……)


 胸の鼓動を抑えつつ、わたしはファルシュくんの隣を歩く。彼の横顔を盗み見るも、その表情から何を考えているかは読めない。強いて言うなら、いたって普通といった感じ。


「……………………………むぅ」


 わたしだって女の子だ。なし崩し的にとは言え、この状況に少しは感じるものがあるわけで。


「? どうかしたの、アストロアートさん」


 こんな風に、澄ました顔でそんなこと言われると、なんだかわたしだけ勝手に舞い上がってるみたいで、少し腹が立った。


「……べつに、なんでもないです。はやく行きましょう」

「あ、ちょっと待ってよ!」


 ファルシュくんを置いて、先に歩く。すぐ彼は追いついてきて、わたしの隣に並んで、一緒に歩き始める。


「それで……これからどこに向かうんだい?」

「とりあえず、市場の方に行こうかと。わたしもついでに、夕飯の食材を買いたいですし」


 そう言って、わたし達は市場の方へと向かう。そして十分もしないうちに、市場へと着いた。


 人々の喧騒が、少しだけうるさい。けどそれも仕方ない。この市場はこの街唯一の商いの場なのだから。



「へぇ……すごく賑わってるね。とても人が多い」

「この街唯一の市場ですから。人が多くなるのも仕方ないです。都市部の方だと、こことは比べものにならないと思いますよ」

「いやいや。だとしても、これは充分多いって」

「いつもこんな感じですよ」


 この街……というか、ここら一帯の地域は、かなり都市部から離れていることもあり、わりと閉鎖的な傾向がある。

 全体的に人口は少なく、街の面積も狭い。

 消費と生産はこの枠組みの中で完結し、外との関わりは地域の人間が都市部へ出て行くときや、この街で生産できないものを輸入するときくらいだ。

 かつての開発も、あまり影響を受けておらず、昔ながらの木組みの街並みが今でもそのまま残っている。


 ……だからこそ、一度燃えると、連鎖的に全てが燃える。



「アストロアートさん?」

「ぁ……いえ、すみません。少し考え事してました。行きましょう、こっちです」

「うん、わかったよ」



 思考を断ち切る。いま考えるべきことは、これじゃない。

 気持ちを切り替え、食材を買うべく足を進める。

 けど、しばらく進んだところであることに気付く。


(……確かに、今日はやけに人が多い気がする)


 なんでだろう――と思ったとき、ふと視界にある張り紙が貼ってあるのが目に入る。


(あ……今日って、特売の日か)


 張り紙には今日が特売である旨が記載されており、だから今日は人がいつもより多いのだということに気付く。ファルシュくんが感じたことは間違いではなかったようだ。


「きゃっ……!」

「おっと」


 不意に、通行人の肩がぶつかり、体勢が崩れる。けど、倒れかけたわたしを、ファルシュくんが優しく抱き留めてくれる。

 互いの視線が、絡み合う。たった一秒くらいの出来事かもしれないけど、わたしを再び緊張させるには充分すぎた。


「大丈夫?」

「だ、だいじょうぶ……です……」


 顔が熱い。赤くなってるのが自分でもわかる。

 だけど、いつまでもそうしているわけにもいかないので、わたしはファルシュくんに一言お礼を言い、体勢を立て直す。

 すると、


「はい」

「……? あの、ファルシュくん。この手は何ですか?」

「手を繋ごうと思って」

「…………すみません、もう一度いいですか?」

「だから、手を繋ごうと思ってさ。こんな人混みだとはぐれたりしたら危ないからね」

「…………、~~っ!」


 手を繋ぐ――その言葉を三回ほど反芻したところで、ようやく理解する。


「い、いやですっ! なんで手を繋がなきゃいけないんですか!」

「でも、はぐれたりしたら危ないだろう? 僕はこの街の地理をよく知らないんだし」

「うっ……」


 ごもっともな論を言われ、言葉に詰まる。


(手を繋ぐだなんてそんな。まだ出会って少しししか経ってないのに……この人、少しおかしくないですか……!?)


 言っても仕方ないけど、ついファルシュくんに向かって悪態をついてしまう。

 ぐるぐると、思考が堂々巡りを繰り返す。そのまま、五分ほど悩み、そしてひとつの結論が出る。


 ……そう、これはあくまで事故を未然に防ぐため。万が一のことを考えてなのだ。


 決して、わたしが繋ぎたいからじゃない。繋ぎたいと思っているのは彼だけ。

 だからこれは、仕方なく。そう、仕方のないことなの。

 そう結論付けて――


「……………………ふ、ふつつかものですが。よろしくおねがいします」


 俯きつつ、呟くような小さな声でそう言いながら、おずおずと、ファルシュくんに手を差し出した。


「――うん。こちらこそ」


 俯いていたから、返事をしてくれたファルシュくんの顔がどんなだったのかわからなかったけど、


 ファルシュくんはたぶん、いつもの笑みを浮かべているような気がした。

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