第三章 『灰色の少年(後)』
「……ふぅ」
ホームルームが終わり、時は放課後。帰路につく生徒がほとんどの中、わたしはひとり、教室に残って、先生に呼び出されたファルシュくんを待っている。
「お待たせ。それじゃ、案内してくれるかな。アストロアートさん」
「ん……。わかりました」
しばらくして、ファルシュくんがやってきた。そして約束の通り、図書館へと向かう。
「へぇ、ここから行くのか。あっ、じゃあもしかして。今朝、君は図書館から戻ってきてたのかい?」
「……はい。本を、借りに行ってたんです」
「そうなのか。とすると、君は今から図書館に行って何をするつもりなのさ?」
「今朝借りた本を返しに行くんです。もう読んだから」
そう言って、わたしは手に抱えた数冊の本をファルシュくんに見せる。
「読んだって……。それ、全部?」
「ぜんぶです」
「す、すごい速読なんだね」
ファルシュくんはそう言うと「僕はあまり本を読まないから、素直に尊敬するよ」と言った。
「……そんなにすごいことですか? これくらい普通だと思うんですけど」
「でも、学生だと普通は一日一冊とかが限度だと思うよ」
「え……」
うそ、わたし、実は普通じゃない……?
わたしの中で衝撃が走る。まさか、普通の学生は一日一冊が限度だなんて……。
「まあそこが、アストロアートさんの長所なんだろうけど」と、ファルシュくんが何か言っているけれど、いまはそれどころじゃない。
確かに、前の街でもずっと本ばっかり読んでるねって周りから言われてたけど……いま思うと、おかしな人って思われてたのかもしれない。
ううん。でもそんなこと言ったって仕方ないじゃない。だって、本読むことしかすること無かったんだし……
うう、自分で言って悲しくなってきた。
「アストロアートさん?」
「ひゃい!」
…………噛んだ。
「くっ……はは」
「……笑わないでください」
「い、いやごめん。そうじゃなくて、どうしたのさ。急に黙り込んで」
「……べつに、ファルシュくんには関係ないことです」
「えぇ……気になるなあ」
「それより、ほら」
そんな他愛もない会話をしていると、やがて図書館の前まで着く。
「ここが、図書館です」
「意外と大きいな。なのに、人は誰も居ない」
「……だからこそ、わたしはこの場所が好きなんです」
「えっ……?」
わたしがそう言うと、ファルシュくんの疑問の声が聞こえた気がしたけど、それを無視して図書館の扉を開ける。
「……返しに来ました」
カウンターに座っていた司書さんに一声かけ、返却手続きをする。顔を上げれば、そこにはとても綺麗な顔立ちをした女性が座っていた。
(……また、このひとだ)
腰まで伸ばされた、黒い髪。銀縁の眼鏡の奥にあるのは、ひどく美しい紫紺の瞳。ぱっと見では解らないが、ずっと見ていれば気付く――気づかない方がおかしい――、非の打ち所のない美人だった。
夕方、この時間帯に来ると、いつも居るこの司書さん。その人はいつも無言で無表情のまま、淡々と仕事をする。そのせいか、顔を思い出そうとしてもなかなか思い出せない。
「アストロアートさん」
「……なんですか、ファルシュくん。わたし、図書館に案内するだけって言いましたよね。もう何もしませんよ」
「いや、そうじゃなくて。ちょっと本について聞きたいことがあるんだけど」
「それはわたしじゃなくて、司書さんに聞いてください。わたしより何倍も詳しいです」
すると、カウンターの方から「面倒なことを押し付けるな」といったニュアンスの鋭い視線が、わたしに向かって突き刺さったような気がしたが、気にしない。
「……? そうは言っても……僕は君のオススメを知りたいんだけど」
司書さんの方へ視線を向け、少し困ったようにファルシュくんは言う。本当なら、これ以上関わりたくないんだけど……。
「……そこの、右端の本棚にわたしのオススメが沢山あります。あの赤のハードカバーの本とか、良いですよ」
「右端……、そこか。うん、ありがと。アストロアートさん」
「それじゃ、本当にこれで失礼します」
ファルシュくんがわたしが示した本棚に向かうのを横目で見ながら、わたしは幾つもの本棚の間を縫って歩いて、この図書館の最奥――誰も来ない、わたしの居場所に行く。
ここだったら、今日が来るのが初めてのファルシュくんだと見付けきれないはず。
そこにポツンと用意されているイスに座る。特に本を読むことはしなくても、ここにいるだけで落ち着く。
その、世界から隔絶された場所で、ひとり、思考する。
「……アレン・ファルシュ……」
今日から転校してきた灰色の髪の少年。
あの炎の悪魔と、同じ顔の少年。
いったい彼が何者なのかは判らない。なんで悪魔と同じ顔をしているのか、それ以外にも、聞きたいことはあった。あったけど、それは聞かなきゃいけないことではない。
これ以上、彼に踏み込んじゃいけない。他人に踏み込んではいけないと、自ら戒めたから。
それは、あの日からずっと自分に言い聞かせてきたもの。わたしを守るためのもの。それを破ってしまったら、これまでの日々の意味が失くなる。
昨日、わたしは、わたしの本音に気付いた。気付いたけど、そうするしか道は無いとわかっているから、わたしはこれまで通りに生きるしかない。
「……そう。これで、いいの」
今日は、ファルシュくんと色々あったが、明日からそうはいかない。
今日彼と接した分、今後は徹底してファルシュくんを避けなきゃいけない。さっきの会話だって、必要なものじゃなかった。
「――っ」
他人を拒絶するたびに、胸の内にモヤモヤとしたものが溜まっていく。これは多分、泣きたいという衝動。わたしは、他人を拒むことなどできない。それを、無理に拒絶しようとしているから、わたしの心が苦しむ。
深呼吸して、心を落ち着かせる。この隔絶された世界で進むのは、時間だけ。顔を上げて外を見た時には、もう夕日が沈みかけていた。時計を見れば、六時を過ぎている。
(もうこんな時間……帰らなきゃ)
席を立って、急いで図書館の外へ出る。早くしないと、校門が閉まってしまう。
司書さんにお辞儀だけして、図書館を出る。どうやら、ファルシュくんは先に帰ったみたいだ。
本校舎を経由して、昇降口へ。もう、流石に生徒は誰ひとり居ない。靴を履き替えて、校門に向かう。
(あれ――?)
その途中、誰かが校門の前に立っていることに気付いた。
「――――」
太陽が沈む。同時に、校門のすぐそばにある街灯が点き、彼を照らす。
その光に照らされた灰色は、どこか銀色に見える。
「……あ。アストロアートさん。よかった、入れ違いになったのかと思ったよ」
彼――ファルシュくんは、近付いて来たわたしに気付くと、笑いながら、わたしに話しかける。
「……ファルシュくん。図書館に居ないから、てっきり帰ったのかと思ってました」
「そう思ったんだけどさ。もう暗くなるし、今日案内してくれたお礼に家まで送ってあげようと思って」
「……別に、要らない気遣いです。一人で帰れます。それに、お礼を言われるほどのことはしてません」
「まぁそんなこと言わずに。僕なりのお礼なんだ。君のおかげで、面白そうな本も見つけられたしね」
ファルシュくんがそう言うと、彼は手に持っていた、赤のハードカバーの本をわたしに見せる。それは、わたしが薦めた本だった。
「僕は本はあまり読まないから、正直本の良さなんてものはわからないけど、これは面白そうだと感じた。だから、読んでみるよ。君が薦めてくれた本だしね」
「だからこの好意は、お礼だ」と言って、彼は笑う。
……めちゃくちゃな話だ。確かに、わたしはあの本を薦めはしたけども、それは彼に感謝されるためじゃない。自然と「あの本は良いよ」と、口にしてしまっただけ。
ただそれだけなのに、彼は、お礼をしたいと言っている。
「…………」
心がかき混ぜられる感覚。彼の好意が、わたしの
「――――っ」
「ちょ、アストロアートさん!!」
だから逃げた。
これ以上、わたしに踏み込まれないために。彼に、踏み込まないために。
「はぁっ、はっ」
夜の街を駆ける。長く伸びた黒髪が揺れる。その黒は、闇夜に溶け込んでいる。それはまるで、今のわたしを表しているかのようだった。
逃げるように、隠れるように、わたしは夜を走る。転がるように家の中に入って、玄関のドアに鍵をかける。そしてそのまま、わたしは座り込んだ。
自分の心が解らない。なんで、こんなに鼓動が激しいんだろう。
ドクドクと、心臓が鳴る。その激しい鼓動が収まるまで、また時間がかかった。
(思わず逃げてきちゃった……。明日謝らなきゃ……)
後先考えずに走ってしまった。
悪いことをしたな、と少し反省する。けど「そうするしか無かったでしょ」と考える自分も居る。
明日、彼に謝って、それからはもう関わらないようにしようと、心に決める。
立ち上がって、部屋へ向かう。制服から部屋着に着替え、そしてリビングへ。
静寂に包まれたリビング。誰も居ない、ただ独りの家。
これが、正しい姿。こう在らないといけない姿。
そしてわたしは、いつもの通り、その後を過ごした。
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