第二章 『出逢い(後)』


「リーンちゃん! 一緒に帰ろ!」

「……マリアさん」


 放課後。わたしは図書館に行こうと教室を出た際、ばったりマリアさんに出会う。


「……ごめんなさい。わたし、図書館に用があるから」

「そっか……。あっでも! まだ私あと少しは学校にいるから! もし時間が合ったら、その時は一緒に帰ろ!」

「うん……その時は、ね」


 マリアさんの誘いを断り、わたしは昇降口に向かう生徒達の流れに逆らって、ひとり図書館へ足を向ける。


 これまでも、マリアさんがわたしを下校に誘ってくれることはたびたびあった。

 ど、わたしはそれをいつも断ってきた。何回か、一緒に帰ったことはあるけれど、それでも会話は極力しなかった。


 彼女がわたしを気にかけてくれているのはわかる。

 わかっているからこそ、つらい。

 マリアさんから逃げるように、わたしは足早に図書館へ向かう。



「……はぁ」


 夕暮れの図書館。そこにわたしは独り、座っている。

 どうやら、わたしという人間は、『泣き虫』じゃなくとも図書館という場所が好きらしい。ここに転校してからも、放課後は自然とここに足を運んでいる。


 鼻腔には紙とインクの匂い。視界には沢山の本。

 それら全てが、わたしを落ち着かせてくれる。



「……今日も、」


 ――今日も、一日が終わった。

 誰とも接することなく、ただ独りの一日が終わった。

 あの『泣き虫リン』だった頃の独りとは違う。この独りは、わたしが望んだ独り。

 あの頃のわたしには、隣に人がいた。支えがいた。

 けど、いまのわたしには、誰も居ない。


 窓から差し込む夕焼けが眩しい。いつだったかな、前にもこんな光景を目にした気がする。



(ああ、そうだ――)


 その何かに思い当たることを思い出し、そっと振り向く。


「――――――――ぁ」


 幻影を見た。

 赤色のソレが、いつかと同じように、笑ってそこに立っている幻を。


「……あは、は」


 乾いた笑いが出る。その小さな笑いは、誰も居ない図書館に響く。

 なぜかわかんないけど、涙が出そうになった。

 心が、ギュって締め付けられる感覚だった。


「……わたしの、ばか」


 わたしの根底に眠る事実に、わたしは気付く。

 そのことに対し、思わず笑ってしまう。

 笑って、嗤う。 



 ガタリ、と席を立つ。そのまま図書館を出て、街大通りの方へ全速で走った。


 息を切らしながら大通りへと辿り着く。

 肩で息をしながら顔を上げると、視界一面に、夕日に照らされる街並みが映った。

 行き交う人々の顔は、みんな幸せそうだ。その人達はみんな一様に、愛する人が待つ家に帰っている。


 そんな幸せに満ちた世界に、わたしは独り、切り離されているかのよう。




「――――あ」


 ふと、遠くに二人の姉妹が見えた。傍から見ても、とても仲が良さそうだ。

 その姉妹は、手を繋ぎながら街を歩いている。



「……っ」


 情景が蘇る。

 いつも隣にいた、最愛の人。

 いつもわたしを守ってくれた、大事な人。


(やめ、よう。そんなこと、思うだけ無駄なんだから……)


 蘇った情景に蓋をしめる。それでおしまい。

 ここにはもう、何もない。ここは、空っぽの街。


 あそこに詰まった思い出は全て、あの時に燃えた。

 わたしはそれを、ちゃんと受け入れなきゃいけない。

 そして、決して忘れちゃいけない。それが、生き残った者の責任だから。




 歩き始める。家に、帰らないと。

 意識しているわけでもないのに、歩く速さはただ増す一方。数分もしないうちに、わたしの家の前まで着いた。


 ガチャリと、家の鍵を開け、その扉を開く。




「――――」


 呆然と、玄関に佇む。

 ドアを開けた瞬間、『お帰り、リン』と聞こえたかのような気がしたから。




 もちろん、それはただの幻聴。わたしが創り出した、勝手なモノだ。

 ドアを閉め、一目散に部屋に駆け込む。そして部屋に入った瞬間、わたしはその場に崩れ落ちた。


「……おねえ、ちゃん」


 声を漏らす。名を、呼ぶ。

 最愛の人の名を。今はもう、居ない人の名を。



「――やだ、よ」



 ずっと背けてきた事実。それに気付いたわたしは、その気持ちを吐き出す。


「独りは、もう、やだよっ……!」


 ああ、そうだ。

 わたしは、独りが嫌なんだ。

 独りぼっちは、寂しいの。


 誰も失いたくないから、他人と一線を置くわたしと、

 独りは寂しいと、隣に誰か居てほしいと願うわたし。


 この二人は、矛盾した存在。決して相容れない存在。



 マリアさんがそのいい例だ。

 あの人は、わたしにとって『友達』になれたかもしれない人。

 わたしは、そんなマリアさんを失いたくなかったから、わざと一線を置いた。

 だけど心の何処かでは、友達になりたいと願っていた。 


 馬鹿な話だと思う。自分で境界をつくっておきながら、その境界に自分で苦しんでいる。

 それでもわたしは、その境界を崩すことはしない。それだけは、してはいけないの。



 ――だってわたしは、とても弱くて泣き虫な、火涙ひるいの少女だから。



 燃やさないように、失くさないように。

 わたしは、これからも、生きていく。

 独りのまま、生きていく。



(でもどうして――)



 わたしは、彼の幻影を見て、このことに気付いたんだろう。

 それだけが、頭に残った。




 ***




 その日も、いつもと変わらない朝だった。

 いつもと変わらない日だった。


「……ん……」


 眠りから目覚める。時計を見れば、普段の起床時刻より少し早い。


「……まぁ、こんな日があってもいいよね」


 そう言って、ベッドから降りる。後は、いつもの行動と変わらない。着替えて、朝食を作って、片付けて、学校へ行く。

 何の、変わりもない光景だ。


 家を出て、朝の光に包まれた街を歩く。通学路には、わたしと同じ学校へ向かう生徒達。その在り方は、三者三様だ。わたしと同じように、一人で行く者もいれば、友達と一緒に行く人もいる。もしくは、恋人同士と。


(……なに考えてるんだろ、わたし)


 突然『恋人』というワードが頭の中に出てきて、困惑するより前に呆れてしまう。そんな縁のないことを考えたって、何の意味もないとわかっているのに。


 そんな風に、思考の海を漂っていると、やがて学校が見えてくる。考え事をしていると、あっという間だ。


 校門をくぐり、昇降口へ。下駄箱で靴を履き替え、廊下に出る。そして、木造の廊下を歩く。ギシギシと音を軋ませながら、教室へ向かう。


 また今日も、一日が始まろうとしていた。


「…………」


 無言のまま、教室に入る。今日は――人が少ないというのもあるが――昨日みたいに視線を向けられない。


 席に着く。わたしの席は、一番後ろの窓際なので、教室全体を見渡せる。そしてこの位置は、一番話しかけられにくい位置でもある。

 今のわたしにとってこの席は、まさに天恵とも言える位置だった。しかも幸運なことに、隣の席は空席。


「……あれ、本がない」


 本を読もうとカバンを開けた際、その中に本が入ってないことに気付く。


(……しまった。昨日、夜に部屋で読んで、机の上に置きっぱなしにしちゃったのか……)


 うっかりしていた。これではホームルームまでの時間を持て余すことになる。

 それならまだいいけど、放課後までの時間何もしないとなると、時間の無駄になってしまうし、何より他の人達に話すキッカケを与えてしまう。


「……うーん……」


 時計を見る。今日は普段より少し早く来たので、ホームルームまではかなり時間があった。


(――よし)


 席を立つ。思い立ったが吉日って言葉が東洋にあるって前に本で読んだし、わたしもそれに倣うとしましょう。


 わたしはそのまま、廊下に出る。廊下には、人はまだ疎らにしかいない。それならそれで、好都合。わたしは図書館の方へ、歩みを進める。

 この学校の図書館は、校舎とは別の建物になっている。そこへ向かうには、校舎の東側から出ている渡り廊下を経由しないといけない。

 誰もいない、閑散とした廊下を歩く。なんだか少し、独占している気分。


 渡り廊下を通り、図書館に着く。ギギィ…と扉を開けば、そこには変わらず、大量の本で埋め尽くされている光景があった。

 適当に数冊見繕い、まだ司書さんは来ていなかったので、自分で手続きする。


 そしてわたしは図書館を出て、数冊の本を手に再び教室へ向かう。これで、今日一日を過ごせるかな。

 ひとり、渡り廊下を歩く。吹いた風が少し冷たい。


(早く教室に戻ろう……。戻って、借りた本を読まなきゃ)


 そんなことを考えながら、わたしは歩く。

 考えごとをしていたせいか、わたしは、廊下の角から出てきた人物に対し、対処することが出来なかった。


「きゃっ!」

「うわっ! ゴメン、大丈夫かい?」


 ドン、と。正面から誰かにぶつかる。意外と鼻が痛い。

 鼻を押さえながら、わたしはぶつかった人物の顔を見る。


「え……?」


 その人物の顔を見て、わたしは驚く。


 ――嘘だ、そんなはずはない。


 困惑と疑問が頭の中を埋め尽くす。いま起きている出来事が、よくわからなかった。

 これは違う、これは違うとわかっていながらも、おそるおそる、再び目の前の人物の顔を見る。


「君は……」


 目の前の少年が呟く。

 と、茜の眼をしたこの人物は、





「あく、ま……?」


 いつの日かの彼と、同じ顔をしていた。


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