第二章 『出逢い(前)』


 ……小鳥の鳴き声が聞こえる。瞼をそっと開ければ、カーテンから朝日が零れているのが見えた。


「ん……。あ、さ……?」


 寝惚けたまま声を出す。むくりと起き上がって、ぼーっとしたまま宙を見つめる。

 わたしは、朝がとても弱い。こんなところを他人に見られでもしたら、恥ずかしくて死んでしまう。


「起き、なきゃ」


 ベッドから降りる。季節は麗らかな春を迎えたとは言え、まだ朝は寒さがある。

 洗面所で顔を洗う。それで多少は目が覚める。再び部屋に戻り、タンスから制服一式を取り出す。そして、パジャマから制服へと着替える。


 着替え終わったら、次は朝食の準備をする。エプロンを付けながらキッチンに向かう。今日は、玉子焼きでも作ってみようかな。


 頭の中でメニューを考え、そして実行。十分もすれば、付け合わせのサラダも加えて完成した。

 できた朝食をテーブルの上に並べ、食べ始める。

 当たり前だけど、その間は、とても静かだった。


 それから少しして、朝食を食べ終わる。手早く洗い物を済ませ、学校へ行く準備。そして部屋へカバンを取りに行った際、部屋に置かれている鏡を見た。


 そこに映っているのは、わたしの長く伸ばされた黒髪と、赤い瞳。

 一年前までは、肩口までしかなかった髪が、いつの間にかこんなに伸びていた。


 ――ううん、伸ばしていた、か。


 視線は鏡から隣の棚へ。その棚の上に置かれているのは、一枚の写真立て。

 そこに入れられている写真は、わたしとお姉ちゃんが一緒に並んだ――けれど、そのほとんどが燃えていて、やっとそれが誰なのか、識別できるくらいの状態の写真だった。


「……行ってきます、お姉ちゃん」


 そう言って、わたしは部屋を出た。


 ***


「あ……。もう、この花が咲く季節なんだ」


 通学の途中、道端に咲いていた花を見つける。その花は風に揺れ、逞しく、その生命の証を刻んでいる。

 花は好きだ。見ているだけで、心が落ち着く。小さい頃から花が好きだったせいか、いろんな花の名前や種類をいつの間にか覚えていた。いつか、お花畑を自分で作れたら素敵だなと思う。思ってるだけだけど。


 その花をひとしきり眺めたあと、わたしは再び学校へ歩みを進める。

 新しく住み始めた街は、前に住んでいた街と変わらず、木組みの街だ。というより、この地域は、ほとんどの街がそうなっている。

 木造の建物。石畳の街道。街の中心を流れる河。それら全てが、前に住んでいた街を彷彿とさせる。


 けど、この街ここ前の街あそこでは、決定的に欠けているものがある。



 そんなことを考えてるうちに、学校へ着く。この学校も、前の校舎と特に変わりはない。強いていえば、前よりも人が多いってところかな。


「あっ! おはよう、リンちゃん!」

「っ……。おはよう、マリアさん」


 下駄箱で靴を履き替えてる最中、不意に名前を呼ばれる。声のした方を見れば、金髪のボブヘアの女の子が立っていた。


 彼女の名はマリア・クロード。

 半年前にこの学校に転入してきた時のクラスメイトで、学年が変わってクラスは離れたけど、それでも何かと理由をつけてわたしに声をかけてくれている。



 ――もっとも、マリアさんは、ただのクラスメイトじゃない。

 わたしにとってマリアさんは、それ以上の存在だった。


 それ以上の存在だけど、今のわたしにとって、マリアさんがこうやって接してくることは、嬉しくもある反面、モノでもあった。


「それじゃ、わたし先に行くね」

「あっ、ちょっと待ってよー!」


 わたしを呼び止めようとするマリアさんの声を無視して、わたしは教室へ向かう。

 長い廊下を――決して走ることはしないが――それでもかなりの速さで歩く。

 やがて、わたしは教室に着き、扉を開ける。


 開けた瞬間、いくつかの視線がわたしに向けられる。その光景は、いつの日かと、全く変わらない。


 わたしは無言のまま、自分の席に着く。すると、学年が変わってまだ日が浅いからか、わたしのことをよく知らない人達の視線がわたしに向く。けど、わたしはそれを徹底して無視した。


 カバンから本を取り出し、それを読む。

 本はいい。読むだけで、その世界に入り込めるとじこもれる


 誰にも邪魔されない、独りの世界。それが本だとするなら、いまのわたしの環境は、本そのものだと思う。


 他人の介入を許さず、他人と一線を置き、他者との間に情を作ることを封じる。

 それを、わたしは望んだ。

 他者との接触なんて要らない。他人と触れれば触れるだけ、後から苦しい思いをするだけだとわかってしまったから。




 いつ燃えて――燃やしてしまうか――わからないから。

 だから、泣かないように、他者との接触を自ら封じた。こうすれば、わたしが泣く要因は無くなる。形は違っても、それはあの悪魔の言った通りだった。


 わたしの願ったモノは、歪なカタチで叶えられた。




 時間が過ぎる。変わらず、クラスメイトからの視線は絶えない。だがそれも、予鈴を表す鐘の音が鳴れば消える。鐘の音が鳴ると同時に、わたしは本をカバンにしまった。


 ガラッと、教室の扉が開いて、担任の先生が入ってくる。そして、ホームルームが始まる。わたしはそれを聞きながら、自然と視線は窓の外へ向いていた。

 遠い彼方を見つめる。見つめながらふと、思い返す。


 忘れもしない、あの日のことを。


 ***


 あの日から、一年が経った。

 わたしは、独りになった。

 あの地獄を乗り越え、独りになったわたしは、ただあてもなく歩いた。


 お姉ちゃんが死んで、天涯孤独の身となったわたしには、頼れる人などいなかった。

 けど、ただ歩けば、このまま歩いていれば、いつか誰か助けてくれると思った。だからわたしは、泣くことを堪えながら、ただ、ただ、歩いた。




 そしてその途中で、倒れた。単純に、体力と精神が尽きたのだ。

 最後の瞬間に覚えていたことは、あの時の景色――そして、誰かに抱えられる感覚。


 次に目を覚ました時、わたしは寝台の上に横たわっていた。本当に、誰かに助けられたのだ。


『あっ、大丈夫? 私のこと、ちゃんとわかる?』


 その、わたしを助けてくれた人物こそが、先のクラスメイト――マリア・クロードだった。マリアさんが、わたしにとってクラスメイト以上の存在というのは、そういうことだ。有り体に言えば、『命の恩人』というやつ。


 それから後のことは、トントン拍子に話が進んでいった。


 わたしの身に何が起きたのか。

 なんで街が燃えたのか。

 それら全てについて、クロード家の人に聞かれた。聞かれた上で、わたしはすべてを話さなかった。


 これは、わたしの罪。わたしの罪を、他人になんか話すべきじゃないと、そう判断したのだ。




 そしてわたしは、『起きた大規模な火災によって故郷が失くなった、不幸な少女』としてクロード家の庇護を受けた。


 クロード家は、ここら一帯の地主の家系らしい。つまり、お金は沢山あった。

 だからわたしは、クロード家を出て、彼らが用意してくれた家で、一人暮らしを始めた。彼らに迷惑をかけたくないというのもあったけど、それ以上にわたし自身が『独り』になることを望んだから。


 他人と触れ合えば、失った時に辛いという感情を、あの日知ったから。

 もう、失いたくないから。


 そしてわたしは、この街で一年を過ごした。前と同じように、学校に通い、本を読んで、そして家に帰って過ごす日々。


 少し違う点は、マリアさんっていう存在がいること。けど、他人と触れ合うことを禁じたわたしにとってそれは、わたしを苦しめるだけのモノだった。




 ――。

 ――――。

 ―――――。


 記憶の海から、意識は再び現実へ。まだ、ホームルームは終わっていなかった。


「…………」


 わたしの罪は消えない。消えることはない。

 わたしは死ぬまで、この罪の十字架を背負っていかなきゃいけない。

 そんなこと、わかりきったことだった。


 ホームールームが終わる。また今日も、一日が始まる。


 ――孤独な、一日が。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る