第一章 『燃ゆる火の獄、少女の罪(後)』

 

 次の日、わたしは普段と違って、晴れやかな気持ちで学校に登校した。

 今日から、みんなと仲良くなれる。わたしは、泣かないようになったんだと、早くみんなに知らせたかった。言ってしまえば、今日はわたしの再スタートだ。


「お、おはよう!」


 いつもより少し大きく、声を出す。既に教室の中にいた何人かは、少し驚いた様子でこちらを見る。その視線に若干萎縮してしまう。


「お、おう。おはよう、アストロアート」

「おはよう、アストロアートさん」

「う、うん。おはよう」


 クラスの良心的な人達――わたしへのいじめへ加担していない人達――は、こうやって挨拶してくれる。けど、今こうやって挨拶をするということは、どうやらいじめの主犯はまだ来ていないらしい。


 席に着く。顔を上げれば、時計の針が動くのが見える。


「―――っ、は――」

 

 深呼吸して、わたしは心を落ち着けるためにカバンからあるモノを取り出す。

 取り出したのは、本だった。わたしがずっと持っている、お気に入りの本。


 ――本は好きだ。わたしにとって、本は心の拠り所だった。逃げる場所といってもいいかもしれない。

 わたしにとっての読書とは、物語を楽しむ行為であると同時に、心を落ち着かせるためのルーティンだった。

 コレは中でも気に入っている、わたしにとっての特別な一冊。

 内容は何の変哲もない恋愛物語だ。ひとりの男女が出会い、恋をして、やがて結ばれる。

 王道なプロットで綴られた綺麗な恋愛物語。だけど、わたしにとっては宝石のように特別な物語。

 わたしが初めて読んだ物語で、お守りのような一冊だった。


 何度読み返したか分からない本のページをめくりながら、わたしはひたすらに『彼女たち』を待つ。


 どれだけの時間が経っただろうか。

 不意に教室の扉が開いた。

 二人続けて、人が入ってくる。――カナンちゃんとレイちゃんだ。

 彼女達が教室へ入ってきた瞬間、それまで喧騒に包まれていた教室が静まり返る。

 そう、彼女たちこそ、わたしのいじめの主犯格だ。わたしは二人からいじめられている。


「おっ。リン、もう来てるじゃん。今日も早いねぇ」

「ほんっと、何されるかわかってるのに、よく来ますね、リン」

「お、おはよう。カナンちゃん、レイちゃん」


 カナンちゃんとレイちゃんがわたしを蔑むように笑う。

 そんな二人の様子に、思わず足が竦む。恐怖で震えようとする体を、なんとかおさえる。

 いつもなら、彼女たちに抗おうとする意志もここで消える。

 だけど――


(大丈夫、大丈夫……! 悪魔さんを、信じなきゃ。わたしはもう、変わったんだ)


 今日のわたしは違う。


「あ、あのね。カナンちゃん、レイちゃん。わ、わたしね、もう泣かなくなったんだよ」 


 意を決して、彼女達に話しかける。

 これが最初の一歩だ。




「はぁ? リン、アンタ、何言ってんの。泣き虫リンのアンタが、泣かなくなったなんて、冗談でも下手すぎでしょ。昨日の今日だよ?」

「う、嘘じゃないよ。ほんとだよ!」

「じゃあ、証拠か何か見せてみなさいよ」

「しょ、証拠って言われても………」




 そんな物、持ち合わせてない。

 そもそも、悪魔さんの言葉を疑うことなく信じてたから、いざそういう風に言われると困ってしまう。

 彼が『もう君は泣かない』とそう言ってくれたから。わたしは、彼の言葉を信じるしかないないわけで。

 だけど、彼女達はそう思ってはくれないようだった。

 カナンちゃんが、何か思いついたように不敵に笑う。あれは、いつもの笑い方だ。

 わたしを”下”に見て、堕とすときの笑い――


「じゃあ、本当にアンタが泣かなくなったのか、試してあげよっか」

「え?」


 わたしが間抜けな声を出すと同時、カナンちゃんはわたしが両手に抱えていた本を奪い取る。


「えっ、あ、カナンちゃん! やめて、返して!」

「アンタ、いっつもこの本読んでるわよね。こんなボロボロの本、なにがいいの? こんなボロボロなら――さァッ!」


 ――ビリビリビリッ!

 カナンちゃんは、勢いのまま、わたしの『お守り』を破いた。


「アハハ! ほら、簡単に破れちゃうくらいボロボロじゃない。買い直すキッカケをあげてやったのよ、感謝なさい?」

「……あら、カナン。この本、絶版になってるわよ確か。タイトルに見覚えがあるもの」

「あらま。じゃあ――仕方ないわね! 諦めなさい、リン!」


 カナンちゃんは仲のいい友達のようにわたしの肩を叩いてくる。

 本当に”友達そう”だったら、とても嬉しかったのに――

 わたしの意識は、バラバラになった本の残骸に気を取られていた。


「ぁ……え……」


 ――あれ。どうしてだろう。

 どうして、視界が滲んでるんだろう。

 どうして、目頭が熱いんだろう。

 まるで、わたしが泣いているみたいじゃない。


「あはっ、ほら見てレイ! リンの奴、ちっとも変わってないじゃない!」

「あらほんと。泣かなくなったなんて、ただの嘘だったんですね。全く、見損ないましたよ」


 二人の声が聞こえる。


 ――わたし、泣い、てるの?


 なんで。わたしは、泣かなくなったんじゃ。

 悪魔さんは、「もう泣かない」って、言ってたのに。

 なんで、なんで――。


「――――ぁ」


 そこでわたしは、ようやくある可能性に気付いた。


(そっか。わたし……)


 騙されてたんだ。

 あの悪魔は「もう泣かない」なんて言ってわたしを騙していたんだ。よく考えたら、すぐにわかることじゃない。

 だって、悪魔だよ。悪魔が、何の見返りも無く優しいことをするはずが無い。きっといまごろ、あの悪魔はわたしの醜態を見て楽しんでるに違いない。


 ――――ああ。


 結局、わたしは変わることなんて出来ないのだ。わたしはこのままずっと、『泣き虫リン』として、過ごしていく。

 涙が頬を伝うのを感じる。そのまま、わたしはその場に崩れ落ちる。

 その際にきらきらと、何かが零れ、雨粒のように彼女達の方へ落ちていく。

 あれは、わたしの涙だろうか。


 もう、何も信じられない。夢が叶うと、あの悪魔を信じたわたしが馬鹿だった。

 なんであの悪魔は、わたしに希望を持たせるようなことをしたの?

 希望を持つくらいなら、こんなこと――して欲しくなかった。

 あの時の悪魔の笑顔が嘘だと、そう思いたくなかった。できることなら、彼を信じていたかった。

 けど、現実は残酷だった。

 わたしはもう、変われない。変わることは、出来ない。

 思い描いた理想ユメは叶うことなく、この涙と一緒に流れていく。


 ほら、こうやっていつものように、わたしは――――


「きゃっ!」

「熱っ!」


 突如、目の前の二人が悲鳴を上げた。

 わたしは、それを見ない。

 聞こえない、聴こえない。


 彼女達のことなんて、どうでもいい。



「!? も、燃えてる! 床が燃えてるぞ!」

「な、なんでよ!? なんで床が燃えるの!?」


 止めどなく溢れる涙。それは、つーっと、わたしの頬を伝う。


「うっ、ぁあ……っ」


 漏れる嗚咽。抑えきれないそれは、まるで歪に奏でられる音楽のよう。


「炎が広がってきた! 誰か水を! はやく!」

「だめ、消えない! なんで、なんで消えないの!?」


 やけに、周りがさわがしい。またわたしを見て笑っているのかな。


「避難だ、外に避難しろ!」

「アストロアートさん! 泣いてないで早く! ほら、火が貴女のすぐそばまで!」


 誰かがわたしの名前を呼んでいる。


「……火?」


 ――そこでようやく、わたしは顔を上げた。


「なに、これ」


 すべてが、燃えていた。

 紅く、緋く、あかく。



 それは灼熱の太陽の如く、教室を燃やしていた。

 火はとどまる所を知らず、その手を至る所に伸ばしている。わたしの周りは既に、火で囲まれていた。


「あ……ぁ、あ」


 恐怖。それがわたしを縛り付けた。さっきわたしを呼んでいた誰かも、もう居ない。


「――――!」


 声は出ない。代わりに、涙が出る。ボロボロと、頬を伝って落ちていく。

 その行為は何も関係無いのに、なぜか火の勢いが強まる。

 そう――まるで、わたしの涙がこの炎の原因のような。


「行か、なきゃ……」


 勇気を出して、立ち上がる。幸いなことに、わたしの体に火は燃え移っていなかった。あんなに火に囲まれていたというのに、もはや奇跡だ。


 教室を出る。木造ということが災いしたのか、廊下の至るところが燃えており、壁に穴があいている部分もある。窓は割れ、そこから脱出したと思われるあとが残っている。学校全体が燃えるのも、このままでは時間の問題だ。


「いったい、なんで……」


 煤と灰が制服に付く。煙を吸わないよう必死に堪える。涙は止まる気配をみせない。

 ――こわい、こわいよ。

 わたしは泣きながら歩き、やがて昇降口までたどり着いた。

 靴に履き替え、外に出る。そしてわたしは、その景色を目の当たりにした。


「――――、え?」


 そこには、地獄が在った。

 正真正銘、それは地獄そのものだった。


「ひっ……」


 校庭には無数の黒い塊が炎の中で燃え、そこら中に落ちていた。

 銅像のように立っているモノもあった。

 まだ、火の中で動いているモノもあった。


 遠くを見れば、赤い光が見える。あの方角は、街の方。こんな短い時間で、あそこまで火が。

 後ろで大きな音がした。振り向けば、校舎が崩れ始めている。

 悲鳴が、中から聴こえた。


「あ、」


 奥に、人が見えた。その人は必死に何かから逃げ回っている。


「――――ッ!!」


 奥の方で走り回っている人。それはさっきまでわたしをいじめていた人の一人――カナンちゃんだった。


「あっ、リン! リン、助けて! ねぇ、お願いッ!! この炎、なんでか生き物みたいに追っかけてくるの! 水ッ、水でもなんでもいいから、早くそれをこの炎にかけてッ!!」


 わたしの存在に気付いたカナンちゃんが、追いかけてくる炎から逃げながら、わたしを呼ぶ。

 その姿はまるで、罪を裁かれている罪人のようで……


「はやく! ねぇリン、お願いだから!! 今までのことは全部謝るから、私を助けて!! 助けなさいよぉッ!!」

「あ、ぅ……」


 足が竦んで動くどころか、まともに声を出すことすらできない。

 そんなわたしを見てカナンちゃんは無駄だとわかったのか、すぐに切り替えた様子で炎から逃げ回る。


「あっ……!」


 けど、それは無駄な足掻きで、数秒もしない内にまるで生き物のように動いていた炎に呑まれた。

 彼女の断末魔が聞こえる。

 その声が、まるでわたしを恨んでいるかのように聞こえた。


「あぁ、あ、あァッ」


 走り出す。一刻も早くこの場から、この地獄から立ち去りたかった。

 街を目指して走る。その途中で、街の惨状を知った。

 不幸にも木組みの街だったことが災いしてしまった。ひとたびどこかが燃えれば、後は連鎖的に、他の建物へ燃え移っていく。

 そうすれば、地獄の完成だ。


「はあ、はぁっ、はっ」


 行けども行けども、続くのは地獄。それに終わりは見えない。

 黒い塊がそこら中に転がっている。いくつもの呻き声が聞こえる。

 それらは確かに、救いを求める声。それらをぜんぶ無視して、わたしは走る。


「なんでっ、こんな、ことにっ……!」


 わからない。わからない。

 頭はすでに理解の許容を越え、理解するのを拒んでいる。それと同じくらい、涙が出る。


「お姉ちゃん――!」


 それでも走るのは、たったひとりの家族の安否を知りたいという想いがあったから。

 そしてようやく、わたしは家の前に着いた。






 お姉ちゃんは、倒壊した家の下敷きになっていた。






「――お姉ちゃんっ!」

「……リ、ン」

「待っててね、いま助けるから!」

「だめ……逃げなさい。せめて、リンだけでも……」

「いやだよっ! わたしを独りにしないで!! わたしは、お姉ちゃんが居なくちゃダメなのっ!」

「はやく、逃げなさい、リン……!」

「いやだっ。嫌だイヤだいやだっ!」


 お姉ちゃんを下敷きにしている柱を必死にどかそうとする。しかし、ビクともしない。そうしている間にも、炎はその手を伸ばし続けている。


「もうすこ、し……」

「! 危ない、リンっ!」

「え? ――あ」


 頭上を見れば、隣の建物が崩れ、その一部がわたしの頭を目掛けて降ってきていた。どう考えても、避けきれない。

 ドン、と。瞬きした次の瞬間には、わたしは突き飛ばされていた。





「おねえ――」

 最後に見たお姉ちゃんの表情かおは、静かに笑っていた。





 眼前に炎を纏った幾つもの瓦礫が降り注ぐ。

 ぐちゃり、と。何かを潰す音が聴こえた。


「――――ぁ」


 ぴちゃっ、と。赤い何かが顔に付いた。それが血だと理解するのに、少しだけ、時間がかかった。

 真っ赤な血が水溜まりのようにその場に広がる。その赤色は、まるでわたしの瞳のようで……

 とても、きれいな色だった。


「ぁ……、ぇ?」


 喉から出たのは、声にならない声。目の前に広がる光景を認めたくない。

 そして瞬きした次の瞬間には、完全に家が燃えていた。

 それはつまり、わたしのたった一人の家族が死んだということを意味していて。

 ぷつりと。糸が切れる音が、わたしの中から聞こえた。


「あ――あ、ああッ。あああああアアアアアッッ!!!!」


 抑えきれない涙。泣きたいという衝動。ぼろぼろと、いままで以上に涙が零れる。

 心の中には果てしない空洞。事実を認めようとしない心と、冷静にすべてを理解している頭の二律背反。


 ――限界だった。


「どぉ……してぇっ……」



 なんで、どうして?

 わたしが何かした? どうしてわたしは、こんな地獄ばしょにいるの?

 そうやって問いを投げても、当然答える人なんかここにはいない。愛すべき家族もたった今死んだ。こんな場所、一秒もいたくない。


 だから――。



 涙で歪んだ視界の中、煌々と燃える赤い炎に手をのばす。

 それでお姉ちゃんの後を追える。

 ――追えるはず、だったのに、


「なん、で………燃えない、の……?」


 いくら待っても、わたしの体が燃えることはなかった。

 混乱と動揺が脳内を埋め尽くす中、不意に、



『やぁ、リン』



 どこからか、あの悪魔の声が聞こえた。

 振り向くと、昨日と同じように悪魔はそこに立っていた。


「あく、ま……!」

『どうだい? これで君の願いは叶うだろう?』

「ふざけ、ないで……!」


 違う。こんなの、わたしは望んでない。

 わたしはただ、泣かないようになって、みんなと仲良くしたかった。ただそれだけ。

 間違っても、こんな地獄をつくることなんかじゃない。


「あなたはっ、わたしを、だまして……!」

『? 何を言ってるんだい? 僕は君を騙してなんかないよ』


「嘘をつかないでっ! 泣かないようになるなんて言って、ただわたしの無様な姿を見たかっただけでしょ!」

『騙してなんかないさ。僕はちゃんと、約束は守る。だってほら、見てごらんよ』


 そう言って、悪魔はわたしを――正確には、わたしの頬を伝って落ちていく涙を――指差す。

 わたしは、それを言われるがままに見ていた。

 そして、その瞬間を見てしまった。


「う、そ……」


 ――地に触れた涙が炎になり、燃え上がるその瞬間を。

 それはまるで、炎の花。

 わたしの目からこぼれた涙が地に触れたとき、それは開花するように、燃え上がる。


 はじかれたように、周りを見渡す。

 変わらず燃え盛る地獄のなか、地面をよく見れば、ヒガンバナのような形をした炎の花がいくつも咲いていた。

 激しく咲くもえる炎の花。花は増殖するように、建物や木々に燃え移っている。

 けれどそれはあくまで炎。炎である以上、ただ燃やすしかない。


 炎花が咲き乱れる花園じごく――そう形容するのが、一番相応しかった。




「なに、これ……」

『僕はあの時、君にある力せいしつを与えた。それは、というものさ』

「涙が……炎に、なる」




 その言葉を聞いて、わたしはすべてを理解した。同時に、罪悪感が心を潰した。

 炎の悪魔との邂逅。意思を持ったように燃える炎。燃えない体。――炎になる涙。

 不安はやがて確信へ。認めたくないその事実に、わたしは震えた。泣きたくなった。


(ああ、そっか……)


 ――この地獄は、わたしがつくったんだ。



『これで君は泣かなくなるよ。だって、全部燃えたんだもん。

 君をいじめる奴も、物も、環境も、ぜーんぶ燃えた。これで君は、泣かなくなる。ほら、君の願い通りだろう、リン?』



 彼の言葉に嘘も悪意もない。

 彼は、善意でわたしの涙に性質を与えた。

 ただ少し、お互いの願ったモノがすれ違っただけ。


「……って」

『え?』

「どこか行って! もうわたしの前に来ないで!!」


 声を荒げる。すると、悪魔は少し戸惑った表情を見せる。けれど、しばらくするとこの場から消え去った。もう二度と、会うことはないだろう。


 近くの炎に触れる。だけど、その手が燃えることはない。

 あたりまえのことだ。これはわたしの涙。自分の涙で燃えるわけない。

 性質が炎になっただけであって、本質は涙に変わりはない。

 けれどこれは、『わたしが泣かなくなる』という願いのもとに成り立っているから、その願いを叶えるために、このほのおは、わたし以外を燃やす。


「――――、っ」


 ぐっ、と溢れかけた涙を堪える。

 本当は、今すぐにでも泣きたい。もとよりわたしは泣き虫なんだから、堪えることなんて、できやしない。

 でも、真実を知ってしまった以上、泣くことは許されない。



 いまもなお燃える街を見る。

 燃えた。全部燃えた。人も、街も、自然も、そして家族さえも。

 その炎は、消えることなく燃やしている。

 何も無い。在るのはただのあかい炎。

 全てを燃やす、無慈悲なまでに赤く、そして綺麗なあかい炎。


「う、ぁ……ぁ」


 改めて認識した瞬間、ぷつんと、糸が切れた。もう限界だった。

 嗚咽が漏れる。涙が頬を伝う。

 そしてそれが地に触れる前に、拭う。



 泣いてはいけない。泣いてはいけない。



 泣いたらまた、燃えてしまう。それだけは、ダメだから――

 けど、拭いきれなかった涙が、地に触れる。

 刹那、炎が燃え上がる。


「あぁ……ぁ、ぁあ……!」



 ――燃えた、燃えてしまった。

 ――燃やしてしまった。

 それが、決定打となった。


「――――――!」


 堤防が決壊する。

 涙が溢れる。

 燃える。


「ああああああああああ――――――ッ!!!!」


 燃えていく。全部、ぜんぶ。

 生まれ育った街も、駆け回った森も、さっきまで話していた人々も、等しく、燃えていく。

 塵ひとつ残らないくらい、激しく燃えていく。

 この炎は、いったいなんのために燃えるのだろう。


「わた、しは……っ」


 ただ泣きたくないと、そう願っただけだった。

 ただ普通に、みんなの輪の中に入りたいと願っただけだった。

 そのためなら――たとえ奇妙で不思議な存在に頼ってもいいと。



 そう願ったのが、間違いだった。

 だからこれは……紛れもなく、わたしが犯した罪。


「――――――、」


 燃える街を――街だったモノを――虚ろな眼で見つめる。

 ……駄目だ。ここに居てはいけない。

 何処か遠い場所へ。

 遠く、遠く。誰も来ない場所へ。


 涙を拭う。そうすれば炎は収まる。けど、一度放たれた炎はもうどうすることもできない。

 地獄を、歩く。

 わたしがつくった地獄。その事実に、思わず涙が出てしまいそうになる。



 泣いてはいけない。泣いてはいけない。



 これ以上は、もう。

 だから、せめてもの償い。

 この光景をつくってしまった、償いを。

 この光景を、眼に。


「――――、なさい」


 呟く。


「――――ごめん、なさい」


 その呟きは、誰に向けられたモノだっただろう。


「ごめんっ……、なさい……!」


 泣いてはいけない。泣いてはいけない。



 泣いたら、燃やしてしまう。

 泣いたら、消えてしまう。


 無数の屍を超える。その中には、見慣れたモノもあった。

 いくつもの声が、わたしの耳にこびりつく。

 わたしはそれを、ひとつひとつ、受け止める。


「そう、だ」


 街の門まで差し掛かったとき、ふと思い出す。

 大事なことを、忘れていた。

 最後に、お別れを。



「――ばいばい、お姉ちゃん。大好きだよ」



 最愛の姉に、別れを。

 嗚咽を堪え、涙を拭う。

 何の罪もない人々に謝りながら、償いの為に光景を眼に焼き付け、歩く。


 決して、振り返ることだけはしなかった。




 * * *




 そうしてその地獄は、三日三晩燃え続けた。

 わたしは、すべてをうしなった。

 わたしだけが、生き延びた。




 ――――そして、一年の月日が経った。


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