第五章 新入生

 その翌日から、ライルの寮生活が始まった。

 「寮」は、かつての兵舎(ライルが見た三階建ての建物だ)を改装して作られており、一階部分は複数の一人部屋と浴室に加え、先生達の居住スペースがあり、二階から上は子供達が集団生活を送るスペースになっているようだった。

 二棟ある寮はそれぞれ男子寮、女子寮となっており、寮に入れば「樹上の少女」に会えるのではないかと淡い期待を抱いていたライルは、少なからずがっかりした。

 一人部屋はベッドと机、衣類をしまっておくだけの収納があるだけの簡素な作りだったが、一人で物を考えるにはもってこいと言えた。部屋には鍵はかかっておらず、トイレは共用のスペースを利用することになっていた。

「一、犯罪行為をしてはならない、二、他人や自分を傷つけてはならない、三、少年院の平穏や安全を乱す行為をしてはならない・・・。どれも当たり前のこと、だよな・・・」

 ライルは机に向かい、早速「生活のしおり」に書かれたルール(「遵守事項」と言うらしい)を読み込んでいた。天気の良い昼下がり、外からは、楽しげに遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくる。

 ライルは、そこにあの少女がいないかと、窓からちょっとだけ外を見てみた。

 中央にそびえる大樹の周囲は広く開けていて、おそらくここが要塞だった時は兵士たちの演習などに使われていたのだろう。今は子供達が集団でボール遊びに興じていた。5人ずつに分かれて相手チームに手にしたボールをぶつけ合う遊びだ。レンとか言う、優男の先生が審判役をしているようだ。

 ここにいる子供達の数は、それほど多くないようだ。せいぜい20人くらいだろうか。ライルの入っている一人部屋も、この建物だけで20室くらい用意されていたが、今はライルだけしかいない。建物の規模からすれば、全部で100人かそこらは入りそうだが。

 外でボール遊びをしている集団は、男女が入り混じっている。寮生活は男女別だが、日中のカリキュラムは男女混合で実施することもある、と「生活のしおり」に書いてあった。ライルはその集団に「樹上の少女」の姿を探したが、いないことに気付いて落胆した。

「ライル殿」

 後ろから野太い声がかけられ、ライルはビクッとして振り返った。

 開け放たれた入り口にサルマンのでかい図体があった。こんなにでかいのに、全く気配を感じさせないなんて、なんなんだこいつ・・・。

「ご休憩ですかな」

「あ、うん、まあ、そんなとこ」

 慌てて机に向かおうとするライルに、大男が声をかける。

「お迎えに参りました。これから「体力テスト」を行いますので」

「体力テスト・・・?」

 オリエンテーションでショウ先生が言っていたあれか。ちょうど勉強にうんざりしていたし、毒でやられてからの数日間、まともに体を動かしていない。望むところだ。

「行く行く!」

 ライルはうきうきとサルマンについていくことにした。


 *


 そしてすぐに後悔することになった。

 腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットを各3分、限界までやらされ、ちょっとのインターバルを挟んで反復横跳び、垂直跳び、百メートル走。そして今は大樹の周囲をぐるぐると走らされている。

 サルマンはその間、淡々と表情を変えずにライルにやるべきメニューを指示し、ライルの出した結果について特に何もコメントすることなく、粛々と記録している。鬼だ。鬼軍曹だ。

 ちょうど50周したところで、終了のホイッスルが鳴った。ライルはその場に仰向けに倒れ伏し、息を整える。汗だくだ。

 春の陽光が降り注ぐ地面は暖かく、時折吹く風は汗だくの肌に気持ちが良い。空には北西に連なるユーリル山脈からちぎれ飛んできた雲が、二つ、三つと浮かんでいる。

「以上で体力テストは終了です」

 ぬっ、と現れたサルマンがライルの視界を塞いだ。

「・・・あー、そうですか。で、俺は合格なの?」

「このテストに合否はありません。ライル殿の現状を正しく理解するためのものです」

「俺の現状?俺が3分で何回腕立てできるかを正しく理解してどうすんのさ」

「これからライル殿はここで心身ともに鍛え直されることになります。今のあなたの力は、ベースライン。ここからどこまで伸びるか、それを測る目安となることでしょう」

 へー、そうかい。質問すればちゃんと答えてくれるんだな、この鬼軍曹は。

「では、次は体術のテストです。お立ちなさい」

 ・・・やっぱり鬼だな。

 ライルは若干ふらつきながら立ち上がる。

「体術ったって、俺は何もできないよ。素手での喧嘩くらいなら日常茶飯事だったけどね」

「それで結構。私を倒すつもりでかかってきなさい」

 大男は特に構えもせず立ち、そう言う。

「じゃ、遠慮なく」

 言うとライルは、倒れていたときに掴んでいた土をサルマンの顔面に目掛けて投げつけ、同時に右拳をサルマンの顎目掛けてふるう。

 先手必勝、相手を怯ませたところを有無を言わさずノックダウンさせるのがライル流の喧嘩だった。が。

「ほう、なるほど。これがライル殿の戦術ですか」

 サルマンは目潰しにも全く怯むことなく、ライルの右拳を上体を仰け反らして易々とかわした。

「どんどん来なさい」

 野郎・・・!

 ライルはちょっとカチンと来た。左脛を狙うローキックを放つも、さらりと避けられ、左右のワンツーパンチも軽くいなされる。その後も思いつく限りのフェイントや連携を駆使したライルだったが、その全てをサルマンは避け、いなした。

 破れかぶれの大ぶりな右ハンマーパンチを最小限のバックステップでかわされ、とうとうライルはバランスを崩してその場に転倒した。

「はぁ、ハァ、くそっ、全然当たらねえ!」

「もう結構です。あなたの実力はよくわかりました」

 淡々としたサルマンの言葉にカッとなるライル。

「なんだよ、まだやれる!」

 その場に跳ね起き戦闘態勢をとるライル。

「彼我の実力差を知り、冷静に退き際を見極めるのも重要なことです」

 うるさい、せめて一発は入れてやる。頭に血が上ったライルはがむしゃらにサルマンに飛び掛かる。

「やれやれ」

 放った右ストレートを右側に体を捌いてかわしたサルマンは、そのままライルの右手首を両手で掴むと、ライルの右肘関節を自らの左脇に挟んで極め、体重をかける。

「いて、いてててて!」

「矯正護身術、基本技の三。「腕ひしぎ」です」

 キョウセイゴシンジュツ・・・?とにかく極められた右腕が痛くて動かない。

「わかった、まいったよ、もう!」

 サルマンが手を離す。

「ライル殿、あなたはどうやら頭に血が上りやすい性質のようだ。カッとなったら、深呼吸をして気を落ち着けなさい。怒りは人の目を狂わせる。それは時として命取りになります」

 ・・・確かにそうかもしれない。ライルはショウと初めて会った夜、冷静さを失って秘術を放った自分を思い出していた。普通の人が相手だったら、俺は人殺しになっていたかもしれない。ライルはうつむく。

「・・・ふむ。貴方にはちゃんと人の話を聞き、自らの血肉とする素直さもあるようですね。それはここでの生活において、非常に有用な資質です。大切になさい」

 そう言うと、サルマンは少しだけ口を歪めて笑ったようだった。

「今日のテストはこれで終わりです。水を浴びて汗を流し、自室に戻りなさい」

 サルマンはそう言ってライルに背を向け、キビキビとした足取りで去っていった。

 ああ見えてわりといい奴なのかもな、とライルは痛む右肘をさすりながら、そう思った。


 *


 ユグドール少年院の寮には共同の浴室がある。一度に20人は入れる大きな浴槽と、洗い場がついており、綺麗に掃除がされている。週に三度は薪を入れて湯を沸かし、決められた時間に入浴することができるようになっていた。

 ライルはヘトヘトになった体を引きずり、汗だくになった運動着を脱いでかごに入れると浴室のドアを開いた。

 そこには先客がいた。

「いよう、新入り。見てたぜ、サルマンに手も足も出ねえ無様なとこ。炎賊とか言われてる奴が入るって聞いて期待してたが、案外大したことねえんだな、ええ?」

 ボウズ頭に稲妻のような剃り込みを入れた、三白眼の目つきの悪い少年が、腰にタオルを巻いて仁王立ちし、ニヤニヤと笑ってそう話しかけて来る。ライルが来るのを待ち構えていた、と言うタイミングだった。

 年の頃はライルより少し年上だろうか。背丈はライルとそう変わらないが、筋肉質でよく鍛えられている。

「おう、先輩に初めて会うのに挨拶なしかよ。ジロジロ見てないでなんとか言えよオイ」

 少年はそう言ってズカズカと近づいて来て、下から見上げるように睨みつけてくる。

 こう言う手合いは孤児仲間にもよくいた。知らない相手と会うと、まずはどちらが上かはっきりさせたがるタイプ。その多くは虚勢だけで、ライルの力を知るとペコペコと卑屈になる奴だったが、さて、こいつはどうかな・・・。

「そのへんにしておけよ、ゼイン」

 ライルが口を開く前に、浴槽の湯気の向こうから声がかかった。涼やかな少年の声だ。

 ゼインと呼ばれた少年が舌打ちをしてそちらを向く。

「あのなあ委員長、こう言うのは初めが肝心なんだよ。新入りは今のうちにきっちりシメておかねえと、すぐ調子に乗りやがるからな。特にこいつはシャバで炎賊とか呼ばれて良い気になってる野郎だからよ」

 湯気の向こうからもう一人の少年が現れる。

「ごめんな、ライルくん。こいつは根はいい奴なんだが、こう言う風にしか人と接することができないんだ。僕はここの「清心寮」で寮委員をやらせてもらってる、キズナだ。初めまして」

 そう言ってにこやかに笑い、手を差し出してくる。銀髪を無造作にも見える程度に伸ばし、切れ長の目と高い鼻、きれいな歯並びをした少年だった。年齢はライルよりも上、ゼインと同じくらいだろうか。しかしライルは、その整った顔よりも大小様々な傷跡の残る体に目を奪われた。切り傷や火傷の跡、相当に深いものもありそうだ。

「・・・ああ、この傷跡かい?まあ、ここに来る前、色々あってね。傷だらけの人生ってやつさ」

 しかしそう冗談めかして言うキズナの笑顔に屈託は感じられない。

「ライルだ。ライル=カーバイン。よろしく。そっちの人も」

 そう言ってライルはキズナと握手する。ビビっているとは思われたくない。不機嫌そうにそっぽを向いているゼインにも声をかける。

「よろしくね。君が二階の寮に来たら、僕達と生活することになるから。君が来てくれるのを楽しみにしてるよ」

 そう笑って言うキズナ。悪い奴ではなさそうだ、とライルは判断する。

「フン!」

 と鼻息を荒くしたゼインはライルを無視し、ガニ股で肩を揺すって浴室を出ていく。

「ごめんなライル君。あいつ、実は「炎賊」のファンだったんだよ。炎賊の記事を切り抜いてファイリングするくらいのね。それがまあ、僕たちより年下の子で、ここに入ってくるって言うから。ちょっと意識、と言うか、対抗心を燃やしててね・・・」

 こっそり耳打ちするキズナ。ライルはちょっと吹き出す。案外かわいい奴だな。

「それじゃあ。テスト頑張ってね」

 そうにこやかに言うと、キズナも浴場を出て行った。

「・・・なんだか、色んな奴がいるな・・・」

 ライルはそう呟くと、洗い場に向かった。


 *


 その翌日は、魔術のテストだった。ライルの得意分野だ。

 テストはユグドール少年院の「修練場」と呼ばれる建物の一室、魔術訓練のための部屋で行われている。この修練場には、他にも剣術や体術なんかを訓練するための部屋があるそうだ。おそらく軍事基地だった頃からあるものをそのまま転用したのだろう。

 試験官はレンだった。

「ライル君、まずは君の知る最大級の魔術を、あのターゲットに向けて撃ってくれるかな」

 レンが指差す先に、灰色がかった石でできたオブジェがあった。

「あれは魔硝石と言ってね。受けた魔術によってその色と、鮮やかさが変化する魔石なんだ。色は魔術の属性を、鮮やかさはその強さを表す」

 見てろよ。ライルはショウにも放った秘術、火竜の双腕の詠唱を始める。レンはその様子を興味深そうに見ている。

「へえ、聞いたことのない術式だね。固有術式、それも一族の血を発動鍵とした秘術、かな。面白いな・・・」 

 レンが独り言のように呟く中、詠唱は完成し、裂帛の気合と共に、ライルの両腕から竜のごとき火炎の奔流が迸り、狙い違わずターゲットの魔硝石を直撃した。爆音が修練場を揺らし、レンがヒューッと口笛を吹く。

 爆煙が晴れると、そこから鮮やかな深紅に染まった魔硝石が姿を現す。

「お見事。ここまで鮮やかな深紅は初めて見たな」

 レンが拍手する。どんなもんだ。ライルは得意げに胸を張る。

「あの子とどっちが上かな、うーん、色が違うからよくわかんないなー」

 レンが魔硝石を見ながらそんなことを言う。

「あの子・・・?俺以外にも魔術師がいるんですか?」

「そりゃいるさ。僕らは多かれ少なかれ魔術の素養を持って生まれてくる。ここにいる子もみんな魔術の修練をする。まあ君ほどの魔力を持つ子はそうそういないけど、一人だけ君に匹敵しそうな子がいるんだよね」

 そうなのか。どんな奴なんだろう。昨日あったキズナか。まさかゼインってことはないだろうな。いや、もしかしたら・・・。

「先生、それって空色の髪の女の子じゃないですか」

 予感があった。月明かりの下、大樹の上で歌う少女からは、何か特別なものを感じた。

「えっ、何で知ってるの⁉︎どこで会ったの⁉︎」

 案の定、レンの目が丸くなる。

「いや、驚いたなあ、ついこの間ここに来たばかりだって言うのに、もうエリスと会ってるなんて、君もなかなかやるね」

 ニヤニヤしながらレンが言う。

 何か勘違いをされているような気がしたが、ライルはそれどころではなかった。エリス、そうか、あの子の名前はエリスって言うのか。

「エリスは君とは真逆の氷の魔術の使い手なんだ。いやー、あれはすごかったなあ、この部屋丸ごと凍っちゃったからね。僕もちょっと危なかったんだよ。最近の少年少女はすごいねー、あはは」

 そう言って笑うレン。

「この部屋ごと?」

「そうそう。魔術訓練用の部屋だから、部屋全体が対魔性能の高い建材で作られているんだけど、それでも凍っちゃったんだよね。あの子の場合、魔力は凄いけど、コントロールがあまり効かないみたいでね。今は魔術師コースでコントロール方法を重点的に学んでるんだ」

 魔術師コースか。

 ライルは貴重な情報を得てほくそ笑む。レンがおしゃべりで良かった、本当に良かった。

 ユグドール少年院では、出院後に自分がどんな道に進むかをそれぞれが考え、その進路に適したカリキュラムを選択して学ぶことができる。王宮騎士になりたい者は、剣術や法律を重点的に学ぶ騎士コース、冒険者になりたい者は、魔物との戦い方、迷宮の攻略法、サバイバル術などを学ぶ冒険者コース、そして魔術師として生きていきたい者は、魔術を重点的に学ぶ魔術師コースがあった。他にも、その子がなりたい職業に応じ、できうる限りオンデマンドで色々なカリキュラムを用意する、と言うのがこの少年院の目指している教育のあり方、だそうだ。生活のしおりにそう書いてあった。

「先生、俺も・・・!」

「君も魔術師コースかい?わかりやすいね、ライルくんは」

 ライルの言葉を待たず、笑ってレンが言う。ライルの顔がちょっと赤くなる。

「でも、彼女を狙うなら、人生のちょっとだけ先輩として、一つだけアドバイスをしてあげる」

 レンはそう言い、いつものニヤニヤ笑いを引っ込めて、真剣な顔になった。

「焦っちゃだめだよ。今の彼女は、触れる者を皆凍らせる、絶対零度の心を持っている。いかに君が優れた炎の使い手だからと言って、その心を溶かすことは簡単にはできない。人の心を温めることができるのは、同じ人の心だけだからね」

 レンは自分の胸に手を当て、目を閉じてそう言った。

「君の心が、熱い想いが、彼女の心を融かすことを祈っているよ・・・!ああ、僕、今すごく良いこと言ってる・・・!とっても先生っぽい・・・!」

 うっとりした表情で完全に自己陶酔に陥るレン。最後のがなければ、確かに良いこと言うなって思えたんだけどな。この人は思っていることを全て口に出さないと気が済まないんだろうか。ライルは呆れた。


  *


「進級おめでとう、ライルくん。そしてようこそ、僕らの「清心寮」へ」

 個室での2週間を終え、最大の難関だった遵守事項テストをどうにかクリアしたライルの少年院生活は、同じ建物の二階、「清心寮」と呼ばれる集団生活の場へと移った。ちなみに、女子寮は「白愛寮」と言う名前らしい。

 ユグドール少年院に入った子供は、全員が「三級」からスタートする。二級に進級すると、集団生活が行われる寮に入り、一級になれば、外の世界で生きていく準備のため、定められたルールのもとで、外出などができるようになる。そしてそのまま何事もなければ晴れて出院できる、と言うわけだ。出院までに要する期間は、大体1年〜2年、ということだった。しかし、遵守事項違反があったり、素行の悪い者には、階級が下がることもあり、そうなると出院も延びると言うから要注意だ。

 そして、ライルは今日、二級に進級して清心寮に来た。ここでは12人の男子がそれぞれの役割を与えられ、集団生活を営んでいる。そのリーダーが「寮委員」。今こうして寮生を代表してライルを歓迎しているキズナと言うわけだ。

 その後ろには、この寮で一緒に生活していくことになる11人が横一列に並び、ライルのことを興味深そうな目で見ている。ライルと同じ年頃の者が多いが、10歳くらいの年少者もいて、どこかおどおどとした態度で年上の「新入生」を見ている。

 彼らが今集まっているのは、寮の「ホール」と呼ばれる広間のような場所だ。ここは寮生にとっての憩いの場であり、カリキュラムがない時は、ここで勉強をしたり、雑談をしたり、ちょっとしたゲームをしたりと、多目的に使われる部屋となっている。

 そしてホールの奥に廊下が伸び、個室が3部屋と、三人部屋が9部屋向かい合わせに並んでいて、合計30人までがここで生活できるようになっている。この建物の三階にも全く同じ構造の寮があるが、今は入っている子供が少ないため、使われていないそうだ。

「僕らは「家族」であり「仲間」だ。君も、僕らの一員となって、より良い寮になるよう頑張ってほしい」

 そうキズナは続けた。「家族」、「仲間」・・・。その言葉は、ライルの胸に苦い思いを蘇らせる。俺にもそう思っていた連中がいた。でも、そんな関係は、すぐに化けの皮が剥がれることになる。いずれは裏切られ、棄てられることになるんだ。

「ありがとうキズナ。これで清心寮は13人になる。ライルくんのこと、よろしく頼むよ。まずはここでの生活のルールなどを教えてあげて欲しい。では、ライルくんからも一言、みんなに挨拶してくれるかな」

 レンがライルに促す。

 レンはこの清心寮の「主任教官」らしい。ショウやサルマン、ミオとも交代するが、基本的には彼が一日24時間、ここの寮生の面倒を見ることになる。

「・・・ライルだ。よろしく」

 ライルは寮生の好奇の視線から逃れるように横を向き、それだけを言った。


 *


「なんで俺がお前の「教え係」なんだ」

 自室となる三人部屋で、一階から持ってきた自分の衣類などを収納していると、ゼインが不機嫌そうにそっぽを向いたままそう話しかけてきた。

「いいか、俺はレン先生と委員長に頼まれたから仕方なく、お前にここでの生活の仕方を教えてやるんだ。俺が望んだわけじゃない、勘違いするな。そして俺の言うことをよく聞け、新入り。いいな」

 今度は命令口調で上からライルを指差してそう言う。

 まあいいさ。ここで突っ張っても仕方ない。喧嘩は「遵守事項違反」だしな。そう自分を納得させると、ライルは収納の手を止め、ゼインに向き合う。

「わかったよ。よろしく、「先輩」」

 納得していても、若干挑発的な態度になってしまった。ゼインの広い額に青筋が走る。

「野郎・・・!」

「ま、まあまあまあまあ!」

 一触即発の雰囲気に同室のもう一人のクラスメート、アルが割り込む。

「な、仲良くしようよ、ね⁉︎せ、せっかく一緒の部屋になったんだからさ。け、喧嘩は良くない、良くないよ!」

 アルは最年少の寮生だ。まだ10歳になったばかりらしい。くりくりした顔立ちは未だ幼く、寮生からマスコットのように可愛がられている。吃音があり、意識して直そうとしているようだが、緊張すると出てくるらしい。

「チッ」

 可愛い後輩にはゼインもかたなしのようで、舌打ちをしてそっぽを向く。

「ごめんね、アル。気をつけるよ」

 ライルもにこやかにそう応じる。ライルは基本的に面倒見が良く、孤児時代も、兄貴分として年下から慕われていた。

 アルは二人の様子にほっとしたようで、にこにこ笑って自分の席に戻る。

 三人部屋はベッドが3つ、コの字に並んで置かれ、ベッドの横にそれぞれの机と、簡単な収納が置かれており、パーソナルスペースを形成している。仕切りはない。最上級生となるゼインが奥のベッド、手前の2つはそれぞれアルとライルのベッドになっている。 

「・・・新入り。衣類はちゃんと畳んでしまえ」

 ゼインがそっぽを向いたままそう言う。

「え?」

「え?じゃねえ。お前の衣類の畳み方は雑だ。ぐちゃぐちゃじゃねえか。良いか、俺が手本を見せてやるからよく見とけ」

 そう言うと、ゼインはライルの上着をさっと取り上げ、手早く袖を折り返し、真四角になるように畳んだ。とても手際がいい。

「自室の整理整頓は基本中の基本だ。俺がこの部屋の代表なんだからな。俺に恥をかかせるような生活態度は承知しねえぞ」

 目を丸くするライルの視線を避け、鼻の頭をかきながらそう言う。顔がちょっと赤い。

「ありがとう、ゼイン先輩」

 ライルはニヤニヤ笑ってそう言う。

「う、うるせえ、教え係なんだから当然だろ!」

 ますます顔を背けるゼイン。こいつは、見た目に反して結構面白い奴かもしれない。ライルは三白眼の上級生にわずかな好感を抱いた。

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