第四章 出会い

 ライルが目を覚ましたのは、ベッドの上だった。

 天井が高い。白い漆喰塗りの壁はいかにも清潔そうだが、所々ひび割れ、この建物がそれほど新しいものではないことを示している。開け放たれた窓からは、春の柔らかい日差しと、心地よい風が吹き込んでおり、どこかからか鳥の鳴き声も聞こえてくる。

「あっ、起きたね!体の痺れはないかな?吐き気とか具合の悪いところはない?」

 そう言ってライルの顔を覗き込んでくる眼鏡をかけた顔は、おっぱいの人・・・ミオだ。

「顔色は大丈夫そうだね。処置が間に合って良かったよ

 にこにこ笑ってそう言う。

「俺は・・・。ここは・・・?」

 ライルは体を起こそうとするが、まだ思うように動かない。

「あっ、まだじっとしてなきゃダメだよ!めっ!」

 そんなことを言ってライルの額を人差し指で突くミオ。ライルは思わず赤面する。顔が近い。

「ここは私たちの家、あなたがこれから暮らしていく場所。ユグドール少年院の医務室だよ」

「ユグドール、少年院・・・?」

「そう。聞き慣れないかもしれないね。ショウ先生がエリック様にお願いして、三年前に作ったんだ。まあ、作ったと言っても、建物自体は戦時に王都防衛のために作られた要塞を改修したものだから、新装開店!ってわけではないけどね」

 要塞・・・。そう言えば、王都のはずれ、小高い丘の上に高い塀で囲まれた軍事基地があったっけ。ライルはまだぼんやりとする頭でそう考える。

「ここでは、君たちのように、悪いことをしたり、いろんな事情で保護が必要だったりする子どもを集めて、一緒に暮らして、色んなことを勉強していくんだよ。詳しくはショウ先生から「オリエンテーション」があるから、その時に聞いてね」

 まだなんともわからない話だが、とりあえずうなずくライル。

「君の体が元に戻るにはもう少しかかると思うから、もうちょっと寝ててね。もうちょっとで死んじゃうところだったんだから!じゃ、これからよろしくね、ライルくん!」

 そう言って、ミオは医務室を出ていく。

 色々と考えるべきことがあるように思ったが、頭は靄のかかったようにぼんやりとしており、また、天日で干されていたのだろう、ひなたの匂いがする布団の柔らかさと、春の陽気が心地良く、ライルは再び眠りに落ちていった。


 *


 再びライルが目覚めたのは、夜中だった。

 医務室には人の気配がなく、静寂が辺りを支配していた。

 頭の靄は晴れ、体も自由に動く。

 こんなにゆっくりと休めたのはいつ以来だろう。孤児院を飛び出し、犯罪に手を染めるようになってから、空き家や廃墟がライルのねぐらだった。「仕事」はいつも完璧にこなしているつもりだったが、誰かに見られ、追われているような切迫感が常にあり、眠りはいつも浅かった。

 もうこれ以上眠れそうにない。ライルはベッドを出てみることにした。ここがどんな場所なのか、「オリエンテーション」とやらの前に自分の目で確かめてみたい。むくむくと膨らむ好奇心をライルは抑えられなかった。

 意外にも、医務室のドアに鍵はかけられていなかった。窓から差し込む月明かりだけが照らす建物は冷え冷えとしていて、寝巻き姿のライルは思わず身震いする。

 天井の高い廊下を歩く。机や椅子が整然と並んだ部屋や、「倉庫」と書かれた部屋などが並んだ建物は二階建てのようであり、上に登る階段も見える。階段の前には外への出口、下駄箱が並ぶ玄関もあった。

 「ここも無施錠かよ・・・」

 玄関のドアも呆気なく開き、ライルは拍子抜けした。自分は罪を犯してここに入っていると言うのに、この無警戒ぶりはどうしたことだ。刑務所では狭い独房に入れられ、滅多なことでは出してもらえないと聞く。しかしここは・・・。

 建物を出て辺りを見回すと、ぐるりと高い塀が囲んだ敷地は広く、ライルのいた二階建ての建物の右手に、かつての兵舎だろう、三階建てで規則的に同じ窓が並ぶ大きな四角い建物が二つ、並んで立っている。左手にある多少豪奢に見える平屋の建物はかつての司令部か。前方、敷地の中央には大きな樹がそびえている。ライルが今までに見たどの樹よりも大きく、枝を大きく広げた姿は月光の下で不思議な光を放っているように、神秘的に見えた。

 ライルは誘われるようにその樹に近づいていく。やはり大きい。その幹は太く、その樹が長い歳月、戦時この地が要塞として使われるようになる以前から存在していることを示している。

 と、静寂の中にライルは歌声を聴いた。樹の上、太く張った枝の上に誰かがいて、小さな声で歌っている。こんな夜中に、こんな場所で。しかしその歌声は穏やかで、しずかだった。

 これだけ大きな樹なら、精霊や妖精の一匹や二匹、宿っていてもおかしくない。ライルは幼い頃、母が寝物語に語って聞かせてくれたその伝説の存在を見てみたいと思った。わくわくしながら、しかし相手に気配を悟られないよう(逃げられてしまうかもしれない)、慎重にライルは近付いていく。

 樹の下まで来た。歌声はまだ続いている。かつて、どこかで聞いたことのあるような、しかしライルの知らない不思議なメロディー。ライルは声のする方を見上げた。

 いた。枝先の方、小さく白い姿が、月を見上げて歌っている。

 腰まで伸びた空色の髪が月光を反射して輝き、わずかな風に揺れている。薄手の白い寝巻きを羽織った華奢な体躯、宙に投げ出した足は細く、歌に合わせてぷらぷらと揺れている。少女だ。背格好からして年の程はライルとそう変わらないだろう。顔はライルからは見えないが、その姿は十分に神秘的で、ライルは口を半開きにして閑かに、しかしどこか愉しげに歌う少女を見上げていた。

 羽がないから妖精ではないだろう。精霊にしてははっきりと見えすぎる。ライルと同じ人間だ。しかし人間にしてはあまりにも、その姿は儚く、美しすぎた。近付いて、顔が見たい。

 しかし、ライルが思わず踏み出した一歩が落ちていた枝を折ってしまう。その乾いた音が、少女の歌を中断させ、驚いた様子で彼女はライルの方を向いた。

 美しい顔だった。透明感のある肌、長い睫毛、驚きに大きく見開かれたつぶらな瞳、小さな手が口元を押さえている。ライルの心臓が、どきんと大きな音を立てた。

「ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。ただ、あんまり、きれいで・・・」

 後半はもごもごと言葉にならなかったが、その言葉を言い終わる前に、少女は軽やかに枝から飛び降り、兵舎の方に風のように走り去って行ってしまった。

「あ・・・」

 ライルは自分がものすごくショックを受けていることに気づいた。触れてはいけないと戒められている、儚いガラス細工に不用意に触れて壊してしまったような罪悪感が胸を占め、医務室を出た時の高揚感はどこかへ消し飛んでいってしまっていた。

「戻って、寝よう」

 ライルはとぼとぼと医務室に戻った。


 *


「聞いているのか、ライル!」

 ショウの怒声がとび、ライルはビクッと体を震わせた。

「まだ毒の影響でも残っているのか、全く。いいか、何事も最初が肝心だ。ここで過ごす年月を無駄にしないためにも、しっかりと俺の話を聴け。そもそも聴くというのはだな、ただぼんやりと耳に音を入れていれば良いというのではない。相手の話に心を傾け・・・」

 ショウの説教が始まる。この人は、意外に話好きなのかもしれない。ライルはぼんやりとそんなことを考えながら、しかし昨夜の出来事が頭から離れず、オリエンテーションとやらにちっとも身が入らない我が身を自覚していた。

 あの子は、なんであんな時間にあの場所で歌っていたんだろう。兵舎の方に走って行ったから、きっとここに住んでるんだよな。ということは、きっとまた会えるってことだよな・・・!

「何をニヤニヤしてるんだ、ライル!お前というやつは・・・!」

 ショウの額に青筋が浮いている。まずい。

 オリエンテーションは、医務室の隣にあった椅子と机の並んだ部屋(「教室」と言うらしい)で、ショウとライルのマンツーマンで行われている。ショウは黒板を背に立ち、ライルに向かってユグドール少年院での生活について要領を教えてくれているのだが、全く気の入っていない生徒にそろそろ堪忍袋の緒が切れそうになっているようだった。

「いいか、ユグドール少年院は自主自律をモットーとし、この塀の中、定められたルールの下であれば、お前達の行動にそれ以上の制限を設けるようなことはせん。ただし、ルールを守れない者には相応の罰を受けてもらう。一番重いものは「謹慎」だ。定められた日数、一人部屋に入って反省文を書いてもらう。次に俺の説教をたっぷり一時間は聞いてもらう「院長訓戒」。これも訓戒後の反省文付きだ」

 うえっ、という声が出そうになった。ライルが一時期入っていた孤児院でも謹慎や反省文の制度があった。謹慎とは名ばかり、狭い押し入れに泣くまで押し込められるひどい罰だった。反省文も「ごめんなさい。私が悪かったです」を千回書かされる、拷問のような代物だったが・・・。ショウの話は続く。

「俺もなるべくお前達に罰は与えたくない。だからここでのルールをまずしっかり覚えろ。これがここでの「ルールブック」だ」

 そう言い、「生活のしおり」と書かれた冊子をライルに渡す。40ページはあろうか、ちょっとしたボリュームだ。

「これからお前はまず2週間、「寮」の一人部屋で過ごすことになる。そこでその「生活のしおり」をよく読み、ルールを覚えろ。ちゃんと覚えたかどうか、テストをして確かめる。合格したら、晴れてみんなと一緒に生活できる」

「合格しなかったら・・・?」

「その時は一人部屋生活が1週間延び、再テストを受けてもらうことになる」

「うえっ」

 今度は声が出た。ライルは勉強が苦手だ。父から遺された魔導書は隅から隅まで読み、一字一句暗記した(暗記した後、魔導書は焼き捨てた。誰にも奪われたくなかったからだ)が、それ以外の勉強とやらは全くしてこなかった。

「ライル。文武両道という言葉を知っているか」

 頭を抱えたライルにショウが苦笑し、そんなことを言う。

「ブンブリョードー?」

 聞いたことのない言葉だ。

「俺の国の言葉だ。真の戦士は、武芸に秀でているのみならず、文芸、つまりは読み書き計算、勉学にも精通していなければならんと言う意味だ。お前は魔導の才には秀でている、それは認めよう。だからこそ、それをより良く、正しく使う術を学ばねばならん。そのためには、勉学に励み、世の理を知り、他者の痛みを感じる心を育てる必要がある。俺の言っていることがわかるか」

 ショウは真剣だった。ライルはうなずく。

「お前は馬鹿ではない。きちんと学べば、いずれはこの国の重鎮にもなれるくらいの賢さがあると俺は見た。2週間でそいつを覚えるくらいなんて事はないさ」

 笑ってそんなことを言う。

 勝手なことを・・・、と思いながらも、ショウに評価されていることがライルは少し嬉しい。それに、早くみんなと生活できるようになれば、あの子にも早く会えるってことだよな、と性懲りもなくライルは思い、口元が緩む。

「2週間の生活の中では、ルールを覚えるだけではなく、お前の力も試させてもらう。魔導の力だけでなく、体力、知力、色々だ。お前に何が足りず、ここを出た後、しっかりと生きていくために必要な力は何なのか、それを俺たちと、お前とで考えていくためのテスト期間と考えてくれ」 

「俺たち・・・?」

「そう。ここでお前達を導く「先生」は俺だけではない。お前はもう他の「先生」と会っているぞ」

 ショウと出会ってから、次々に現れた大人達の顔をライルは思い出す。

「ミオにサルマン、レンも・・・?」

「そうだ。ここでは、俺も含め、「先生」を付けて呼びなさい。俺たちも含め、みんなそう呼ぶ」

 先生・・・?そう言えば、ミオも初めて会った時ショウのことをそう呼んでいたっけ。あの時は、弁護士なのかと思ったけど・・・。改めて彼らの職業について、ライルは疑問に思う。

「ショウ・・・先生、たちは、ここで何の仕事をしているんですか?」

「俺たちはここで、放っておけば誤った道に進んでしまいそうなお前達子供を教え、正しい道へと導く仕事をしている。俺たちは「法務教官」。子供に正義とは何かを教える「先生」だ」

 ショウは自信に満ちた表情でそう言った。

 ・・・正義?そこでライルは少し反感を覚える。

「ショウ先生、正義って何ですか?家を追い出されて孤児になった俺は、飢えて、どんどん死んでいく仲間を助けようと思って、正義のために武器商人どもから金を盗んでみんなに配った。俺は正しいことをしていると思った。でも捕まって今はここにいる。俺は誤っていたんですか、先生?俺の正義は?」

 話しているうちに、熱くなる思いをライルは感じた。そうだ、俺は間違ったことをした覚えはない。俺は精一杯生きようとしただけだ。そしてそれを喜んでくれる人たちだっていたんだ。

「正義とは何か、そこに正解というものはない」

 ショウは落ち着いた声でそう言う。

「じゃああなた達は俺たちに一体何を教えられるって言うんですか!?」

 ライルは思わず大きな声を出す。子供のようにムキになっているな、と思いながらも、ライルは自分を止められなかった。炎賊と呼ばれ、孤児たちから、貧しい都民から讃えられたプライドが、彼を駆り立てていた。

「しかしお前の正義は間違っている。俺はお前の行いをよく知り、お前と言う男を知ったからこそ、それがわかる。お前が「正義」の先に求めていたものは何だ。孤児仲間の笑顔か。その先にあるものは何だ。お前はそこから何を得ていた?」

 ライルの脳裏に、盗んだ金をばらまいた時の人々の笑顔が、どこか卑屈なその表情が浮かぶ。自身に向けられる人々の称賛と、それに対し、自分の居場所が得られたような、自分が認められ、受け入れられているような満足感を得ていた自分。しかし、俺は彼らに裏切られた。自分で得たように思っていた居場所は、彼らとの絆は、マヤカシだった。

「そしてお前は、お前の行為で被害を受けた人々のことを今なお全く考えていない。お前が十把一絡げに「悪人」と断罪した、裕福な人々のことを。彼らがお前の犯罪に傷ついていないと思うのか。お前の犯罪では誰も肉体的な傷を負わなかったかもしれない。だが、心はどうだ。自らが最も安心して過ごしていられる「家」に何者かが侵入し、大切なものを奪っていく。その家に彼らが今も変わらず安心して住めていると思うのか。彼らにも生活があり、養うべき家族がいて、従業員がいる。お前の盗みによって経営状況に影響が出て、解雇せざるを得なくなった従業員もいるだろう。その人の不幸はどうする。そしてその人が養うべき家族の不幸は?」

 厳しく、たたみかけられる言葉が、ライルの甘さを、考えのなさをえぐる。自分の「正義」がいかに薄っぺらいものだったのか、それを残酷に突きつけてくる。

 ライルの目に涙が浮かぶ。悔し涙だ。自分の至らなさ、周りから「炎賊」と持ち上げられ、はやし立てられて良い気になって、何も考えていなかった愚かさに気づかされたことが、どうしようもなく悔しい。

「考えるとは、そう言うことだ。お前が今感じている思い、それを忘れるな。考え続けることで、自ずと何かが見えてくる。それが真の正義へと繋がる。正解を焦るな。すぐ手に入る見栄えの良い「答え」に飛びつくな。ここでは考える時間はたっぷりある。そして悩んだら、俺たちに相談しに来い。こう見えてもお前よりは多少長く生きている。違う視点だからこそ、見えてくるものもある」

 先ほどまでの厳しさから一転、優しさのこもった声でショウはそう言い、ライルの震える肩に手を置く。

「・・・はい・・・っ」

 ライルはそう答えるのがやっとだった。

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