第三章 襲撃
「色々と聞きたいことがあるだろう。これからどこへ行くのか、どんな生活が始まるのか・・・。それはおいおい話していく。だがまずは、俺達の家にお前を無事に連れていく、それからだ」
ショウと言う名らしい弁護人の異邦人は、裁判が終わって控室にライルを連れ出し、そう言った。
無事に・・・?ライルはショウの言葉に若干の緊張感を感じ取る。
と、コンコン、と控室の扉がノックされ、開いた。
「失礼します、ご主人様」
深く一礼したその姿は、大柄、色黒、筋肉質の男だった。昔ライルがカーバイン家で何不自由なく過ごしていた頃、よく見た執事の格好をしているが、こんなデカくてマッチョな執事は見たことがない。
「ご主人様はよせと言っているだろう、サルマン」
「は、申し訳ありません」
そう言って直立不動になると、ショウの頭ひとつ大きいその姿は、叩き上げの軍人にしか見えない。顔も岩石のようであり、ほとんど眉のない目は細く、鼻もつぶれたように扁平で、固く結ばれた唇は薄い。年齢不詳の顔立ちだが、その落ち着き払った態度からして30〜40代と言ったところか。
「馬車の手配はできたのか」
「いえ、それが。どこも今日に限って出払っているようでして」
「今日に限って、か。まずいな」
「は」
二人は真顔でそんなやり取りをする。
「仕方ない。裏口から出て大通りを避け、徒歩で帰る。裏口にも記者連中が張っているだろうから、頼むぞサルマン」
「は、心得ました。お気を付けて」
そう言ってサルマンは一礼する。
「と、言うわけで、歩いて行くことになった。ここからは一時間程度の道のりだが、途中お前の力を借りることになるかもしれん」
ショウはライルに向き直り、そう言った。
俺の、力・・・?ライルにかけられていた封魔の手枷は、裁判が終わると同時に解かれていた。しかし、この人は、俺が力を使って逃げ出すとか、考えないんだろうか。
「わかりました」
自然と敬語になっている自分にライルは気付いた。「お前」と呼ばれることにも特に抵抗感を感じていない自分に、ライルは少し驚いていた。さっき俺を死の淵から救ってくれたからか。それとも・・・。
「でも一つだけ教えてください。どうしてショウさんは、俺のことをこんなに、信じてるんですか?ショウさんと会ったのは、今日でまだ二回目なのに、なんで俺のことを」
ライルの疑問に、ショウは、ふっ、と笑う。
「俺はプロだ。お前のように非行に走る子供達を何百人と見てきた。お前のこれまでの行動を見れば、何をどう考えているのか大体想像がつく。あとは、お前の眼差しだ。前向きに生きることを諦めていないお前の眼を見れば、お前の未来を信じることに何の憂いもない。」
そんなことを言う。何百人・・・?まだ30そこそこに見えるこの男が、異邦から来た者であることをライルは思い出す。「向こう」でもそう言う仕事をしてたってことかな・・・?
「では、行くぞ」
そう言ってショウはドアを開けて出て行く。サルマンもちらっとライルを見、それに続く。ライルはその背を追った。これから何が起こるのか、自分はどうなるのか、わからないことだらけだったが、とりあえずは、この人たちに付いて行こう。自分に向けられた信頼に応えてみよう、と言う思いがライルの心を温め、不安は不思議に鳴りを潜めていた。
*
裁判所の裏口を出ると、そこは黒山の人だかりだった。
「ショウさん、今回も「検察のエース」サラ検事から勝利を奪いましたが、感想を一言!」
「炎賊の今後の処遇は!?少年院ではどんな生活を!?」
「ライルさん!ライルさんの今のお気持ちは!?」
王都の事件やトピックスを紹介する新聞や雑誌の類の記者たちだろう、一行に対して次々に質問を浴びせてくる。一礼して無言でその場を離れようとするショウの進路を塞ぐように記者たちは動こうとするが、サルマンの巨体がそれを遮る。
「申し訳ありませんが、取材はご遠慮願います」
サルマンの低い声が響くが、その程度で海千山千の記者たちは諦めない。
「ショウさん!せめて一言、今日の勝利の感想を!」
「ライルさん!被害者に対して何かありませんか!償われるとのことですが、巨額の被害額をどのように弁済される予定ですか!?」
サルマンに抑えられながらも、必死で答えを求めようとする。すごい執念だ。
思わず口を開こうとしたライルの手を、ショウが引いた。
「走るぞ」
そう言うと、有無を言わさず走り出す。ライルは裁判所の裏通りをショウに手を引かれるままに駆ける。記者たちはサルマンに遮られて追跡できないようだった。獲物を逃した怨嗟の声が通りに響く。
「ちょ、ちょっとぐらい答えてあげてもいいんじゃ・・・」
「今はまだ早い。彼らの手にかかって、自分の言葉がどのように独り歩きするか、今日の裁判の様子がどう描かれるのか、明日の新聞で確認するんだな」
ショウは走りながらそんなことを言う。自分の、言葉・・・。
「もう一人で走れる」
なんだか気恥ずかしくなり、ライルはショウの手を振り払う。
「そうか」
特に意に介した素振りもなく、ショウはそう言った。
大人に手を引かれるなんて、俺はどうしちまったんだ。裁判では人前で泣いちまうし、しっかりしろ、炎賊!ライルはブンブンと頭を振った。
*
王都の裏通りをひた走る二人。と、ショウが突然立ち止まった。
「うわっ、なんだよ!」
勢いを殺せず、ライルがよろける。
「伏せろ!」
ショウはそう叫ぶと、ライルに覆い被さるように地面に倒れ伏した。
その頭上を複数の矢が行き過ぎる。正確無比な狙いだ。あのまま立っていたら危なかった。
「囲まれているな。俺としたことが、経路を読まれたか」
ショウがぽつりとそう漏らす。と、先の路地から二人、黒ずくめの影が音も立てずに現れる。後ろからも同じような影が二人。覆面から二つの目だけがのぞいている。
「そのガキを置いていけば命は助けてやる」
影の一人が一切の抑揚を欠いた声でそう言った。
狙いは、俺・・・!ライルは戦慄する。一体なぜ・・・?
「子ども一人に暗殺者を4人、いや、周囲の建物にも何人か伏せているな。「スポンサー」は随分奮発したらしい。炎賊に痛い目にあった金持ち連中の誰かか、それとも・・・」
ショウが言い終わるのを待たず、四つの影が一斉に腰のナイフを抜き、切り掛かってくる。ナイフは毒が塗られているのか、陽光を反して禍々しく緑に光っている。
「ライル、後ろの連中に目眩しだ!」
ショウの叫びに、ライルは反射的に「
視界を真っ白に染める一瞬の閃光が裏路地を照らす。グッ、と言う声とともに後ろの二人の手が止まった気配がある。
その一瞬で、ショウは前方の二人を片付けていた。ライルの目には、辛うじて、左の一人に向かって姿勢を浅くして踏み込み、鳩尾に強烈な肘鉄を入れ、間髪入れずに動揺した右の一人の顔面に鮮やかな後ろ回し蹴りを決める動きが見えた。速い・・・!左の一人は呻いてその場に崩れ落ち、右の一人は派手にきりもみ回転をして吹っ飛んだ。
ショウはそのままライルの後方二人に狙いを定め、疾駆する。閃光のショックから立ち直りかけていた一人の顎に疾駆した勢いのまま下からすくい上げるような掌底を入れ、もう一人の顔面には裏拳を叩き込む。掌底を受けた男の体が上方に浮き上がって吹き飛ぶ様子に、ライルは目を見張った。
手練れの暗殺者4人を、一瞬、一撃で、しかも素手で倒すとは。一体何者なのか。
「ライル、安心するな。まだいる。全力で逃げるぞ。ついて来い」
ショウの厳しい声が飛び、前方に向かって走り出す。ライルは弾かれたようにその背を追った。
王都の裏通りをジグザグに走る。王都の地理把握には自信があったライルでさえ、どこをどう逃げているのか、どこに向かっているのか、判然としなくなってきた。だんだんと息も上がってくる。
「もう少しの辛抱だ」
ライルの様子が見えているかのように、前方のショウが振り向きもせず声を掛けてくる。長時間走っているのに、息が乱れる素振りもない。おそらく、ライルの脚に合わせてセーブして走っているのだろう。しかし、その配慮がたたり、暗殺者の気配を振り切ることはまだできなかった。殺気が、執拗にライルの背中を追ってきている。
「くっ!」
ライルの足がもつれる。炎賊として、警察から逃げている時にはこんなことはなかった。警察はライルを捕まえこそすれ、殺す気はなかったからだろう。殺意というプレッシャーに追われながら逃げるのが、ここまで疲弊するものとは。
その機を逃さず、遠方からの矢が襲来する。
「くあっ!」
矢はもつれたライルの右脚に命中した。毒が塗られていたのだろう、刺さったふくらはぎから痺れが広がってくる。
「ライル!」
異変に気付いたショウが駆け寄る。
「だ、ダメだ。これじゃ狙い撃ちされる・・・!」
苦悶に歪む表情で、ライルはショウを止めようとした。
「毒矢か。もう少し我慢しろ」
しかしショウはそう言うと、ライルを自分の肩に担ぎ上げた。
その動きを逃さず、第二射、第三射が殺到する。
ショウはその矢を一本は手刀で叩き落とし、もう一本は命中の寸前で掴み取った。常人のなせる技とは思えなかった。
ライルを担ぎ上げたまま走り出すショウ。しかし、その行手を更なる影が塞ぐ。数は3。ライルを担いだままでは、さっきの超人的な格闘術もできそうにない。毒が周ってきたのか、ライルの意識は混濁しはじめ、魔術の発動に必要な集中も保てそうにない。
「もう、もういいよ!俺なんかのことは置いて逃げてくれ!」
ライルは悲痛な声で叫んだ。
「・・・そうはいかん。俺は誰も見捨てない。俺の生徒は、必ず俺が守る!」
ショウは気迫を込めてそう言い、前方の影を睨む。この異邦人の先ほどの戦いぶりをどこかで見ていたのか、三者は分散し、慎重にじりじりと間合いを詰めてくる。「俺の生徒」とショウは言った。その響きが、なぜかライルには頼もしいものに感じられた。
と、そこに一陣の風が吹いた。自然の起こしたものではない。その証拠に、風はどんどん強まっていく。暗殺者たちが動揺する。
「猛き風よ、我が眼前に立ちはだかる全てを吹き飛ばせ!
通りに若い男の凛とした声が響き渡ると同時に、荒れ狂う龍のごとき圧力を伴う風が吹き荒れ、暗殺者たちを次々にライルたちの後方へと吹き飛ばしていく。しかしショウの周りだけは、全くその暴風の影響がなく、髪の毛一本揺れることがない。絶対魔法防御か、とライルは痺れる頭で思う。
しかしこの風の魔術、相当な高位魔術だ。一体誰が・・・。
ショウが安堵の吐息をつく。
「遅いじゃないか。一体どこで油を売ってたんだ、レン」
「いやいや、ショウ先生があちこち走り回るからですって。ミオ先生の探知魔法があったって、追いつけなきゃ意味ないんですから」
前方の路地から、ヘラヘラ笑ってそんなことを言いながら痩身の若い男がやってくる。ライトグリーンの癖っ毛、やや垂れ目がちの眠そうな目をしているが、顔立ちは整っている。年齢は20そこそこと言ったところだろう。
「おっと」
その男を目掛けて、後方から矢が射掛けられるが、その矢は男の目前で進路を変え、あさっての方向へと飛んでいく。矢除けの魔術か。詠唱の時間はなかった、と言うことは、自律的に発動するような魔術と言うことか・・・?
この強力な風の魔術の使い手が援軍として登場したことにより、分が悪いと悟ったのか、後方の殺気が退いていく。どうやら暗殺者は撤退したようだ。プロは引き際を心得ている。
安心して気が緩むと、ライルは自分の意識がどんどん遠のいていくのを感じた。暗殺者の毒は即効性だ。このままでは・・・。
「そんなことよりミオはどうした。ライルが毒矢にやられた。今すぐ治療が必要だ」
ショウが察したのか、そう言う。
「はいはいはいはーい!お待たせしました先生!ミオはここです、今すぐおそばに参りまーす!」
甲高い声が路地に響き渡る。
この声、あの時のおっぱいの人・・・。
その思考を最後に、ライルの意識は途切れた。
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